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初老初級ジャグラーの日記です。 ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。 技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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ZED






題名:ZED(ゼッド)
日時:2009年12月10日15:00-17:06(途中休憩あり)
劇場:シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京
料金:プレミアビュー15000円
座席:Cブロック6列50番(中央前方ブロック6列目右より)
URL: http://www.zed.co.jp/home.php
Guide and Founder: Guy Laliberte
Artistic Guide: Gilles Ste-Croix
Executive Producer:Francois Macerola
Writer and Director:Francois Girard
Director of Creation:Line Tremblay
Set Designer:Francois Seguin
Costume Designer:Renee April
Composer and Arranger:Rene Dupere
Lighting Designer:David Finn
Choreographer:Debra Brown
Choreographer:Jean-Jacques Pillet
Sound Designer:Francois Bergeron
Acrobatic Equipment and Rigging Designer:Scott Osgood
Acrobatic Performance Designer:Florence Pot
Make-up Designer:Eleni Uranis
Production Manager:Michael Anderson
コンセプト:(公式Webより)
人生は冒険。そこに、 詩 ( うた ) が生まれる。
彼の名は、Zed(ゼッド)。彼が旅する世界は、天と地。そこであらゆる生命と、大いなる
女神と、スフィンクスと…命の躍動に出会います。
さまざまな経験を重ね、彼自身が成長すると同時に彼が生きた天と地という2つの世界
がひとつに結ばれます。
彼の経験と彼が生きた世界のすべてが、心で感じずにはいられないもの。
この叙情あふれる冒険の旅を通じて誰もが人間の、人生の経験の本質に迫っていくこ
とができるでしょう。
アクト:
バトン(Batons)
すべての始まり、火のまじない、二つの世界の出会い
アーティストの体と一体となり、暗闇の中で存在感を放つ美しいバトン。アクロバットとダ
ンスを組み合わせることで三つのバトンを自由自在に操り、機敏さと、類ないコントロー
ル能力で観るものすべてを魅了します。
演じるのは、出演者の中で唯一の日本人であり、バトントワリング競技で世界チャンピ
オンに輝いたトップアスリートです。

バンジー(Bungee)
天の誕生
ステージの遥か上空から四人のアーティストが飛び降りてくるバンジーパフォーマンス。
まるで熱帯魚を思わせるような鮮やかで美しいフリンジが、アーティストのアクロバティッ
クで華麗な動きとあいまって、観るものを幻想的な世界へいざないます。

ラッソ(Lassos)
地の誕生
武術の才能をもった六人のアーティストによる投げ縄のパフォーマンス。ラッソロープを
巧みにコントロールしながら披露する力強いアクロバットは、地の誕生を表しています。

ポール&トランポリン(Poles and Trampoline)
天に向かって
「ZED?(ゼッド)」でしか観られないこのパフォーマンスは、チャイニーズポールとトラン
ポリンの異なる演技を融合させました。アーティストは、天にいる妖精に誘われ空中高
く飛び上がり、躍動感あふれるアクロバットを披露します。

ソロ・ティシュー(Solo Tissue)
初めての光景
天から下がる布に包まれたアーティストが、優美なアクロバットで主人公Zed(ゼッド)を
魅了します。空中で繰り広げられるパフォーマンスは、息を呑むようなバランス力と柔軟
さがあり、劇場を幻想的な雰囲気に包み込みます。

ハイ・ワイヤー(High Wire)
炎の振り子
ステージから8メートルの高さに張られた細いワイヤーに、燃えさかる炎の振り子が揺れ
る、緊張感あふれるセットで繰り広げられるパフォーマンス。卓越したバランス感覚で、
三人のアーティストは死をものともしない跳躍やアクロバティックな動きを披露します。

ジャグリング(Juggling)
ケルヌーンの火
地中深くに存在する火の王国。そこに君臨するKernoun(ケルヌーン)と共に、ボウリン
グ・ピンやプレート、炎のトーチを使ったジャグリングで、主人公 Zed(ゼッド)を惑わしま
す。驚異的なスピードでジャグリングを繰り広げるアーティストは、サーカス・ファミリーで
演じています。

バンキン(Banquine)
バベルの塔
人間の類まれな機敏さを表現する「バンキン」は、イタリアの伝統的なアクロバット。サー
カス界の権威ある賞「サーカスフェスティバル」で受賞したアーティスト同士の信頼関
係から生まれるドラマティックな人間ピラミッドは、バベルの塔を思わせる圧巻の演技で
す。

ストラップ(Straps)
Zedの恋
2人のアーティストが、主人公Zed(ゼッド)を誘惑するゲームの世界へといざないます。
ストラップ(つり革)を使用した彼女らのパフォーマンスは、バランス力と強さのなかに繊
細さを感じ、観るものすべてを魅了します。

ハンド・トゥ・ハンド(Hand to Hand)
天と地の出会い
力強く柔軟性に富んだ二人のアーティストが、集中力と完璧なバランス感覚によって、
驚くべきポジションで観るものを魅了するパフォーマンス。サーカス界の権威ある賞「サー
カスフェスティバル」で受賞した彼らの演技は、天と地が出会う、その瞬間を表現して
います。

フライング・トラピス(Flying Trapeze)
祝祭
二つの家族で構成されるサーカス・ファミリーが繰り広げる、エネルギーあふれる空中
パフォーマンス。「ZED?(ゼッド)」では、平行に並べたプラットフォームを採用すること
で、祝祭を表すダイナミックなパフォーマンスを、途切れることなく披露します。

シャリバリ(Charivari)
祭典
アーティストたち一同が集まり、それぞれのパフォーマンスでフィナーレを飾ります。まっ
たく異なる表現をしてきたアーティストたちが、ひとつのステージ上でお互いに尊重し
あい、そして演じる様子は美しく感動的で、心を深く打つワンシーンです。

クラウン(Clowns)
天真爛漫な二人のクラウン。
一人は、すべてをコントロールしたがるが、もう一人は、ただの怠け者。
しかし、二人一緒になると、ユニークな道化者のデュオとなり、人々を笑わせ、そして感
動させてくれます。


Zed(ゼッド)はショーのメインキャラクター。
タロットカードにある「愚者」からインスピレーションを得て生まれました。天と地の世界へ
と引き寄せられたゼッドは、愚かさがあるゆえに、人間のもろさや純真さがあらわになり、
人々は心打たれます。ゼッドは、天と地を冒険することにより成長をとげ、彼の冒険によ
り天と地は一つに結ばれます。



----

舞浜駅からイクスピアリを通ってホテルを抜けて徒歩10分のところに劇場があります。
劇場前には旗を持ったスーツ姿の人多数、平日マチネのせいか団体観光客がとても
たくさんいたようです。というか個人客なんてほとんどいなかったのでは?団体さんたち
は仕事をリタイヤして遊び回っているのだろうなあというような年頃の方々ばかり、私も
早くああなりたい。
入り口を入ると左側に売店があります。ノベリティグッズ、ビデオ、CDなど、、たくさんの
客がつかんでいたのは「おかし」でした。旅の土産なんでしょうねえ。劇場内は半円形
の客席、その中心に大きな円形の舞台があります。シルクドソレイユの案内スタッフが
日本人というのはなんだか不思議な気分。やはりすごくたくさんの団体さんがはいって
おり、至る所で説明が繰り広げられていましたよ。客席の平均年齢70歳?
さすがに平日マチネ公演なので客席両端の後ろはすいてます。最前列だと舞台床の
高さが首のあたりになってしまいます。私が座っている6列目は舞台と床がほぼ同じ高
さなのでかなり見やすいのです。私より前方に座っている方々に挨拶にくる背広姿の
おじさんたちという光景がみられました。いかにも接待として使われている風情です。
このブロックの後ろには背広姿でバッチをつけたおじさんたちの集団がいくつか座って
いました。鑑賞が業務?税金使った無駄な視察でなければ良いのですが、それにし
てもここに背広でいるのってなにか服装のTPOをはきちがえているような。。。

舞台の真ん中には巨大な手帳がぽつんとありました。舞台は巨大な青い布で全面が
カバーされています。通常のシルクドソレイユならば開場直後から見られる、クラウンの
客いじりは開演7分前から始まりました。手すりにあがってお客さんと握手!おばさんを
つれまわしていって最後はハグ。次にいじったカップル相手には見事にすべり、かなり
引かれている感じ。笑いは時折でるんですが、客に何かをさせようとしてもうまく伝わっ
ていないようでしたね。



オープニングはライトバトン。唯一の日本人キャストが最初に登場です。いやーかっこ
いい。他の演技も見てみたい。狂言回し?のZEDはイケメンキャラクター、どういう筋書
きなのかわかりません、というより気にしてませんでしたよ。
歌姫は舞台上方から登場、蝶のような妖精のような雰囲気。バンジーは
腰の両側を伸び縮みするごむでとめてくるくる、一人ブランコとの組み合わせでした。



次はラッソー、トリックロープで中国人キャスト、そういえば中国か台湾のジャグリング
大会1位がトリックロープだったことがありましたっけ。
縦回しで自分の体の前で輪をくるくる、ループの直径が140cm程度だと思うので、
ロープの長さは17から18フィート?縦回しを同じ方向で継続しているのでロープがよじ
れていくはずなのですが、方向を変えません。手元でよじれがとれる所謂イージーロープ
かと思って目をこらしても見えない目の悪さ、、ああ双眼鏡を持ってくれば指の動きが
わかるのにOrz 同じロープを使っている間はループのサイズはかわりませんでした。
ひょっとしたらループで結び目をつくってしまっているかも?バタフライ、ループを上に
あげてウェディングリング、そしてリングが上下、さがったときは手の切り替えが忙しい!
ループを脇で回しておいてトンボをきるのもきれい。
たぶん30フィート程度のロープで巨大ウェディングリング、そしてその中で他のキャスト
がトンボ返り!リングへトンボ返りで飛び込むとかジャグリングではなくアクロバット技
に近いものになっていました。基本的には縦のループ、ウェディングリング、テキサス
スキップ、の基本のトリックロープ技にトンボ返りのような体術を組み合わせて魅せる
パターンでしたね。

ポール+トランポリンはおもしろい組み合わせです。棒に上ってぼよよん、でまた棒の
上の方に掴まります。棒を蹴って方向転換もあり、ポールだけの時と比べて技のバリ
エーションがぐんと広がった感じです。この組み合わせの発展を望みたいです。

ハイワイヤー(綱渡り)は、頭上のロープの真ん中に火のはいった振り子、この
振り子の下にねそべる、寝そべった上をジャンプ!
肩車して綱渡りもはらはら感を増します。最後はロープ上でトンボ返り、
一回失敗して落ちかけ、二度目で成功!失敗が難しさをより強く感じさせます。



ジャグリングはロシア人キャストでクラブパッシング、ちょっとだけテイクアウト。2対2、
4対1、肩車して2*2など。さすがに動きがきれいで無駄がなく安定しています。
安心して見せるすごい技術なのだけれど、あっと驚くようなものはないというか。
最後は火のついたトーチでパッシング、ファイヤーによるパスの間に4人たって、
そしてパッサーと立った人が一緒に動く。。後ろでファイヤーバトンがくるくる、
そのうえ色々な異形のものたちがトーチをふりまわし。これが1幕のフィナーレでした。



2幕の冒頭は、組体操、総勢14人のうち女性が2人、女性と比較的小さい男性が上
になります。逞しい男性たちが土台となってそこから人間がびゅーんと飛び出す感じ。
ぴゅーんと飛び出してもう一つの土台の方に着地!びゅーんと飛び出して逆立ちで
着地!男がずらりと並んで杭が並んでいるようになり、その上を歩く乱杭渡りに近い
芸もありました。もちろん縦へ高く肩車の積み重ねも。

次は再びバトンのソロ。コンタクトバトンとでも言う技多数、いろんなところで回るんで
すねえ。舞台を見た直後に書いたメモに「首だけで回す!」とあるのですが、どんな
技か忘れました(^^;)バトンの回転は全然見て取れない情けない目なのですが、床に
投げつけてはずませて、きれいに手元に戻るのにはびっくり。最初は1本、次に2本
で演じていました。当たり前なのですがやっぱり1本の方が見た目の動作の自由度
が大きいですね。より多く表現ができるように思えました。でも2本の方が断然派手。
最後は3本、普通のカスケード、ヘリコプタースピンでカスケード、522で高速振り回
し。私が一番好きだったのは1本の演技だったような気がします。

膝代わりともいうべき芸がハンドトゥハンド、静の芸で気分転換。しかし地味です。。
トリは空中ブランコ、ブランコを2列、キャストを2倍にして、交互に技を出すことにより、
途中の休み時間をなくしていました。これは迫力が倍増!ずっと手に汗握って
いる感じでした。

休憩を含んで2時間6分の上演時間は他のシルクドソレイユ公演よりもちょっと短め、
もうちょっと見ていたいなーという気持ちで帰途につきました。しかしこれが日本に
常設なんですからすごいことですよねえ。もうすこし日本人キャストが増えて、日本
からの発信基地になってくれることを祈ります。

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昼練最中に、三々五々人が集まってきて気がつくと4人で廊下の片隅でボールを投げるの図(汗)
皆やろうと思ってくれるのは嬉しい。さてこれからどうしたものだか。
書名:サーカス―起源・発展・展望
著者:エヴゲニィ クズネツォフ
出版社:ありな書房 (2006/12)
ISBN-10: 4756606946



P9
サーカスの円形アリーナをマネージュと言い、直径13mである
馬のアクロバットを行うために円形の空間となった。

P12
マネージュにおける鞭は合図として使われる。馬が一定のテンポを
保って正確なリズムで走るために鞭で馬のテンポを制御している

P20
16-17世紀において曲馬が少なかったのはまず経済的事情による。
維持費はかかるし、興行の中断などで耐えられねばならない。
調教師や馬上のアクロバット芸人は少なくとも「資本家」でなくてはならない

P21
18世紀なかばで曲馬が受けた理由の仮説。
産業革命は、下層芸術の需要者だった定期市や市場を衰退させ
そのため広場の見世物が息絶えてしまった。必然的に皆都市に向かって

P139
合戦パントマイムドラマから、本来の意味の演劇にまで変化していった
「悪魔の薬」はレパートリーごたまぜの舞台だった。

P164
若いドイツのサーカスが勝利した理由は、狙いを変えたてんにある。レンツの
サーカスは社会の特権層ではなく、プチブルと都市の市民層に照準を合わせた。
パリで主導権を握っていた観客に比べて社会構成が等質で庶民的な層を念頭においた。

P176
60年代初頭のアメリカの移動サーカスは、当時は田舎しか回っていなかったヨーロッパ
の移動サーカスとは相当に趣を異にしていた。アメリカのサーカスは一大企業であり
規模においては常設サーカスそのものであって地方を巡っていく移動大テントサーカス
という新しい形態をとっていた。

P191
ロシアで普及していた組み立て式のテントサーカスは同業者の間では、アメリカ人を
まねてシャピトーサーカスとよばれていた。米国の場合規格化し、組み立て部品を
建築技術的に正確に作り上げていた。ロシアにシャピトーが発達したのは、貧困と
組織力の弱さが理由になっており、家内工業的な手作りのものであった。

P193
ニキーチン兄弟一座の核をなしていたのはロシアの芸人たちであり、中でもピョートル
ニキーチンが群を抜いていた。彼は曲乗り、馬上のパントマイム、早代わり劇、新形式
の馬上アクロバット、さまざまな道具を使った軽業、床でのジャンプなんでもできた。
ジャグリングと馬上のアクロバットをこなす、ロシア最初のジャグラーのひとり
ミハイル・パシチェンコは当時ニキーチン兄弟のところで芸人としての一歩を踏み出していた。

P202
ジョッキー芸はイギリスで生まれたとされている。中部ヨーロッパで曲馬師のシャルルスレザク
によってはじめて披露されたのは60年代末である。
アクロバットをくみあわせたもので常にジョッキーの服装をしていた。ジョッキー跳びという
独特な曲芸あり。

P207
生活の中で馬がきわめて重要な役割を果たしていた20年代には生活がそのまま寸劇の材料
にもなっていた。馬車駅や馬術学校、駅逓馬車や馬市が生活の身近にあり若いサーカスの
源になっていた。しかし80年代近くにあると、だめになる。馬の調教で再現できるような
現実生活はもはや見出しがたかった。

P218
19世紀末には馬のサーカスは主要レパートリーの地位からサーカスを構成する多くの要素
の中のひとつという地位に落ち、そのさい、高等馬術や馬上のアクロバット、調馬などの
分野における表現は技術面で複雑さを増し、動きをダイナミックにして支配階級の
スポーツ的関心にますます近づけた。

P220
オーギュストは70年代にどこからともなく自然に生まれた。誕生した当初のオーギュスト
は滑稽でのろまなユニフォーム着用者として登場しており、着飾って登場しかっこよく
きびきびとした芸を披露していた芸人たちとは好対照をなしていた。

P227
シャリヴァリー---道化芸の第一段階でもっとも簡単な形式。シャリヴァリは集団でおこなう
演目であり、跳躍の訓練を受けた芸人たちがクラウンやオーギュストの衣装をまとい、本物
のクラウンなどの後に我先にと飛び板から跳躍していくもの。

P228
次の段階はルプリーズであり会話は小芝居。「蝶々取り」というシャンバリエールの先に
蝶の紙を結びつけてそれを捕まえに行くという演技、いつまでたっても蝶はつかまらない。
マイムとアクロバットを活用した」演技では愚図で近眼であることになっていた。


P274
日本人アクロバット芸人
日本人アクロバット芸人とは独立したひとつのジャンルであった。
彼らはいぶし銀の龍を刺繍した紺青色の裃を着てマネージュに登場するのを常としており、
細かな花模様がついた紺青色の布を絨毯の上に敷いて演技をする。
うやうやしくお辞儀をすると、裃をぱっと脱ぎ捨て、絹の胴着と膝までの袴といったいでたち
になる。民族色豊かな離れ業の最初は、垂直に張った綱をよじ登るものである。日本人は
ヨーロッパ人のように手で登るのではなく、手と足の両方を使って登る。よく発達した
足の指と足袋を利用して、手足双方で綱につかまり、垂直の綱をかなりの高さにまで
猿のように登っていく。
離れ業の第二は、45度という急勾配で張った針金を登り、上端でバランスをとったあと
後ろ向きで猛然と滑り降り、観客の度肝を抜く
第三は下役が支えたしなやかな竹ざおの上でのバランス芸と吊り下げられた短い竹の上で
3,4人が演じるバランス芸である。
第四は足芸である。力強さやダイナミズムを売りものとしたこのジャンルでもヨーロッパ人
とは異なり、日本人アクロバットはもっぱらバランス芸の繊細さやきわどいバランス、手の込んだ
衒いを狙っていた。

P284
ジャグラー
ジャグリングもいまや転換期を迎えていた。厩舎との結びつきから離れ、隣接するアクロバット
的ジャンルからも分かれ「かけもち」を拒もうとしていた。そしてもっぱら自らの分野にのみ
狭く専門化し、形式面をすっかり刷新し、技術面の著しいレベルアップを図っていた。
小道具や、小道具に規定された特徴しだいで、ジャグラーは、バランス系ジャグラー、
強力ジャグラー、クラフトジャグラー、サロンジャグラーへと分化していく。

P288
サーカスから若き軽演劇がとりこんだものの第一はスポーツアクロバットである。
この場合は日本人アクロバット芸人からジョングルールにいたるまで全てのだしものを
マネージュから舞台へ容易に移すことができた

P291
サロンジャグラーは頭の先から踵まで、サロンやレストラン風の小道具から容姿にいたるまで、
全ての点で典型的であり、徹底していた、彼は上流社会のダンディな道楽者を表しており、
燕尾服姿でエレガントに登場する。彼をアシストするのはナイトガウンを着て、この演技に
巧みに加わることになる粋な女性化、ひどく軽薄だが魅惑的に肌を露出した女性である。
脇の下にナプキンをはさんだ召使や馬丁あるいは女性帽子店やレストランのボーイも手伝う。
彼はレストランか酒場らしき舞台装置で演技し、ブルジョアの観客にとってはおなじみの
日用品ーシルクハット、ステッキ、傘、葉巻タバコ、時計、昼食の献立表、シャンパンの瓶、
フルーツとナイフ、サラダボール、皿、ビリヤードのキューと玉、を使い、時にマーチや
タンゴ、フォックストロットなどにあわせて曲芸をする。
アンリ・アグスト、カラ、ウィリー・パンツァーとその仲間たち、そしてペレツ・アンサンブル
は1880年代から1900年代にかけての代表的なサロンジャグラーである。
アンリ・アグストはレストランーサロン風の軽業の発案者であり、自作の「定食」や「パリの
レストランの一場面」を売り物にしていた。軽演劇舞台を考えて構成されたこれらのだしもの
ではアグストが、レストランらしき舞台装置に、一杯機嫌の初老の道楽者姿で、娼婦の手を
とって登場する。客をみつけてよろこんだ給仕と給仕長は食事の用意を始めるが、食卓の
品物を使ってジャグリングを行う。皿や果物、コップやナイフはテーブルに出される代わりに
投げ上げられ、放物線を描いてテーブル上に落ちる。年老いた道楽者とその陽気な連れは
次第に給仕と給仕長のしていることに誘い込まれていく。レストランの小部屋全体に物が
飛び交う中で、年老いたいたずらものは疲れも見せず、隙を狙って糊のついた白いテーブルクロス
を食卓からすばやくはぎとろうとする。給仕たち全員がそうはさせじとテーブルめがけて
突進するが、客はみごとにテーブルクロスをはぎとり、食卓の品はかすかに動いただけで
そのままテーブル上に残る。
ウィリー・パンツァーとパートナーたちは、アグストのだしものを「レストランの調理場
の一場面」へとつくりなおした。また第一次大戦前の時期には他にぬきんでていたペレツ
一座はこれと同じ性格の出し物「レストラン<マクシム>での晩餐」によって名を馳せた。

P292
テニスジャグラーとインディアンクラブジャグラーは前世紀末のもっとも典型的な
スポーツジャグラーである。前者はテニス用の服装をし、ラケットとボールを手にして
グラウンドにいるかのように芸を披露した。それにたいして後者は色とりどりの金属板
で装飾されたインディアンクラブを使ってジャグリングをおこなった。

P356
公証契約
1870年代に登場した契約書には雇用側にはあらゆる権利を与えるのにたいし、芸人たちには
あらゆる義務を課し、権利は一切あたえないというものであった。


P366
芸人の国際的連帯を実現したのは「国際芸人センター」 Internationale Artisten-Loge
である。略称IAL,1901年にベルリンで組織。ここを拠点として自分たちの権利獲得のために
戦うことができた

P388
サーカスと軽演劇の混成
だしものは「パントマイムイントロダクション」と呼ばれる独特なマイム演技で始まるように
なった。演技者が自然にフットライトの前に飛び出し無理なく曲芸にうつるのを助けるもので
あった。
パントマイムはだしものの曲芸的部分に常に伴うようになり、10-12分マネージュにでる芸人
が5-6分を本芸にあて、同じほどの時間をパントマイム的場面に、つまり長いポーズを駆使
しなあら演劇的に展開される演技にあてることもまれではなかった。技術的にはとりたてて
言うほどのこともない一般的なだしものが評判をとり、そのために時にはうまく舞台化
され演じられることもあったパントマイムが核となり、曲芸は添えものとなっていった。

P403
第一次大戦まえの最先端のスポーツ器具だった空中駒を使ったジャグラー

P439
レスリング
グレコローマンレスリング選手権もだしものとなっていた

P474
ジャグリングの分野では、やや意外なことにジャグラーの術をその純粋な古典的形式に
戻したエンリコラステリの登場と活躍もあってか、ちょうど逆の傾向が優勢である。
ブルジョア的環境の中で活躍し、日常生活品をもとにしたかさばる小道具を使っていた
近代のジャグラーたちに対抗して、エンリコラステリはジャグラーのバランス芸的技能
を重視し、主に短い棒とゴム鞠を使った。小道具もその使い方も日本の芸人から借用
したものであったが、ラステリはそれにかなり手をくわえて大成功をおさめた


P475
もうひとつのながれはテーマ上の動機付けと客席のさくらの助手や多彩な音の組み合わせ
といった豊かな演技形式に頼る、エクサントリックジャグリングの方向に進んだ。
リッチ・ハイエズ、(1924年から25年にソ連の国立サーカスに客演した)キング・レップ、
それに(1925年から26年にソ連の国立サーカスに客演した)マック・タークがこの流派
の代表に数えられる。

P513
第一にサーカスとは、イデオロギー的実践のうちの特殊な一形態である芸術の中の一部門
である。第二にサーカスの演技は決して「下層の庶民的な」芸術ではなく、支配階級の
イデオロギーを独自の手段で具体化してきた芸術である。第三にサーカスとは十分に自立性
をもった芸術の一部門であって、独自の特徴をもっており演劇の派生物ではない。
今日は太神楽教室の日。おこたんぺさんが見学にこられた。
日本のコンタクトジャグリングを国外に紹介したいという思いのもとで、
日本の伝統芸コンタクトである一つ鞠にも少し触れたいとのこと。
親方にお話をして快諾をえて、親方はじめお弟子さんたちから一つ鞠の技を一通り見せていただいた。
ひとつひとつ名前を言いながらの演技だったので、私も耳ダンボ。
えーそんな技の名前があるなんて知りませんでしたよー、などというものもあり。やっぱり名前は大切だと思う今日この頃。

また今日は老夫婦が学びにこられていて、なんと奥様が獅子舞の勉強。私よりかなり年上?なのにまだまだ学ぶ姿には感銘を受けました。歳だから全然覚えられないとか、練習してもうまくならないなんて言っていたらばちがあたりますね。

書名:芸能の人類学
著者:姫野 翠
出版社: 春秋社 (1989/10)
言語 日本語
ISBN-10: 4393424514
目次:
第1章 呪術から芸能へ(呪術と芸能、芸能をになった人々)
第2章 芸能に見る東と西(舞踊の展開、東の音楽・西の音楽)
第3章 これからの芸能

71-74P
日本においては小正月(1/15)と盆(7/15)はマレビト来訪のラッシュ日
である。小正月において、異形の訪問者がやってきて、人々の歓待を
受け、邪を祓い、予祝をしていずこへともなく去っていくという形の
行事はほぼ日本全土にわたって存在している。能登のアマメハギ、
因幡のほとほと、岡山ー広島のコトコト、高知のカスズリ、ラオス
のフー・グヌ・グナ・グヌ、メラネシアのドゥクドゥク etc.
行事に共通しているのは,秘密結社・年齢集団的な要素、そして扮装。
ほとんどが仮面で顔を覆い、蓑または蓑状のものをつける。
顔を見せないのは個人の特徴を消し、蓑は神や精霊の依代となる。

95P
除災のために出発した念仏踊もだんだんと見た目のよさにこだわる
ようになり、風流化した。風流とは中世から近世において様々な
祭を豪華に、派手にするために作られた、小歌と踊りを主にした
芸能である。

98P
ジプシーと呼ばれている者はもともとインド北西部、現在の
パーンジャブ州からラジャスターン州にかけて住んでいた。
それがなんらかの理由で6-7世紀ごろ西に向かって移動を
開始する。インド→パキスタン→アフガニスタン→イラン→トルコ
→東ヨーロッパと7世紀以上かけて移動した。

102P
中世のヨーロッパには教会とは全く関係なく、世俗音楽を演奏する
芸人がいた。最下層に属するジョングルールは創作をせずに、他人
の歌を歌い、手品・曲芸動物使いなど万能芸人だった。
ミンストレルはジュングルールより上位にあって、創作もした。
貴族の館に召抱えられて、音楽をもって主に仕えていた。

139P
インドでは大地を踏みしめて精霊を目覚めさせ、豊かな恵みを約束
してもらうための、地の神との対話が、足が地についた、踏みしめる、
ステップを大切にする踊りを発達させた。

189P
長調=明るい、単調=暗い、は「西洋音楽の価値体系が通用する
世界」においてのみ正しい。斉太郎(サイタラ)節を聞いた米国人
は単調なので悲しい曲だと思った、しかし実は陰旋法といわれる
都節(ミヤコブシ)音階で短調ではない。

233P
フラは古代ハワイ王朝では、国家によって保護された芸能であった。
ところが1819年リホリホ王の治世下でタブーの廃止があり、フラの
神性が急速に薄れていった。1820年に米国からミッションがやって
きてキリスト教化がはじまり、それまでの宗教は迷信であるとして
しりぞけられ、フラの存続そのものも否定されてしまった。
その結果フラは地下へ潜ってポルノショーまがいの踊りにまで落ちた。
1883年に即位したデイヴィッド・カラカウア王がフラの復活を行った。
大胆な西欧風な音楽や踊り方(主としてファンタンゴやクァドリール)
を取り入れ再構築した。

234P~
ケーララのすぐ北にあるカルナータカ州につたわる、ヤクシャガーナ
という舞踊劇の上演形態の例をあげて芸能の変遷について検討する。
第一の例は豪華絢爛大衆化路線、ブラスバンド、花火、それにお寺から
お坊さん訪問イベント。
第二の例はステージショー化、本来のヤクシャガーナは土間で役者と
監修は同じ高さ。どうも舞台が遠い。
第三の例はオーソドックスなもの。

さてこのうちどれがこれからのヤクシャガーナに望ましいのか。
1.大衆化路線。これはこれで悪くない
2。舞台芸術への消化。芸術愛好家向けの演劇としての路線をとれば舞台芸術として活路があるだろう。
3.正統的なもの。本来あるべきスタイルを伝えるには最良。しかし
スポンサーになる側の大衆が伝統の保存に対して啓蒙されていないと
第一のパターンに流れてしまう。○○保存会というのがあるが、それと
おなじことに。この手の保存会が伝えている芸能は、本来それが伴って
いたはずの儀式の精神的内容は失われて、形骸化した技術のみが伝え
られている場合が多い。厄払いでもエンターテインメントでもない。
時代の様相につれて変化してこそ芸能ではないか。

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「観る・聞く芸能」から「参加する芸能」への変身がある。
芸能は
1.誰でも参加
2.普通の人で技術伝承者が一時的に演者となる
3.職業的演者(聖職者、賎民階級)
近代化で1,2は難しくなった。しかしカラオケの登場で様変わり。
個人が参加するうえに、芸能界の聖性をおとしてきている。
アマとプロの差が縮まってきている。
一億総中流という意識も後押し。
カラオケだけでなくロックコンサートのようにコンサートに「参加」
することもふえている。これは若者たちには聖なる祭。
社会の変化に合せて芸能は様々に姿を変え、さまざまな人に
支えられていくだろう。
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