初老初級ジャグラーの日記です。
ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。
技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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今日はジャグリバ。
いつもとおり、傘、ロープ、ボールを抱えて向かった。
シガるさんがこられたので大さんのクラブを借りてパッシングの練習。
6カウントでパス2回くらいはできるのだけれど、そのあたりで
どうも体全体が左を向いていってしまって失敗してしまう。
なんだか左目がいまひとつ見えていないのではないかという危惧が。。。
傘は茶碗回しに挑戦。それなりに安定して横で回るようになった。気を抜くとすぐ立っちゃうのできれいに見せるには立てない努力が必要という不思議な状態。。。最後に傘をとめた時に茶碗の位置がぶれていくのをどうやって留めるかが一番の課題だ。
そうこうしているうちに体育館の奥の方で子供たちとおじさんたちが集まってボールの耐久レースが始まった。私もボールを握り締めて参戦。
出来る技が一番少ない子にあわせて競争するのでまもなくしてネタがつきたので、私がカスケード縛りのサイモンセッズを提案した。
やりはじめるとまたまた人が集まってきて最終的にはほとんどの人が大きな輪となって参加してたようだ。10歳から50歳まで参加した(推定)サイモンセッズって楽しいなあ。またやりましょう。
いつもとおり、傘、ロープ、ボールを抱えて向かった。
シガるさんがこられたので大さんのクラブを借りてパッシングの練習。
6カウントでパス2回くらいはできるのだけれど、そのあたりで
どうも体全体が左を向いていってしまって失敗してしまう。
なんだか左目がいまひとつ見えていないのではないかという危惧が。。。
傘は茶碗回しに挑戦。それなりに安定して横で回るようになった。気を抜くとすぐ立っちゃうのできれいに見せるには立てない努力が必要という不思議な状態。。。最後に傘をとめた時に茶碗の位置がぶれていくのをどうやって留めるかが一番の課題だ。
そうこうしているうちに体育館の奥の方で子供たちとおじさんたちが集まってボールの耐久レースが始まった。私もボールを握り締めて参戦。
出来る技が一番少ない子にあわせて競争するのでまもなくしてネタがつきたので、私がカスケード縛りのサイモンセッズを提案した。
やりはじめるとまたまた人が集まってきて最終的にはほとんどの人が大きな輪となって参加してたようだ。10歳から50歳まで参加した(推定)サイモンセッズって楽しいなあ。またやりましょう。
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今日はジャグリバとして川端小バザーにおいて体験教室とミニステージ。
子供たちの食いつきが非常に良かった。
バザー開始前に小学校隣の公園で練習してたら、子供たちに周りを
取り囲まれてしまった。一番人気はなんといっても飯田さんのディアボロ。
体験教室も非常に人気が高く、子供たちが途切れることなし。
ボールジャグリングにはまった子もいて、午前中から練習始めて
午後には8キャッチ程度まで到達。その間折を見て色々指導。
それにしても早い。私はそこまでいくのに丸々二週間はかかってるはず。。
体験教室の人気アイテムは1番が皿回し、2番がディアボロ。
皿回しは大人まで一生懸命回してた。やっぱり入りやすいという
ところがポイントですかねえ。
ミニステージは全体で30分程度。私は傘回しで参加。
行った芸は次のとおり。
・バランス芸
手のひら、肘の内側、肘の外側、親指、頭上、鼻上、顎上
・傘回し
鞠、鞠の投げ入れ、ジャンプ、乱回し
金輪、五百円玉
ヌイグルミ、ビーチボール(サッカー)
一合枡、五合枡、鼠の桁渡り、一合枡+五合枡
五百円玉までは新傘、そこからは旧傘で行った。
旧傘では五百円玉をまわせず、新傘では枡がうまく回らず
ということで苦肉のパターン。傘のテンションが微妙に利いて
るのだよなあ。
これだけ寒いのに冷や汗かいてしまってバランス芸で傘がすべる;_;
バランスはまだまだ修行が必要。
思いのほかビーチボールの受けが良かった。でかいと映えるんだろうなあ。
昼間は暖かなソウル、ちょっと南へ行ってライオンキングを観劇。
ライオンキングはロッテワールド隣のCharlotte Theaterで最近
オープンしたばかり。劇場の周りは広い歩道になっていたので
じゃぐる。1アップピルエットをしただけで拍手をもらった(^^;)
皆みたことないんだろうなあ。
劇場入り口前の歩道で弟子とふたりで記念撮影。弟子はまだボール
2個を練習している最中、撮り方の問題で両手に握り締めている
写真になってしまったが、一応がんばって投げていた。
ライオンキングは、キャストが若くて演じているのが楽しくて
ならないということが客席まで伝わってくる良い舞台だった。
客の反応も上々。見るなら韓国オリジナルキャストの今だろう。
劇団四季の息がかかっていることにより?黙殺されがちな舞台だけ
れどちょっともったいない。もっともチケットの売れ行きは相当
良いみたい。
「サーカスの系譜と現代サーカスの布置」講義録
題名:サーカスの系譜と現代サーカスの布置
日時:2006年11月16日18:00-19:30
場所:学習院大学西2号館501号教室
学科:学習院大学大学院人文科学研究科
講座:身体表象文化学プロジェクト、公開連続セミナー「演劇と躰」(第2期)
講師:藤井慎太郎(早稲田大学文学学術院助教授、演劇学・舞台表象論)
☆「サーカス」の語源
ラテン語のキルクス"circus" 15万人程度収容できる巨大な長円形スタジアム
☆サーカスの歴史
・ローマ時代
馬・戦車の競走や曲馬芸の見世物
・中世以降
軍人の台頭等で馬術をたしなむ層が増えることで馬術が発達
街頭や縁日芝居を伴う市で軽業や動物曲芸などの大道芸
宮廷フール、イタリアのコンメディア・デッラルテから発展してクラウン
この当時、演劇もサーカスも劇場を持たず街頭で演じていた
・近代サーカス
フィリップ・アストリーによる1768年のロンドン馬術ショーが発端
サーカスの基本は「曲馬術」同時に直径13mの円形舞台が確立する
1782年にパリにもアストリーの常設劇場がつくられ、弟子のチャールズヒューズが
はじめて「サーカス」を名乗る
・19世紀
曲馬芸、軽業、空中芸、マイム芸、クラウン芸、動物芸を取り込み原型を完成。
映画以前のエンターテインメントとして大人気。
当時演劇は観客が戯曲を読んでいる(文字が読める)ことが前提だった。
その点サーカスは誰でも楽しめるもの。
フランコーニ、ブーグリオーネ、フラテリーニ、グリュスなどのサーカス一家の登場
テント巡業も一般化(今でもテント巡業あり)
パリにはこの近代サーカスの形態を持つ「冬のサーカス」という常設サーカスが今でもある。
・第二次大戦後
映画やテレビの登場で人気凋落
家族による芸の伝承、家族のみの経営による行き詰まり(新機軸が打ち出せない)
有名サーカス団の倒産相次ぐ
☆現代サーカスの誕生
・先駆者
前衛演劇人からのアプローチ(メイエルホリド、サヴァリ、タゲ。。)
・1974 アニー・フラテリーニがサーカス学校解説。
外部からの人材取り込みが可能となる
・1979 シルク・アリーグル結成
バルバタス(ジンガロ)やピエロビドン(アルカオス、バイクサーカス)などが集まる
・1984 シルクドソレイユ成功
冬が寒すぎてテント移動できないためサーカスがなかったケベックにサーカスを作った!
・1986 国立サーカス学校開校
シルク・イシ、モーヴェ・ゼスプリ、アノマリーなどのカンパニーを生み出す
☆現代サーカスの特徴
・内容の専門家・焦点化(人間とその体への集中、ジンガロの場合は馬へ集中)
・特定芸への特化(レ・ザール・ソーの空中芸、レ・クザンのクラウン、ジンガロの馬術)
・上演規則の相対化(動物の排除、円形劇場以外での上演)
・洗練(ステージデザイン・衣装・音楽に関する芸術的洗練)
・統一性(オムニバス形式からより統一性を重視した作品へ)
・規則を守らねばならない遊びから規則を作り出す遊びへ
☆サーカスと文化政策(フランスの場合)
・1974 サーカス学校開校
・1979 サーカスの所管官庁が農業省(動物がいるから)から文化省へ。
・1983 国立サーカス芸術センター創設
文化予算が倍増され、いままで芸術とみなされていないサーカスにまで予算が行き渡るように。
・2002 サーカス年 サーカス芸術地方拠点整備
☆サーカスからサーカスを超えて
・円形舞台(平等な空間、観客の視線を集中させる)
・遊戯性(学歴や金がなくても楽しめる)
・極度に訓練された身体(不可能を可能に、俳優やダンサーでは不可能なことが可能に)
・高度な視覚性(スペクタクル)
・サーカス芸人(アウトロー、遊牧民的生活、雑多な人間の共同体)
社会と芸術の周縁におかれているからこそ、社会に批評的な距離を保つことができる
・大道芸刷新の動きとも呼応しながら現代演劇・現代舞踊にも影響を与える
身体芸術の境界流動化、互いに影響しあって新しい作品ができつつある
○映像鑑賞
近代サーカスの典型(虎使い、馬の曲乗り)
ジンガロ(曲馬)
シルク・イシ(一人パフォーマンス)
レ・ザール・ソー(空中ブランコ)
以上
題名:サーカスの系譜と現代サーカスの布置
日時:2006年11月16日18:00-19:30
場所:学習院大学西2号館501号教室
学科:学習院大学大学院人文科学研究科
講座:身体表象文化学プロジェクト、公開連続セミナー「演劇と躰」(第2期)
講師:藤井慎太郎(早稲田大学文学学術院助教授、演劇学・舞台表象論)
☆「サーカス」の語源
ラテン語のキルクス"circus" 15万人程度収容できる巨大な長円形スタジアム
☆サーカスの歴史
・ローマ時代
馬・戦車の競走や曲馬芸の見世物
・中世以降
軍人の台頭等で馬術をたしなむ層が増えることで馬術が発達
街頭や縁日芝居を伴う市で軽業や動物曲芸などの大道芸
宮廷フール、イタリアのコンメディア・デッラルテから発展してクラウン
この当時、演劇もサーカスも劇場を持たず街頭で演じていた
・近代サーカス
フィリップ・アストリーによる1768年のロンドン馬術ショーが発端
サーカスの基本は「曲馬術」同時に直径13mの円形舞台が確立する
1782年にパリにもアストリーの常設劇場がつくられ、弟子のチャールズヒューズが
はじめて「サーカス」を名乗る
・19世紀
曲馬芸、軽業、空中芸、マイム芸、クラウン芸、動物芸を取り込み原型を完成。
映画以前のエンターテインメントとして大人気。
当時演劇は観客が戯曲を読んでいる(文字が読める)ことが前提だった。
その点サーカスは誰でも楽しめるもの。
フランコーニ、ブーグリオーネ、フラテリーニ、グリュスなどのサーカス一家の登場
テント巡業も一般化(今でもテント巡業あり)
パリにはこの近代サーカスの形態を持つ「冬のサーカス」という常設サーカスが今でもある。
・第二次大戦後
映画やテレビの登場で人気凋落
家族による芸の伝承、家族のみの経営による行き詰まり(新機軸が打ち出せない)
有名サーカス団の倒産相次ぐ
☆現代サーカスの誕生
・先駆者
前衛演劇人からのアプローチ(メイエルホリド、サヴァリ、タゲ。。)
・1974 アニー・フラテリーニがサーカス学校解説。
外部からの人材取り込みが可能となる
・1979 シルク・アリーグル結成
バルバタス(ジンガロ)やピエロビドン(アルカオス、バイクサーカス)などが集まる
・1984 シルクドソレイユ成功
冬が寒すぎてテント移動できないためサーカスがなかったケベックにサーカスを作った!
・1986 国立サーカス学校開校
シルク・イシ、モーヴェ・ゼスプリ、アノマリーなどのカンパニーを生み出す
☆現代サーカスの特徴
・内容の専門家・焦点化(人間とその体への集中、ジンガロの場合は馬へ集中)
・特定芸への特化(レ・ザール・ソーの空中芸、レ・クザンのクラウン、ジンガロの馬術)
・上演規則の相対化(動物の排除、円形劇場以外での上演)
・洗練(ステージデザイン・衣装・音楽に関する芸術的洗練)
・統一性(オムニバス形式からより統一性を重視した作品へ)
・規則を守らねばならない遊びから規則を作り出す遊びへ
☆サーカスと文化政策(フランスの場合)
・1974 サーカス学校開校
・1979 サーカスの所管官庁が農業省(動物がいるから)から文化省へ。
・1983 国立サーカス芸術センター創設
文化予算が倍増され、いままで芸術とみなされていないサーカスにまで予算が行き渡るように。
・2002 サーカス年 サーカス芸術地方拠点整備
☆サーカスからサーカスを超えて
・円形舞台(平等な空間、観客の視線を集中させる)
・遊戯性(学歴や金がなくても楽しめる)
・極度に訓練された身体(不可能を可能に、俳優やダンサーでは不可能なことが可能に)
・高度な視覚性(スペクタクル)
・サーカス芸人(アウトロー、遊牧民的生活、雑多な人間の共同体)
社会と芸術の周縁におかれているからこそ、社会に批評的な距離を保つことができる
・大道芸刷新の動きとも呼応しながら現代演劇・現代舞踊にも影響を与える
身体芸術の境界流動化、互いに影響しあって新しい作品ができつつある
○映像鑑賞
近代サーカスの典型(虎使い、馬の曲乗り)
ジンガロ(曲馬)
シルク・イシ(一人パフォーマンス)
レ・ザール・ソー(空中ブランコ)
以上