初老初級ジャグラーの日記です。
ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。
技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
カレンダー
01 | 2025/02 | 03 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
ブログ内検索
カテゴリー
最新TB
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

題名:日本の放浪芸 オリジナル版
出版社:岩波書店
■体裁=A6.並製・414頁
■定価 1,260円(本体 1,200円 + 税5%)
■2006年8月17日
■ISBN4-00-602105-4 C0176
岩波書店のサイトから引用。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/60/4/6021050.html
--------------------------------------------------------------
1970年代,著者は万歳,絵解き,舌耕芸,香具師の口上や猿回しなど消滅しつつあった諸芸を記録してまわる仕事に取り組んだ.また万歳の門付けを体験し,河内音頭,山伏神楽,盲僧の琵琶,大衆演劇などを訪ね歩いた.本書は民俗芸能史の貴重な資料であり,放浪芸探索の旅は新劇俳優としての自らのルーツを確認する旅であった.
目次:
1 日本の放浪芸 小沢昭一が訪ねた道の芸・街の芸
2 放浪芸をひとまず訪ね終えて
3 万歳の門付体験記
4 正月の祝い芸と「信仰」
5 諸國藝能旅鞄(げいをたずねてイッタリキタリ)
6 舌耕芸 香具師の場合
7 お金に換える芸能
8 節談説教の魅力<インタビュー>
9 『日本の放浪芸』始末書
--------------------------------------------------------------
この第五章の中(297-318ページ)に「<伊勢太神楽は大繁昌>の巻」
というのがある。門付け芸能は庶民の信仰心の変化とともに滅びつつ
あるが、その中で例外は伊勢太神楽である。なぜ例外となっているのか?
を解き明かすために著者は1日神楽師を志願したそうだ。同じ装束を着て
新米として門付けに参加。
村人たちは毎年見てきた芸だけを見るために毎年太神楽を迎えている
のではなさそうだ。つまりは信仰、伊勢太神楽は伊勢信仰の上にのっかって
いる。それにかまどの荒神を祓ってもらいたい信仰も村に生きている。
太神楽の巡業する地域は必ず農村地帯なのであった。
「仏の守りをお寺さんがするように、われわれは荒神さんの守りに出て
行く神主です。代々受け継いできた持ち場ー村の1軒1軒は寺で言えば
檀家のようなものなんですね」
信仰が薄れてしまった地域では太神楽そのものとして生き延びるのは
難しいのか?だが初詣等をみていると適応しさえすれば日本中どこでも
いけるような気もする。課題はどのようにすれば良いかということ。。
題名:いろどる : 色物の世界(芸双書1)
著者:南博、永井啓夫、小沢昭一編
出版社:白水社
出版年:1981.1
明治、大正、昭和時代の色物の変遷と1980年当時の漫才の現状についての
短編集。冒頭の永井氏著「マリとバチ ”いろもの”の空間」で太神楽
に関する記述がある。ちょっとずつ引用。
まずは色物の定義。
---
「いろもの」とは大雑把に言えば、「寄席で演じられる各種演芸の総称」
であり、東京では「落語以外の演芸の総称」、大阪では「漫才以外の演芸の
総称」。江戸期の演芸場は「講釈場」「浄瑠璃席」「寄席」に分かれており、
その寄席が落語以外の演芸を加えるようになってからは「色物席」と呼んで
区別していたが、落語の単独公演の方が例外となったため、寄席といえば
色物席を指すようになった。色物の分類は大雑把にいえば、曲芸、奇術、
音曲、踊り、物まね、寸劇、漫談、珍芸その他。
---
放下の意味。
---
太神楽としては、大神宮のシンボルとして獅子を舞わせて祝祷し、余興
として放下を見せるという二面を持っていた。放下とは禅語の「放下」
より出たもので本来は「一切の煩悩を離れた自由な状態」の意だったが、
転じて散楽系曲芸の「自由奔放な芸態」を指すこととなった。
---
やっぱり放下って人生投げるって意味だったのね。
「人生投げて玉投げて」というtossLifeのキャッチコピーは放下の
本質を示しているのかも?
口上について。
---
太神楽の口上は曲芸と同じように大切な比重を占めている。わが国の
口上の歴史は中世に大社寺で行われていた延年の<風流>にまで
さかのぼることができる。芸能の場に運び込まれてくる風流の飾り物を
呼び出したり、情景描写する役者を<開口>と呼んでいた。世阿弥は
能のワキのことを開口人と呼んでいた。現代でも歌謡曲の実演に先立って
司会者が美文調でテーマを歌い上げるのは口上の威力なのである。
口上はあくまで曲芸の添え物であるが、もし口上がなくて演者がひとり
で曲芸を黙って演じていたら退屈するであろう。
太神楽の口上は本来のひとり立ちから二人の<掛合>に推移していく。
一人で演目を美文調に読み上げる口上に対して、これを繰り返しながら
ナンセンスにしてしまう道化役の登場である。マジメとナンセンスの
対立によって口上の内容がより深く理解される。さらにひとつの見所
と次の見所の間に時間的なリアクションをおくことによって、両者の
技芸をより際立たせることの効用である。
万歳のコンビがあまりにも様式化しているのに対して、太神楽の掛合は
はるかにリズミカルな人間臭に満ちている。
祝祷を主旨とする太神楽の一社を主宰する太夫には、神職まがいの厳粛な態度を
とらねばならぬ一面がある。これに対して口上や諸雑芸を担当し、娯楽の
起爆剤となる道化役も時代が下るに従って太夫に劣らぬ重要な役割を
受け持つことになる。関東の太神楽の符牒で道化役をメグロと呼んでいる。
先代鏡味小仙が東京演芸界の大御所としての人気を保ち続けたのは、相方の
メグロ初代鏡味小金との名コンビによるものといえる。
---
口上やはり大切なんですよね。私はジャグリングにも口上ある方が受ける
と思うのだけれど、技の名前を述べる以上のトークに出会ったことがない。
江戸時代から昭和にいたる太神楽社中の変遷も記述がある。
昭和まで厚木太神楽ってあったのね。
現代の太神楽について。
---
現代の太神楽は、本来の使命だった祝祷という一面を放棄してしまった。
戦後の世相の中で大衆の予祝信仰に期待することができなくなったからで
ある。しかし現代でも若者を含めて大衆は新年になると晴れ着をまとって
鎌倉や代々木の神社に参詣する。信仰というよりも新年というレジャーを
楽しむためである。こうした大衆のいつの時代も変わらないレジャー希求を
上手に把握していたのも太神楽だった。大衆は太神楽の<芸>を通じて
信仰心を満たし、太神楽は信仰めかして<芸>を販売していたのである。
戦後の太神楽がその仕組みを簡単に放棄したのは大きな損失だったと
いわなければならない。
太神楽から<口上>や<茶番>が見られなくなった理由は道化役の不在である。
太神楽の若い世代はすべて紋付袴姿の太夫役を志望し、道化役に関心がないらしい。
以上太神楽について日ごろの鬱憤を漏らしてみたが、そういう条件が
満たされたとしても太神楽が昔日の姿を取り戻すのは実は不可能なのである。
その理由は太神楽の技芸がすでに<完成>されてしまったためだからである。
茶番にはもともとかかれた台本などはほとんどなく既成のパターンの組み合わせ
で探りあいながら対話を進めていくのである。しかしいつのまにか文字に
かかれぬままに台本が完成し、テキスト化されてしまった。台本の改訂が
なされぬまま、言語感覚や成育環境が異なる若い世代が演じることは
不可能である。
。。。
音曲噺をネガとして人情噺が生まれていくこのふたつの例にも知られるように
原作・原典の中の芽を育て、自分の語り口、自分の解釈によって新しい作品
を作っていく、これが大衆芸能<いろもの>の方法だったのである
---
道化が生き残っている伊勢太神楽を早くみてみたい。口上もくすぐりを今日
的なものに変えていくなど補修的な改善が必要だと思うのだけれど、伊勢
太神楽はどうなのかなあ。
江戸時代において客が太神楽に求めるものと、現代において客が太神楽に
期待するものは当然異なるだろう。昔は祈りであり、現代は「和」なのかも
しれない。「和」がいったい何をさすのかは私にはよくわかっていないの
だけれども。。
現代に対応するために、どこまで変えればよいのか、どこまで変えても太
神楽の本質を見失わないのか、それこそ「はめをはずさずにはめをはずす」
度量が求められている気がする。
また小島貞二氏著「いろもの戦国時代 明治・大正・昭和の演芸」には
次の記述がある。
----
おおざっぱにわけて、明治も20年ごろまでは、江戸時代に活躍したいわゆる
本格的な芸の持ち主が支持された。芸界もそうであったが、客である江戸っ子
特に下町っ子たちは、芸のうまさを評価したわけだ。
20年以降になると、東京の人口も急速に増え、それも地方からの移入が
目立った。寄席の客層も大きくかわったのも当然だ。存分に味わって感心する
という本格の芸よりも、ストレートで面白いものが歓迎されるようになった。
---
これってBroadway Musical の客層の変化が作品内容にもたらしたものとそっくり。
"On Broadway Art and Commerce on the Great White Way"(Steven Adler 著、
Southern Illinois University Press) によると、NYが安全になり
地方や外国からの旅行者、そしてファミリーが観客の主流になるにつれて、
作品としてよりわかりやすくストレートに面白いものが求められるように
なったそうだ。だから今はディズニー全盛なのよね>ブロードウェイ。
もっとも新作ターザンはこけちゃったけれど。
この本の最後には関山和夫氏の「色物・文献解題」に過去の文献が示されて
いる。江戸時代にはほとんどないのね。次のふたつが著名なもの。
・「猿猴庵日記」高力種信著
安永6年(1777)から文政9年(1828)まで50年書き続けたもので芝居や
見世物、寄席興行に触れた部分がかなり多い。この書の原本は今は見られない
が市史本が名古屋市・鶴舞図書館にあり、それを基にしたものが「名古屋叢書」
第17巻に尾崎久弥氏翻刻で収められている。
・「見世物雑志」小寺玉晁著、5巻5冊、早稲田大学図書館蔵
文政元年(1818)から天保13年(1842)にいたる25年間の名古屋における
あらゆる種類の寄席、見世物の興行が記録されている。この原本は早大にあるが、
名古屋叢書第17巻等で収められている。
それから時代はとんで次におさえておくべきものがこれ。
・「見世物研究」朝倉 無声著
昭和3年出版。(現在筑摩書房 (2002/02) より復刻版が出ている)
http://www.amazon.co.jp/%E8%A6%8B%E4%B8%96%E7%89%A9%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E6%9C%9D%E5%80%89-%E7%84%A1%E5%A3%B0/dp/4480086811
昭和40年代からはいろいろ文献が出ている。永六輔氏、小沢昭一氏たちの働きが
大きいようだ。これからいろいろ読んでみたい。
題名:週刊朝日百科日本の祭り
巻号:No.16 2004年9月19日号
出版社:朝日新聞社
A4版グラビア雑誌で日本の祭りを紹介。
この号では、灘のけんかまつり、伊勢太神楽、伊勢神宮の新嘗祭
が紹介されている。伊勢太神楽は14ページから21ページまで、
12月24日の増田神社における総舞の案内が書かれている。
写真は魁曲、吉野舞、玉獅子の曲、跳の舞、献燈の曲等。
神社境内の舞台ってすごく狭いのね。ここに観客が集まると
すごく混雑しそう。上演時間は24日の12:30-15:30とのこと。
一度は見に行きたいなあ。
増田神社以外でも次の祭りで伊勢太神楽が見られるそうだ
・大福田寺(桑名市東方、JR桑名駅から徒歩5分)
毎年4月2日(桑名聖天大祭2日目)10:00-, 13:00-
・神館神社(桑名市江場、JR益生駅から徒歩15分)
毎年10月13日(例大祭) 13:00-
巻号:No.16 2004年9月19日号
出版社:朝日新聞社
A4版グラビア雑誌で日本の祭りを紹介。
この号では、灘のけんかまつり、伊勢太神楽、伊勢神宮の新嘗祭
が紹介されている。伊勢太神楽は14ページから21ページまで、
12月24日の増田神社における総舞の案内が書かれている。
写真は魁曲、吉野舞、玉獅子の曲、跳の舞、献燈の曲等。
神社境内の舞台ってすごく狭いのね。ここに観客が集まると
すごく混雑しそう。上演時間は24日の12:30-15:30とのこと。
一度は見に行きたいなあ。
増田神社以外でも次の祭りで伊勢太神楽が見られるそうだ
・大福田寺(桑名市東方、JR桑名駅から徒歩5分)
毎年4月2日(桑名聖天大祭2日目)10:00-, 13:00-
・神館神社(桑名市江場、JR益生駅から徒歩15分)
毎年10月13日(例大祭) 13:00-
日本の民俗〈上〉祭りと芸能
芳賀 日出男 (著)
出版社: クレオ (1997/09)
言語 日本語
ISBN-10: 4877360158
ISBN-13: 978-4877360153
内容(「MARC」データベースより)
昭和27(1952)年から平成8(1996)年までの日本人の暮らしを、民俗の視点で撮影した写真集。上巻には、御幣・訪れ神・初春の祝福芸にはじまり、語り物・手作りの年中行事まで収める。

87~89ページに伊勢太神楽の写真あり。魁曲の場面。
白黒写真集、いやーどれもおもしろそうだなー。
芳賀 日出男 (著)
出版社: クレオ (1997/09)
言語 日本語
ISBN-10: 4877360158
ISBN-13: 978-4877360153
内容(「MARC」データベースより)
昭和27(1952)年から平成8(1996)年までの日本人の暮らしを、民俗の視点で撮影した写真集。上巻には、御幣・訪れ神・初春の祝福芸にはじまり、語り物・手作りの年中行事まで収める。

87~89ページに伊勢太神楽の写真あり。魁曲の場面。
白黒写真集、いやーどれもおもしろそうだなー。
題名:家元ものがたり (中公文庫)
著者:西山 松之助
税込価格 : \378 (本体 : \360)
出版 : 中央公論社
サイズ : 文庫 / 286p
発行年月:1976年
概要:(裏表紙より)
剣道の新陰流・一刀流、水泳の水府流・小堀流など、相撲、砲術、万歳、幇間、庖丁、香道、盆石、河東節等の諸家元を取り上げて、実地探訪と
豊富な文献をもとに、日本固有の家元制度の実態とその独特な思想構造
を解き明かす興味あふれる読物。(裏面案内より)
昭和31年著、46年に改訂。家元たちへのインタビューなど
ドキュメンタリータッチで綴られている。
次のジャンルに関しての言及がある。
剣道、相撲、砲術、水泳、鷹匠、万歳、曲独楽、太神楽、幇間、
虚無僧、庖丁、香道、盆石、盆景・盤景、雅楽、下座音楽、河東節、
一中節、萩江節。
幇間や虚無僧にまで家元がいたとはびっくり。
剣道は実際に戦いがあるうちは一人一流であったけれど、
江戸時代中期になると本末転倒な瑣末な形式主義に堕落してしまう。
そうなると秘伝書とか免許状の形式などがうるさくなってきて、もっ
ともらしい故事来歴や技術に対する精神的な飾りつけが満艦飾のよう
に取り付けられるのである。
砲術は弾道学が秘伝となる。
盆石という石と砂で風景や人物を作り出す芸にも家元がいたとのこと。
これどんなものか見てみたい。
意外だったのはもっとも古い芸のひとつである雅楽において、
江戸時代はコンテスト(および投票)によって能率給を
決めていたということ。能力主義の時代を何百年も先取りしていた?
三河万歳として庶民に親しまれていたのは実は尾張万歳だったとのこと。
虚無僧は権現様のお墨付きを元に好き放題の特権を得ていたが、
実はそのお墨付きは偽書。もともと門付していた者たちが禅と結びついて
ギルドを作り上げていったというところらしい。
曲独楽はあまり家元という意識がなかったとのこと。
市井の太神楽熱が盛んであった から、どんつくが歌舞伎として上演
されるようになった。 どんつくの鞠の作り方も秘伝だったそうな。
初演以来どんつくが芝居にかかるときは必ず丸一の家元に挨
拶に行く。挨拶を受けると家元は舞台に出向いて俳優に太鼓の曲打ち
や籠鞠の秘伝を伝授する。
太神楽は江戸だけではなく各地に点在してお払いや門付けを行ってい
た。門付けで獅子がまわってくるとどこの家でも祝儀を出す。太神楽
に限らず一般の門付け芸では、人前で金勘定の話をしなければならな
いので隠語が用いられる。
茶番の掛け合いでも庶民の関心事を織り込むので人気。
第十代の鏡味仙太郎は偉大、10年ロンドン生活、パリやベルリンで
も興行、帰国した後は明治館を丸一の練習場として太神楽の曲芸を
後進に教えた。仙太郎は丸一の紋を改めるとか、獅子頭にシャグマの
毛を植えることにしたとか、傘の曲の番傘をカンレイシャの優美なも
のにしたとか、太神楽の伝統に新風を吹き込んだのである。
仙太郎氏の曲芸見てみたかったなーーー。
河東節の項の一節につぎのようにあった
---
「はめ」をはずさないで「はめ」をはずすとでもいうことをこの道では
「どうらくする」というが、やかましい格の中で越格の自由な美しさ
と情緒てんめんとした艶なるイキを語りだすことは、芸に遊ぶ名人の
技なのであろう
---
「どうらく」やってみたいものですねえ。
これに出てくるどの家元も基本的に貧乏、儲かることはない。
それゆえ後継者にも困るという状況。浪費に耐える人々が日本の芸を
継承してきたということなんですね。
ご苦労様です。
著者:西山 松之助
税込価格 : \378 (本体 : \360)
出版 : 中央公論社
サイズ : 文庫 / 286p
発行年月:1976年
概要:(裏表紙より)
剣道の新陰流・一刀流、水泳の水府流・小堀流など、相撲、砲術、万歳、幇間、庖丁、香道、盆石、河東節等の諸家元を取り上げて、実地探訪と
豊富な文献をもとに、日本固有の家元制度の実態とその独特な思想構造
を解き明かす興味あふれる読物。(裏面案内より)
昭和31年著、46年に改訂。家元たちへのインタビューなど
ドキュメンタリータッチで綴られている。
次のジャンルに関しての言及がある。
剣道、相撲、砲術、水泳、鷹匠、万歳、曲独楽、太神楽、幇間、
虚無僧、庖丁、香道、盆石、盆景・盤景、雅楽、下座音楽、河東節、
一中節、萩江節。
幇間や虚無僧にまで家元がいたとはびっくり。
剣道は実際に戦いがあるうちは一人一流であったけれど、
江戸時代中期になると本末転倒な瑣末な形式主義に堕落してしまう。
そうなると秘伝書とか免許状の形式などがうるさくなってきて、もっ
ともらしい故事来歴や技術に対する精神的な飾りつけが満艦飾のよう
に取り付けられるのである。
砲術は弾道学が秘伝となる。
盆石という石と砂で風景や人物を作り出す芸にも家元がいたとのこと。
これどんなものか見てみたい。
意外だったのはもっとも古い芸のひとつである雅楽において、
江戸時代はコンテスト(および投票)によって能率給を
決めていたということ。能力主義の時代を何百年も先取りしていた?
三河万歳として庶民に親しまれていたのは実は尾張万歳だったとのこと。
虚無僧は権現様のお墨付きを元に好き放題の特権を得ていたが、
実はそのお墨付きは偽書。もともと門付していた者たちが禅と結びついて
ギルドを作り上げていったというところらしい。
曲独楽はあまり家元という意識がなかったとのこと。
市井の太神楽熱が盛んであった から、どんつくが歌舞伎として上演
されるようになった。 どんつくの鞠の作り方も秘伝だったそうな。
初演以来どんつくが芝居にかかるときは必ず丸一の家元に挨
拶に行く。挨拶を受けると家元は舞台に出向いて俳優に太鼓の曲打ち
や籠鞠の秘伝を伝授する。
太神楽は江戸だけではなく各地に点在してお払いや門付けを行ってい
た。門付けで獅子がまわってくるとどこの家でも祝儀を出す。太神楽
に限らず一般の門付け芸では、人前で金勘定の話をしなければならな
いので隠語が用いられる。
茶番の掛け合いでも庶民の関心事を織り込むので人気。
第十代の鏡味仙太郎は偉大、10年ロンドン生活、パリやベルリンで
も興行、帰国した後は明治館を丸一の練習場として太神楽の曲芸を
後進に教えた。仙太郎は丸一の紋を改めるとか、獅子頭にシャグマの
毛を植えることにしたとか、傘の曲の番傘をカンレイシャの優美なも
のにしたとか、太神楽の伝統に新風を吹き込んだのである。
仙太郎氏の曲芸見てみたかったなーーー。
河東節の項の一節につぎのようにあった
---
「はめ」をはずさないで「はめ」をはずすとでもいうことをこの道では
「どうらくする」というが、やかましい格の中で越格の自由な美しさ
と情緒てんめんとした艶なるイキを語りだすことは、芸に遊ぶ名人の
技なのであろう
---
「どうらく」やってみたいものですねえ。
これに出てくるどの家元も基本的に貧乏、儲かることはない。
それゆえ後継者にも困るという状況。浪費に耐える人々が日本の芸を
継承してきたということなんですね。
ご苦労様です。