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初老初級ジャグラーの日記です。 ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。 技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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今日からEJC2010!!会場から歩いて5分とかからないホテルをとったのでとても楽ちん。



目の前に見える体育館まで歩いていく。今日はとても寒い(涙)
まずはレジストレーション。ヨーロッパ以外のカウンターで手続き。



手にEJC2010の参加証バンドを巻いて金具をがちゃん。一週間これをはめっぱなしにするのね。



会場はEJC2008のドイツと比べるとかなりこじんまり。体育館の中に練習スペースと
ステージ、それにジャグリングショップのブースあり。
さすがに初日ということでさほど人も多くなく、久々にこってりと練習。



咥え撥で帽子をたてているひとがいてびっくり!。明日も練習していたらもうちょっとよく
みせてもらおう。

最後は体育館2階のカフェDIaboloでひとやすみ。





さあ明日は事実上の初日。パレードだ!


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こんにゃくえんまと小石川伝通院が中心となって開催されている文京朝顔・ほおずき市

大道芸ステージも二箇所つくられていました。
所用があってみれたのはふたつだけ。


GちょこMarble

ハンドトゥハンド、ビッグバルーン、椅子積み曲芸で30分。

ハンドトゥハンドはきれいにきまっていたのですが、シャッターチャンスを間違えたOrz



バルーンは楽しい。



椅子積みは迫力ありますねー



お疲れ様でした。



次は次はJuggler Labyさん。

ディアボロ、コンタクトでウォームアップして、クラブ3・5 、チョップでオトピタっていいですねえ。ステージ後方から見てると子供たちの視線が吸い寄せられていくのがわかって興味深い。



はしごのりクラブ、ボール3,5,7。



バランス芸がはいると迫力が増します。
最後ははしごの上に直立!



ハッピー吉沢さんはほとんど見れず。冒頭の2分ほどステージ前に佇んだだけ。この炎天下で歌舞伎の格好はお疲れ様です




書名:お神楽初恋巡演記 [単行本]
著者:吉岡 義三 (著), 土佐 行作 (編集)
出版社: ツーワンライフ (2009/11)
ISBN-10: 4924981699
目次:目次
 小学生時代に門打ち
 ほめられた「三番叟」
 ホラ貝を吹き権現舞
 毎晩、大勢の見物客
 鬼神のお松役で女装
 神秘的な「山の神舞」
 家堅めには山の神舞
 長倉で三日連続の神楽
 珍しい獅子追いの風習
 戸草内でいろんな芸披露〔ほか〕



著者が昭和22年から23年にかけて巡業した際の手記。
神楽舞21演目、狂言11演目をレパートリーとしていた。
宿探しのトラブル、人々の歓待、モテ期到来など当時の雰囲気がよく伝わってくる。
これはたいへんな仕事ですね。

題名:図説 庶民芸能・江戸の見世物
著者:古河 三樹
出版社: 雄山閣出版; 〔新装版〕版 (1993/04)
ISBN-10: 4639001312
内容:(「BOOK」データベースより)
江戸は両国広場や浅草奥山、上野山下の広小路。大阪は梅田、千日前、道頓堀、難波。京都は四条河原、名古屋は大須観音など、人びとはそこに集まって、見世物の世界に浸りその活力を発散…。最高に親しまれた大衆娯楽。

庶民芸能 江戸の見世物

35P
曲鞠
曲鞠は散楽とともに伝来したもので、室町時代に蜘舞の法師などが縄を高く一筋はって、その上を
片足鞠をしてわたったという記録がある
江戸時代、京都の住人外良右近、寛永・正保のころ曲鞠興行をした

ところが蹴鞠の師範である飛鳥井家から訴えがあって、伊豆の大島へ遠島になったと「玉滴隠見」に
見えている。このことが足鞠から足手鞠への転換点となった
「足で往来を招く曲鞠」と評判だったのが手を使うようになった。
元禄ころから江戸芝神明社地で、膏薬と歯磨きを売り、愛嬌に曲鞠を演じて名高かった三条小六が
あり、安永年間にはその流れを汲む小かんという女太夫が人気を呼び「なにぶん女ならでは夜の明
けぬ国、小かんが曲まり評判いちじるしく、見る人いずれも涎を流す」と「当風見聞草」に記されている

天保12年(1841)3月28日から浅草寺観世音開帳に京下りの菊川国丸というものが曲手鞠を公演、
曲名は「菊川曲手鞠報条」に
乱杭渡り、中づり、文字書き、梯子登り、八ツ橋、冠付け、摘み鞠、襷がけ、指廻し、下り藤、八重桜、
足袋脱ぎ、扇子どめ、負ひ鞠、平た蜘、煙草呑み、滝流し、花生、高鞠

見物人は日に数千人もあり、給金も1日5両。夜毎に吉原で豪遊の結果、大盗の嫌疑で寺社奉行に
召し捕らわれ興業中止となったのは飛鳥井家からの幕府へ内請があったためといわれている。
その後見世物としての曲鞠は廃絶。

P37
枕返し

「一種弄枕あり、木枕10個を以て堅に相重ねて之を捧ぐ。恰も一柱の如し。中に好む所の枕を抜き
取る。数次皆然り。数品の弄枕あり」
(正徳版「和漢三才図会」弄丸の條。
寛文から延宝へかけて行われていたのは、寛文4年作の「出来斎京土産」四条河原見世物の条、
「後撰夷曲集」(寛文12年版)
「季吟二十会集」(寛文12年版)
「山の端千句」(延宝8年版)などにみえ
延宝8年版本「江戸向の岡」に「ほととぎす枕返しを玉之助」とある。
宝永2年(1705)興業「傾城反魂香」には大津絵の画材となった。
文化2年(1805)春、江戸春東両国で興業の大阪下り女軽業太夫玉本小金の絵番付に
枕返しの曲芸を載せているだけである。

P44
蜘蛛舞の記述がある

P111
カンカンノウの記述がある

書名:猿まわしの系図
著者:飯田 道夫
出版社: 人間社 (2010/03)
ISBN-10: 4931388582

内容(「BOOK」データベースより)
猿にこだわり続けた著者が、中世以降の文献、史実を地道に検証し、30年以上の研究成果を経てたどり着いた「猿まわし」の正体とは―これまで賎民の雑芸といわれてきた猿まわしとは、芸能か、神事か。その系図をたどり、従来の学説が見逃してきた真相に迫る。



著者の履歴がおもしろい
KLMオランダ航空に30年勤めたあと、遺跡発掘に従事とある。
この本は、この分野に珍しく?ほとんどすべての記述ごとに元となる参考文献があげられている。
そのおかげで物語としてはかなり読みにくいのだが、そのかわり自分で色々確認することができるのでうれしい。色々な絵本などからとられた猿回しの絵も興味深い。
この本の本質は、7章「猿回しの実体」。
ここでなんと「猿楽は散楽がなまったものではない」と主張している。
日吉大社の古神事につかわしめとされた神猿を使った、天台密教系の降魔法が(止魔田楽)あった。その神事の猿をつかったのが猿回しの祖。降魔法は真猿にごへいを持たせて舞をさせ、魔を払うというようなもので、それには猿の直立歩行が不可欠。その教育が難事であったことから、神社の人が猿に扮して代行するようになる。猿に体型の近いこどもなら、なお好都合であったろう。これが猿面童子というわけである。
正月の祝福芸は千秋万歳と猿舞であった。
千秋万歳をおこなっていたのは陰陽師であり、陰陽師が猿楽狂言を行っていた。
男踏歌から千秋万歳が生まれた。
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