初老初級ジャグラーの日記です。
ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。
技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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今日は昼間はジャグリング協会総会、夕方から両国パフォーマンス学会。
ジャグリング協会総会では昨年度の決算の承認と今年度の予算案の承認が行われた。
総会の後は日頃なかなか集まれない理事全員で、face to face での意見交換。
課題はいっぱいあるのだけれどがんばっていきましょう。
JJF2013ももうすぐなのよね。
そしてその足で両国へ。。
題名:第一回両国パフォーマンス学会
日時:2013年6月29日15:00-20:00(その後懇親会)(18時少し前から参加)
場所:両国門天ホール
料金:聴講のみ2,000円/発表者1,000円(懇親会費用別途)
URL:http://www.high-beam.info/shinnosuke/meeting
趣旨:
昨今、ジャグリング、サーカス、あるいは大道芸に対して、実践のみならず、様々な見地から
論考を進める方が増えて来ているように感じます。「両国パフォーマンス学会」では、その道
の専門家から専門家を志す方までが、互いに日頃の研究成果を発表し、交流する場を設けるこ
とを趣旨とします。
ジャグリング協会総会と重なったので途中参加。冒頭から聞きたかったOrz
目黒さんのインタビューから聞くことになりました。
☆目黒陽介(プロジャグラー)【インタビュー】「ながめくらしつについて」(聞き手 しんのすけ)
-しんのすけ(以降し)
パフォーマンスの構成はどのように創造?
-目黒(以降め)
わりと絵が最初にでてくることがおおい。
最初から順番があるわけじゃない。
―し
観客のジャグラー比率は?
ジャグリングは世間にどれくらいひろまっているのか
ーめ
まったく広まっていない
3月公演はジャグラー比率多かった。
ジャグラーがみて、なにかをやるきっかけになればいいなあ。
いろいろ理由をつけてやらないのは無し。
やろうかどうしようかなということならやればよい
☆大平道介「映像解析による3ボールカスケード習得過程の分析」
全員がまったくジャグリングできないという状態で被験者になってもらい習得課程を記録した。
基本的には自由に練習していただいて、その日テストとヒアリングを行った。
テスト時に録画して映像解析とヒアリング。
主観と客観をまぜた解析を行ったというのが先行研究との違い。
上達とともに失敗原因が変化していくのがわかった。
練習すれば上達するということがわかった。しかし練習しなくても上達することがある。
☆しんのすけ「ジャグリング講師の現状と可能性」
カルチャースクールにおいて週3回6教室合計38人にジャグリングを教えている。
これで月6万円の収入。その他個人レッスン。
タレントさんへの個人指導がはいるとおいしいが1年に一度あるかないかの頻度。
たまに企業研修がはいる。
生徒さんが支払っている受講料の4割弱がこちらの収入だった。
他でもそう変わらないようだが、最近は割合がだんだん下がっているようだ。
どうやってぽつぽつの収入をコンスタントにするか?
ひとつのアプローチとしてはジャグリングが役に立つということから攻める。
ダンディGOさんは、ジャグザサイズとして一般の人にできる形で切り込んでいる
記憶力の大会で直前にジャグリングをする姿がみられるそうだ。ジャグリングに
より能力向上が見られるとのこと。
教室はアマチュア向けが多い、プロ向けとするにはターゲットを明確にして効能
をつけて教室を立ち上げる必要があると思われる。
質疑応答
ーQ
個人営業はどのように?
ーA
ホームページにかいている。ツイッターなどで随時発信している。
競争相手がいないので問い合わせがくればまず成約になる。
ーQ
ダンサーとかミュージシャンは教えることで食えている人が多い。
そもそも人口も多い。でも生徒さんは必ずしも舞台を見にこない。
教室を続けていってもアーティストとして活躍できる場があるわけではない。
講師をしていくことがどれくらい有効であるのか?
ーA
アーティストというポジションは狙っていない。
舞台でも講師でも選択肢があるのがいいのだと思う。
見ることとやることの断絶はやはりある。
ーQ
講師の対極にあるのがサークル。
サークルに行きさえすればただで教えてもらえるのに
なぜ人はお金を払って教室に通うのか?
ーA
知らない人のところに飛び込めない人がいる。
また教わりたいと思う人がいる。
ーコメント
10年以上自分のスタジオで教室をやっている。生徒は一番多い時で10人程度。
自宅で練習してこなくて、教室でコミュニケーションとりたい人が多かった。
メンバー固定になり、遊びにくる感覚になっていたようだ。
子供はもっとやりたい、もっとうまくなりたいという者が多い。
教室によって雰囲気が違う。
発表会をたてるとみんなやめない。
☆津村大樹「変容する大道芸とプラットフォームの重要性」
大道芸フェスティバル等で大道芸観賞は若者の趣味となった。
大道芸ファンがふえているにもかかわらず、必要とされているプラット
ホームが不足しているのではないか。検索しても場所がわからないので行けない等。
そこでGoogleアースを使ってパフォーマンスポイントをアーカイブしていこうと企画した。
大道芸のアーカイブは行われておらず後世に情報を残したい。
-Q
大道芸はどこまで?
-A
ストリートミュージシャンは入れない
とりあえずは大道芸フェスティバルを想定している
路上に限っている。
-Q
クラウドで皆で入力する形をとる?
-A
とりあえずはひとりで、まずは2014までを残そう
☆くろせひろやす「日本の中世におけるジャグリングについて」
私の発表予稿はこちら
-Q
歴史の専門家は何をやっていたかまで踏み込めない。その道のスペシャリストが見れば別のことがわかるかもしれないと私も考えたことがある。「中世」とタイトルにあるがこの発表の範囲は「古代から中世」ではないか
-A
そのとおり。当初は中世だけを解説するつもりで「中世」というタイトルにしたが、やはり通して説明する方がわかりやすくなると思い、古代から中世までの発表にしてしまった。
-Q
いま残っている散楽的要素は各地に残っている。伊勢太神楽や千葉における蜘蛛舞、高足、刀を使った神楽等。
ジャグリングを日本文化であるとすればいま残っているものに興味を持ってほしい
-A
私も江戸太神楽を学んでいる。綱渡りもおもしろいのだけれど、話が広くなりすぎるのでとりあえず別に考えている。
-Q
いろんな人がそれらの範疇を出入りしているので、視野を広くとらえておく方が良いのではないか
-A
アンテナは広くしておきたいと思っている。
-Q
江戸時代の手品について研究している。先週中世の手品について発表したばかり。
資料はプロのひとたちが職業としてなしていたもの。中世に趣味として演じていたものはないか。
私が見つけたのは年中行事絵巻の中で子供が遊んでいるもの。年表は年代と技の内容に注目して
まとめているが、どういう人や場所に注目するのも大切だと思われるがどう考えているか
-A
文書として残っているもので把握できているのは天皇や貴族の前で上演されたもののみ。
私はジャグラーなので何をやっていたかが一番気になっているが、演者や演じられた状況にも興味を持っている
遊びとして何が行われていたか?ということも気になっているが、遊びについては江戸時代まで下れば
いくつか文献があるが、それ以前ではまだみつけられていない。もし見つけたら私にも教えてほしい
☆上島敏昭(大道芸人 大道芸研究者)「大道芸からパフォーマンスへ・・・その連続性と断絶と」
70年代で小沢昭一が放浪芸のレコードを出した。
80年代になって坂野比呂志が大道芸をタイトルに掲げた内容の上演をするようになった。
昔はこういうことをやっていたとして大道芸をとりあげた。
がまのたたき売り、口上芸、舞台芸であるにもかからわず大道芸となった
1990年代、大道芸大会ができてきた。最初に大須、つぎに横浜で大道芸大会が発生。
とにかく街頭でやっちゃえ、それが大道芸。
絵解き、人間ポンプ、伝統的な大道芸がメインだったのが、ジャグリング、パントマイム
に変わっていった。パフォーマンスと呼ばれるのもそれ以降である
国会図書館キーワード検索で大道芸、放浪芸、パフォーマンスを検索した。
残念ながらパフォーマンスは性能などで使われていて意図した検索は困難。
1980年代現代用語の基礎知識、現代美術用語の解説でパフォーマンスがでる。
1985年がピーク パフォーマンスが流行語大賞、パフォーマンスが一般化。
朝日年鑑1984年版 芸能の分野、新劇、商業、伝統弦劇、寄席、エンターテインメント、舞踏。
85年、パフォーマンス、ダンスが追加されている、エンターテインメント、舞踊がなくなる。
パフォーマンスといえば 古事記の物乞いのしかた
パフォーマンスと名乗った表現がふえてきたころ、パフォーマンスと言えば
ローリーアンダーソン、ナムジュンパイク、如月小春だった。
60年代はハプニングと呼ばれていた。赤瀬川源平がその典型。
白衣をきて防塵マスクをして、メガネをしてほうきをもって集団で石灰を散布する
道具をもって街中、銀座に繰り出しておそうじパフォーマンス。伝染病でないかといわれた。
お札の模写を作品として発表、偽札事件になった。
そして裁判の記録と証拠品としてアートとして展示した。
秋山祐徳太子は東京都知事に立候補で有名。
80年代のパフォーマンスは、一発芸、その時代の雰囲気を味わないとわからない。
1980年 竹の子族 ローラー族、1981年 おれたちひょうきん族、
1984 CDプレイヤー、スリラー 映像がついた音楽、ロス疑惑。
原宿でみんなが踊っていた、ピーターフランクルも一世風靡セピアもいた。
高足、ジャグリング、パントマイム、街頭演劇いっぱいあった。
これは四条河原?原宿は渋谷と新宿の警察のあいだで権力の空白地帯。
反閇も見た!
それまでの大道芸とよばれるものと、竹の子族以降はパフォーマンスは違うもの。
1986年横浜でやったのは原宿のお祭り気分を継いでいる。
失われた20年が現在の大道芸の歴史。
バブルの芸能はかなりおおきなものになる。
85年以降のパフォーマンスははバブルの申し子だったのだろう
☆☆私の感想
皆がジャグリングやパフォーマンスを愛していて、皆に語りたい!という思いがとてもよく
あらわれていた場だった。それゆえとてもクロスオーバーなジャンルではあるが
それらすべての「愛」が伝わり、楽しい雰囲気がずっと続いていたのだと思う。
この機会を提供してくれたしんのすけさんに感謝。
この場をつくりあげた発表者、参加者の皆さんにも感謝。
かなりいろいろギリギリだったのですが、発表してよかった!
懇親会も大勢のかたと意見交換・名刺交換ができてたいへん楽しい時間をすごせた。
楽しすぎて、料理ほとんど食いそびれた(涙) でもカレーだけはしっかり食わせてもらいました
美味しかった。
そして最後の最後に残ったひとたちで二次会へ。
終電で帰るはずが2本目に乗った地下鉄が微妙に遅れて、途中からタクシー Orz
ほんとに盛り沢山な1日でしたよ
写真は二次会、みなさんお疲れ様でした。
ジャグリング協会総会では昨年度の決算の承認と今年度の予算案の承認が行われた。
総会の後は日頃なかなか集まれない理事全員で、face to face での意見交換。
課題はいっぱいあるのだけれどがんばっていきましょう。
JJF2013ももうすぐなのよね。
そしてその足で両国へ。。
題名:第一回両国パフォーマンス学会
日時:2013年6月29日15:00-20:00(その後懇親会)(18時少し前から参加)
場所:両国門天ホール
料金:聴講のみ2,000円/発表者1,000円(懇親会費用別途)
URL:http://www.high-beam.info/shinnosuke/meeting
趣旨:
昨今、ジャグリング、サーカス、あるいは大道芸に対して、実践のみならず、様々な見地から
論考を進める方が増えて来ているように感じます。「両国パフォーマンス学会」では、その道
の専門家から専門家を志す方までが、互いに日頃の研究成果を発表し、交流する場を設けるこ
とを趣旨とします。
ジャグリング協会総会と重なったので途中参加。冒頭から聞きたかったOrz
目黒さんのインタビューから聞くことになりました。
☆目黒陽介(プロジャグラー)【インタビュー】「ながめくらしつについて」(聞き手 しんのすけ)
-しんのすけ(以降し)
パフォーマンスの構成はどのように創造?
-目黒(以降め)
わりと絵が最初にでてくることがおおい。
最初から順番があるわけじゃない。
―し
観客のジャグラー比率は?
ジャグリングは世間にどれくらいひろまっているのか
ーめ
まったく広まっていない
3月公演はジャグラー比率多かった。
ジャグラーがみて、なにかをやるきっかけになればいいなあ。
いろいろ理由をつけてやらないのは無し。
やろうかどうしようかなということならやればよい
☆大平道介「映像解析による3ボールカスケード習得過程の分析」
全員がまったくジャグリングできないという状態で被験者になってもらい習得課程を記録した。
基本的には自由に練習していただいて、その日テストとヒアリングを行った。
テスト時に録画して映像解析とヒアリング。
主観と客観をまぜた解析を行ったというのが先行研究との違い。
上達とともに失敗原因が変化していくのがわかった。
練習すれば上達するということがわかった。しかし練習しなくても上達することがある。
☆しんのすけ「ジャグリング講師の現状と可能性」
カルチャースクールにおいて週3回6教室合計38人にジャグリングを教えている。
これで月6万円の収入。その他個人レッスン。
タレントさんへの個人指導がはいるとおいしいが1年に一度あるかないかの頻度。
たまに企業研修がはいる。
生徒さんが支払っている受講料の4割弱がこちらの収入だった。
他でもそう変わらないようだが、最近は割合がだんだん下がっているようだ。
どうやってぽつぽつの収入をコンスタントにするか?
ひとつのアプローチとしてはジャグリングが役に立つということから攻める。
ダンディGOさんは、ジャグザサイズとして一般の人にできる形で切り込んでいる
記憶力の大会で直前にジャグリングをする姿がみられるそうだ。ジャグリングに
より能力向上が見られるとのこと。
教室はアマチュア向けが多い、プロ向けとするにはターゲットを明確にして効能
をつけて教室を立ち上げる必要があると思われる。
質疑応答
ーQ
個人営業はどのように?
ーA
ホームページにかいている。ツイッターなどで随時発信している。
競争相手がいないので問い合わせがくればまず成約になる。
ーQ
ダンサーとかミュージシャンは教えることで食えている人が多い。
そもそも人口も多い。でも生徒さんは必ずしも舞台を見にこない。
教室を続けていってもアーティストとして活躍できる場があるわけではない。
講師をしていくことがどれくらい有効であるのか?
ーA
アーティストというポジションは狙っていない。
舞台でも講師でも選択肢があるのがいいのだと思う。
見ることとやることの断絶はやはりある。
ーQ
講師の対極にあるのがサークル。
サークルに行きさえすればただで教えてもらえるのに
なぜ人はお金を払って教室に通うのか?
ーA
知らない人のところに飛び込めない人がいる。
また教わりたいと思う人がいる。
ーコメント
10年以上自分のスタジオで教室をやっている。生徒は一番多い時で10人程度。
自宅で練習してこなくて、教室でコミュニケーションとりたい人が多かった。
メンバー固定になり、遊びにくる感覚になっていたようだ。
子供はもっとやりたい、もっとうまくなりたいという者が多い。
教室によって雰囲気が違う。
発表会をたてるとみんなやめない。
☆津村大樹「変容する大道芸とプラットフォームの重要性」
大道芸フェスティバル等で大道芸観賞は若者の趣味となった。
大道芸ファンがふえているにもかかわらず、必要とされているプラット
ホームが不足しているのではないか。検索しても場所がわからないので行けない等。
そこでGoogleアースを使ってパフォーマンスポイントをアーカイブしていこうと企画した。
大道芸のアーカイブは行われておらず後世に情報を残したい。
-Q
大道芸はどこまで?
-A
ストリートミュージシャンは入れない
とりあえずは大道芸フェスティバルを想定している
路上に限っている。
-Q
クラウドで皆で入力する形をとる?
-A
とりあえずはひとりで、まずは2014までを残そう
☆くろせひろやす「日本の中世におけるジャグリングについて」
私の発表予稿はこちら
-Q
歴史の専門家は何をやっていたかまで踏み込めない。その道のスペシャリストが見れば別のことがわかるかもしれないと私も考えたことがある。「中世」とタイトルにあるがこの発表の範囲は「古代から中世」ではないか
-A
そのとおり。当初は中世だけを解説するつもりで「中世」というタイトルにしたが、やはり通して説明する方がわかりやすくなると思い、古代から中世までの発表にしてしまった。
-Q
いま残っている散楽的要素は各地に残っている。伊勢太神楽や千葉における蜘蛛舞、高足、刀を使った神楽等。
ジャグリングを日本文化であるとすればいま残っているものに興味を持ってほしい
-A
私も江戸太神楽を学んでいる。綱渡りもおもしろいのだけれど、話が広くなりすぎるのでとりあえず別に考えている。
-Q
いろんな人がそれらの範疇を出入りしているので、視野を広くとらえておく方が良いのではないか
-A
アンテナは広くしておきたいと思っている。
-Q
江戸時代の手品について研究している。先週中世の手品について発表したばかり。
資料はプロのひとたちが職業としてなしていたもの。中世に趣味として演じていたものはないか。
私が見つけたのは年中行事絵巻の中で子供が遊んでいるもの。年表は年代と技の内容に注目して
まとめているが、どういう人や場所に注目するのも大切だと思われるがどう考えているか
-A
文書として残っているもので把握できているのは天皇や貴族の前で上演されたもののみ。
私はジャグラーなので何をやっていたかが一番気になっているが、演者や演じられた状況にも興味を持っている
遊びとして何が行われていたか?ということも気になっているが、遊びについては江戸時代まで下れば
いくつか文献があるが、それ以前ではまだみつけられていない。もし見つけたら私にも教えてほしい
☆上島敏昭(大道芸人 大道芸研究者)「大道芸からパフォーマンスへ・・・その連続性と断絶と」
70年代で小沢昭一が放浪芸のレコードを出した。
80年代になって坂野比呂志が大道芸をタイトルに掲げた内容の上演をするようになった。
昔はこういうことをやっていたとして大道芸をとりあげた。
がまのたたき売り、口上芸、舞台芸であるにもかからわず大道芸となった
1990年代、大道芸大会ができてきた。最初に大須、つぎに横浜で大道芸大会が発生。
とにかく街頭でやっちゃえ、それが大道芸。
絵解き、人間ポンプ、伝統的な大道芸がメインだったのが、ジャグリング、パントマイム
に変わっていった。パフォーマンスと呼ばれるのもそれ以降である
国会図書館キーワード検索で大道芸、放浪芸、パフォーマンスを検索した。
残念ながらパフォーマンスは性能などで使われていて意図した検索は困難。
1980年代現代用語の基礎知識、現代美術用語の解説でパフォーマンスがでる。
1985年がピーク パフォーマンスが流行語大賞、パフォーマンスが一般化。
朝日年鑑1984年版 芸能の分野、新劇、商業、伝統弦劇、寄席、エンターテインメント、舞踏。
85年、パフォーマンス、ダンスが追加されている、エンターテインメント、舞踊がなくなる。
パフォーマンスといえば 古事記の物乞いのしかた
パフォーマンスと名乗った表現がふえてきたころ、パフォーマンスと言えば
ローリーアンダーソン、ナムジュンパイク、如月小春だった。
60年代はハプニングと呼ばれていた。赤瀬川源平がその典型。
白衣をきて防塵マスクをして、メガネをしてほうきをもって集団で石灰を散布する
道具をもって街中、銀座に繰り出しておそうじパフォーマンス。伝染病でないかといわれた。
お札の模写を作品として発表、偽札事件になった。
そして裁判の記録と証拠品としてアートとして展示した。
秋山祐徳太子は東京都知事に立候補で有名。
80年代のパフォーマンスは、一発芸、その時代の雰囲気を味わないとわからない。
1980年 竹の子族 ローラー族、1981年 おれたちひょうきん族、
1984 CDプレイヤー、スリラー 映像がついた音楽、ロス疑惑。
原宿でみんなが踊っていた、ピーターフランクルも一世風靡セピアもいた。
高足、ジャグリング、パントマイム、街頭演劇いっぱいあった。
これは四条河原?原宿は渋谷と新宿の警察のあいだで権力の空白地帯。
反閇も見た!
それまでの大道芸とよばれるものと、竹の子族以降はパフォーマンスは違うもの。
1986年横浜でやったのは原宿のお祭り気分を継いでいる。
失われた20年が現在の大道芸の歴史。
バブルの芸能はかなりおおきなものになる。
85年以降のパフォーマンスははバブルの申し子だったのだろう
☆☆私の感想
皆がジャグリングやパフォーマンスを愛していて、皆に語りたい!という思いがとてもよく
あらわれていた場だった。それゆえとてもクロスオーバーなジャンルではあるが
それらすべての「愛」が伝わり、楽しい雰囲気がずっと続いていたのだと思う。
この機会を提供してくれたしんのすけさんに感謝。
この場をつくりあげた発表者、参加者の皆さんにも感謝。
かなりいろいろギリギリだったのですが、発表してよかった!
懇親会も大勢のかたと意見交換・名刺交換ができてたいへん楽しい時間をすごせた。
楽しすぎて、料理ほとんど食いそびれた(涙) でもカレーだけはしっかり食わせてもらいました
美味しかった。
そして最後の最後に残ったひとたちで二次会へ。
終電で帰るはずが2本目に乗った地下鉄が微妙に遅れて、途中からタクシー Orz
ほんとに盛り沢山な1日でしたよ
写真は二次会、みなさんお疲れ様でした。
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書名:中国戯劇の歴史的研究
著者:川上忠雄
出版社: 高文堂出版社; 増補秘蔵版版 (1989)
ISBN-10: 4770701403
中国の古い歌舞音楽と演芸の歴史的研究を記述したもの。
興味深かったのは、漢魏南北朝の雑戯、宋代の傀儡戯と雑劇、
補遺・隋唐宋の雑戯、の三章。
漢代の雑技
224ページ
--
漢の李尤の「平楽観賦」には跳丸・飛剣・倒立・角力戯が記されている。
跳丸はいくつもの玉を空中に投げては手で受け止める伎芸である。
。。。
飛剣は二本の剣を空中に投げて受け止める伎芸である。「西京賦」には
「跳丸剣之揮霍」とあるが「揮霍」は「はやいさま」である。
--
魏晋南北朝の雑戯
234ページ
--
擲戟。擲戟は戟(ほこ)を投げとばす意であるから、跳丸飛剣のように
手玉にとる戯である。ほこは長いので、よりむずかしいものであろう。
舞輪。跳丸のように空中にニ、三の輪を投げて手玉にとる戯を二人で競う。
--
唐の雑戯
338ページ
--
舞輪伎は漢代以来のものだが、今の戯車輪伎の類である。
跳丸のように空中にニ、三の輪を投げて手玉にとる戯を二人で
競うものである
--
339ページ
--
さらに、弄椀珠伎という、はちまわし、さらまわしの伎があった。
これとて梁代以来のものである。
--
340ページ
--
五代蓉宗(710-712)のときにインドから散楽人がきたが、それは
倒行して足で舞う伎や、鋭利な刃鋒を地に立て、その上に腹這いに
なり、刃を目につきさして瞼から背につきぬけさせ、腹の方で
ひちりきを吹く、曲が終わってもその人間には何等損傷もないといった
妖術、
--
昔からすごい奇術ってあったのね。みてみたい。かなりグロかも。
341ページ
--
蹴毬戯といった競技が流行しはじめた。蹴毬戯は二本の長い竹を建て、
上に網をとりつけて門とし、毬を蹴ってその高さを越すのであるが、
これを毬工が左右の組に分かれて勝負を競った。
--
宋の雑戯
350ページ
--
蹴瓶伎は瓶(酒をいれるかめ)まわしである。瓶を蹴って鉄鋒に
のせると、瓶はその杖端にのって旋回する伎である
--
著者:川上忠雄
出版社: 高文堂出版社; 増補秘蔵版版 (1989)
ISBN-10: 4770701403
中国の古い歌舞音楽と演芸の歴史的研究を記述したもの。
興味深かったのは、漢魏南北朝の雑戯、宋代の傀儡戯と雑劇、
補遺・隋唐宋の雑戯、の三章。
漢代の雑技
224ページ
--
漢の李尤の「平楽観賦」には跳丸・飛剣・倒立・角力戯が記されている。
跳丸はいくつもの玉を空中に投げては手で受け止める伎芸である。
。。。
飛剣は二本の剣を空中に投げて受け止める伎芸である。「西京賦」には
「跳丸剣之揮霍」とあるが「揮霍」は「はやいさま」である。
--
魏晋南北朝の雑戯
234ページ
--
擲戟。擲戟は戟(ほこ)を投げとばす意であるから、跳丸飛剣のように
手玉にとる戯である。ほこは長いので、よりむずかしいものであろう。
舞輪。跳丸のように空中にニ、三の輪を投げて手玉にとる戯を二人で競う。
--
唐の雑戯
338ページ
--
舞輪伎は漢代以来のものだが、今の戯車輪伎の類である。
跳丸のように空中にニ、三の輪を投げて手玉にとる戯を二人で
競うものである
--
339ページ
--
さらに、弄椀珠伎という、はちまわし、さらまわしの伎があった。
これとて梁代以来のものである。
--
340ページ
--
五代蓉宗(710-712)のときにインドから散楽人がきたが、それは
倒行して足で舞う伎や、鋭利な刃鋒を地に立て、その上に腹這いに
なり、刃を目につきさして瞼から背につきぬけさせ、腹の方で
ひちりきを吹く、曲が終わってもその人間には何等損傷もないといった
妖術、
--
昔からすごい奇術ってあったのね。みてみたい。かなりグロかも。
341ページ
--
蹴毬戯といった競技が流行しはじめた。蹴毬戯は二本の長い竹を建て、
上に網をとりつけて門とし、毬を蹴ってその高さを越すのであるが、
これを毬工が左右の組に分かれて勝負を競った。
--
宋の雑戯
350ページ
--
蹴瓶伎は瓶(酒をいれるかめ)まわしである。瓶を蹴って鉄鋒に
のせると、瓶はその杖端にのって旋回する伎である
--
書名:遊戯から芸道へ―日本中世における芸能の変容
著者:村戸弥生
出版社: 玉川大学出版部 (2002/02)
ISBN-10: 4472402653
内容紹介:日本中世、芸能の語義は「技術・才能」といった広義の芸能から、現代的語義である「歌舞音曲」といった狭義の芸能へと変容する。この変容は、なぜ、どのようにして起こったのか、その理由を考究するための一視点を提出する。
蹴鞠を中心に中世の遊戯から芸道への変遷を解説している。
途中に起きたのが散楽的技術の否定、つまいパフォーマンスとして上手なものはかならずしも
良いわけではないということ。
貴族階級に流行ったばっかりに、貴族ができること(技術的にはたいしたことないもの)がよしとされてしまった。落とさないことが前提のスポーツで落としてよし!にするのだからすごいもの。
まあそこがスポーツから「芸道」にはいる瞬間のひとつなのかも。
しかし下々も舞いと合体させることでより優美な方向に突破口を見出したという感じのようだ。芸道になる段階で技術的な方向性はかなりよじれたらしい。
そこでまた口伝化というプロセスがはいり物語が語られて演劇へ一歩近づいていく、、
かなり興味深いプロセスだと思う。下臈の蹴鞠は、文章を読む限りにおいては今でいうフリースタイルフットボールにかなり近い。曲鞠と蹴鞠がもとは同じものだったとしてもおかしくない、というか庶民においてはずっと同じものだったのかもね。
--ここから引用75ページ 「散楽的技術の否定」--
蹴鞠は下臈文化を基盤とし、数を上げることを最大の眼目とする。数の追求が進めば、どんなところに飛んだ鞠でも上げられるょうに技術も高度化する。これに観客意識が介入してくれば、最終的にはアクロバティック•散楽的な技術が現れることになる。院政期は、そのような下臈鞠と上臈鞠がせめぎあい、二者択一か融合止揚かを迫られた時代である。それは下臈のなす散楽的な技術を認めるかどうか、という問題において最も顕著となる。
蹴鞠の代表的な散楽的技術に、躍足(おどりあし)という跳躍しながら蹴る技がある。以下『口伝集』のなかにある躍足関係の口伝を抜き書き、当時の人々の蹴鞠観を明らかにしたい。
(略 次は80ページ)
これは、上下臈が同じ懸に集うときに起こってくる問題である。晴の会意識が強くなるにつれ、ますます下臈の方に上臈への配慮が要求されてくる。下臈はいかに上手であっても出しゃばらず、上臈をフォロ—するのが役回りで、烏帽子を蹴り落とすなどとんでもないとする。想像を逞しくすれば、源九はおそらく故意ではなく、興に乗って躍足を披露し折悪しく落としてしまつたものと思われるが、下臈鞠足にとつては自らのアイデンテイテイともいうべき散楽的技術の是非が問われる大問題であったろう。そこでsの成平のょうに、できるけれど人に披露するょうな意味ではやらない、どうしても必要なときだけやる、といつたあり方が出てくる。出しゃばらない、といつた消極的理由でまず否定されたのである。この方向は下臈鞠を喪失させ、上臈好みの新たなる蹴鞠のあり方を模索させることになる。そのとき下臈にとつて散楽的技術否定に積極性をもつことになろう。
(87ページ 7 芸道たる姿態)
蹴鞠は、下臈文化に基盤をもつ「あそびごと」であった。遊戯が芸能として認識されることで、上臈鞠•下臈鞠の区別も認識されてきた。芸道化の一歩は、遊戯に近い下臈鞠の否定から始まり、その動きは上下臈双方から起こった。結果、上臈鞠と下臈鞠の止揚が起こり、上臈向けの新しい蹴鞠のあり方が創出された。それは、院政という新政治体制と密接なかかわりをもち、その確立とともに下臈鞠は社会的に切り捨てられる。芸道になるということは、その文化が社会的公認を得、家職化への志向が起こること、そしてその芸道の〈家〉ができることである。小西甚一は、〈道〉を専門性•継承性•規範性•普遍性•権威性といった各種の性格によって規定する。そのような性格は、まず〈家〉成立への志向をもって起こってきたものであろう。
----279ページから引用---
ニ章から四章では、広義の芸能の範疇にある蹴鞠の、遊戯から芸道への変容について述べた。そもそも院政期初頭、蹴鞠流行により、上下臈が同じ蹴鞠の場に集うことから問題は起こってくる。蹴鞠遊戯では鞠を落とさないことが大前提である。後に名人といわれる鞠足たちの若年時代と重なる、躍足時代には、成通の千R鞠説話にうかがわれるように、落とさないために鞠足個人が身体技術的に努力をした。「落とさない」が「落としたくない」「落としてはいけない」ともなれば〈道〉ともなろう。ところが歩む文化のなかにいて走る身体を基本的になさない上臈は落とすことも多かったろう。「落とす」といった遊戯における絶対的矛盾をいかに合理化するか。そこに不二思想的発想の介在がある。それを理論的支柱として「落とす」が「落としてもよい」となれば、上臈鞠と下臈鞠が分離していくことになる。延足時代はそこに訪れる。
上臈鞠と下臈鞠の分離はまた、同一の場でのゲームを成り立たなくさせる。そこで場を時間的•空間的に仮構していくことが起こる。具体的には鞠場の縮小化•定式化といつたことで、それは、フォーメーションやフォーム意識を形成することになった。いわば鞠場の舞台化である。鞠場の舞台化により上臈鞠は完成し、下臈鞠は社会的に否認される。蹴鞠の芸道化は、不二思想を理論的支柱にした場の変容によるといえる。芸道化により、先人の口承でなされていた口伝を書承によっても口伝化しようとする。先人の逸話も口承•書承によって口伝化し、それらは芸道の家に保持される。口伝化と芸道化•家職化は呼応する。口伝的口伝、説話的口伝といった、言葉によるものは相互に交渉しあい、ジャンルを越えて生成増幅し、故実化•儀礼化を進める一方、説話化•物語化をも進める。そういった言葉のうえでの生成再編がなされていたものを、狭義の芸能の範疇にある猿楽能など他ジャンルで形成された、舞台化された形態をもつ場でなされるようになり、テキスト化されれば、それはもはや台本と呼ばれるものに近くなる。それは演劇化のはじまりともなろう。
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著者:村戸弥生
出版社: 玉川大学出版部 (2002/02)
ISBN-10: 4472402653
内容紹介:日本中世、芸能の語義は「技術・才能」といった広義の芸能から、現代的語義である「歌舞音曲」といった狭義の芸能へと変容する。この変容は、なぜ、どのようにして起こったのか、その理由を考究するための一視点を提出する。
蹴鞠を中心に中世の遊戯から芸道への変遷を解説している。
途中に起きたのが散楽的技術の否定、つまいパフォーマンスとして上手なものはかならずしも
良いわけではないということ。
貴族階級に流行ったばっかりに、貴族ができること(技術的にはたいしたことないもの)がよしとされてしまった。落とさないことが前提のスポーツで落としてよし!にするのだからすごいもの。
まあそこがスポーツから「芸道」にはいる瞬間のひとつなのかも。
しかし下々も舞いと合体させることでより優美な方向に突破口を見出したという感じのようだ。芸道になる段階で技術的な方向性はかなりよじれたらしい。
そこでまた口伝化というプロセスがはいり物語が語られて演劇へ一歩近づいていく、、
かなり興味深いプロセスだと思う。下臈の蹴鞠は、文章を読む限りにおいては今でいうフリースタイルフットボールにかなり近い。曲鞠と蹴鞠がもとは同じものだったとしてもおかしくない、というか庶民においてはずっと同じものだったのかもね。
--ここから引用75ページ 「散楽的技術の否定」--
蹴鞠は下臈文化を基盤とし、数を上げることを最大の眼目とする。数の追求が進めば、どんなところに飛んだ鞠でも上げられるょうに技術も高度化する。これに観客意識が介入してくれば、最終的にはアクロバティック•散楽的な技術が現れることになる。院政期は、そのような下臈鞠と上臈鞠がせめぎあい、二者択一か融合止揚かを迫られた時代である。それは下臈のなす散楽的な技術を認めるかどうか、という問題において最も顕著となる。
蹴鞠の代表的な散楽的技術に、躍足(おどりあし)という跳躍しながら蹴る技がある。以下『口伝集』のなかにある躍足関係の口伝を抜き書き、当時の人々の蹴鞠観を明らかにしたい。
(略 次は80ページ)
これは、上下臈が同じ懸に集うときに起こってくる問題である。晴の会意識が強くなるにつれ、ますます下臈の方に上臈への配慮が要求されてくる。下臈はいかに上手であっても出しゃばらず、上臈をフォロ—するのが役回りで、烏帽子を蹴り落とすなどとんでもないとする。想像を逞しくすれば、源九はおそらく故意ではなく、興に乗って躍足を披露し折悪しく落としてしまつたものと思われるが、下臈鞠足にとつては自らのアイデンテイテイともいうべき散楽的技術の是非が問われる大問題であったろう。そこでsの成平のょうに、できるけれど人に披露するょうな意味ではやらない、どうしても必要なときだけやる、といつたあり方が出てくる。出しゃばらない、といつた消極的理由でまず否定されたのである。この方向は下臈鞠を喪失させ、上臈好みの新たなる蹴鞠のあり方を模索させることになる。そのとき下臈にとつて散楽的技術否定に積極性をもつことになろう。
(87ページ 7 芸道たる姿態)
蹴鞠は、下臈文化に基盤をもつ「あそびごと」であった。遊戯が芸能として認識されることで、上臈鞠•下臈鞠の区別も認識されてきた。芸道化の一歩は、遊戯に近い下臈鞠の否定から始まり、その動きは上下臈双方から起こった。結果、上臈鞠と下臈鞠の止揚が起こり、上臈向けの新しい蹴鞠のあり方が創出された。それは、院政という新政治体制と密接なかかわりをもち、その確立とともに下臈鞠は社会的に切り捨てられる。芸道になるということは、その文化が社会的公認を得、家職化への志向が起こること、そしてその芸道の〈家〉ができることである。小西甚一は、〈道〉を専門性•継承性•規範性•普遍性•権威性といった各種の性格によって規定する。そのような性格は、まず〈家〉成立への志向をもって起こってきたものであろう。
----279ページから引用---
ニ章から四章では、広義の芸能の範疇にある蹴鞠の、遊戯から芸道への変容について述べた。そもそも院政期初頭、蹴鞠流行により、上下臈が同じ蹴鞠の場に集うことから問題は起こってくる。蹴鞠遊戯では鞠を落とさないことが大前提である。後に名人といわれる鞠足たちの若年時代と重なる、躍足時代には、成通の千R鞠説話にうかがわれるように、落とさないために鞠足個人が身体技術的に努力をした。「落とさない」が「落としたくない」「落としてはいけない」ともなれば〈道〉ともなろう。ところが歩む文化のなかにいて走る身体を基本的になさない上臈は落とすことも多かったろう。「落とす」といった遊戯における絶対的矛盾をいかに合理化するか。そこに不二思想的発想の介在がある。それを理論的支柱として「落とす」が「落としてもよい」となれば、上臈鞠と下臈鞠が分離していくことになる。延足時代はそこに訪れる。
上臈鞠と下臈鞠の分離はまた、同一の場でのゲームを成り立たなくさせる。そこで場を時間的•空間的に仮構していくことが起こる。具体的には鞠場の縮小化•定式化といつたことで、それは、フォーメーションやフォーム意識を形成することになった。いわば鞠場の舞台化である。鞠場の舞台化により上臈鞠は完成し、下臈鞠は社会的に否認される。蹴鞠の芸道化は、不二思想を理論的支柱にした場の変容によるといえる。芸道化により、先人の口承でなされていた口伝を書承によっても口伝化しようとする。先人の逸話も口承•書承によって口伝化し、それらは芸道の家に保持される。口伝化と芸道化•家職化は呼応する。口伝的口伝、説話的口伝といった、言葉によるものは相互に交渉しあい、ジャンルを越えて生成増幅し、故実化•儀礼化を進める一方、説話化•物語化をも進める。そういった言葉のうえでの生成再編がなされていたものを、狭義の芸能の範疇にある猿楽能など他ジャンルで形成された、舞台化された形態をもつ場でなされるようになり、テキスト化されれば、それはもはや台本と呼ばれるものに近くなる。それは演劇化のはじまりともなろう。
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書名:からだのメソッド-立居振舞いの技術
著者:矢田部英正
出版社: バジリコ (2009/5/12)
ISBN-10: 4862381332
内容紹介:
「足指で地面をつかんで立つ」「つま先から着地して歩く」「ヘソをふくらませるように呼吸する」「みぞおちをゆるめる」などなど、立つ、歩く、呼吸する、といった日常的な動作にちょっと気を配るだけで、からだがスッキリ整い、毎日が快適に!
日本人の身体技法の特徴にあった立居振舞いをモットーに、衣食住にかかわる日常的な身体技法メソッドを大公開。立ち方、歩き方、床坐・椅子坐のポイント、着物の動作、カフェや食卓での作法、入浴の秘訣まで、からだの内側からキレイになる、現代版「養生訓」。イラスト・写真多数。
立ち方の基礎
足裏の重心位置を確かめる
足指の感覚を取り戻す
足指のケア
膝とつま先をまっすぐにする
膝と大腿骨をまっすぐにする
頭の位置を背骨に乗せる
耳と肩、鼻とへそをまっすぐにつなぐ
猫背になりやすい場合は背筋を伸ばそうとするのではなく、肩を広げるようにして治す
西洋式の歩き方
踵重心、ターンアウト、正中線上を歩く
ターンアウトした状態で足を前にだすと5本の足指がすべて地面につく
つま先からつく
着物の歩き方
腰骨の位置を知る(腰紐を結んでみる)
内袷は腰骨で止める
襟先を引っ張って腰骨のところであわせ、腰紐でしっかりむすびます。腰紐を結ぶときには、少し骨盤を前傾させておく。結び目はタレが下にくるようにして上から下におさえつける
立ち姿も腰を微妙に前傾させて腰の入った姿勢を保つことが基本。
ひとりでできる着付け革命、笹島寿美、世界文化社
着物で上手に歩くためには普通の立ち姿勢よりさらに膝を曲げ、骨盤を前傾させていく
「腰の沈み」を腰紐でつくる。
まず膝をリラックスさせ、腰骨のところで親指をひっかけ、ぎゅっと下に押し込む
すると自然に骨盤が前傾して膝が曲がり、歩み腰の姿勢になる。この状態から一足分踏み出して、すり足で歩いていく
左右の足を平行にそろえて、足裏全体が地面をすべるように一足ぶんずつ踏み出していく。
腰をしずませ、歩み腰になると足がうまく前にだせないことがある。そのときには足の親指だけちょっと浮かせるとつま先に隙間ができてスムースに足が前に出てくる。
男性の歩き方はスリ足の基本から気持ち外足になる。基本から少しつま先よりに体重をかけ、前かがみになって歩幅を小さめに歩くと、ぺこぺこした町人風の歩き方になる。
これに対して踵に体重をかけて、上体をふんぞり返らせ、大股で歩けば、偉そうな「さむらい歩き」となる
男性の場合は踵が正中線にのるように外足ぎみに線の上をまっすぐに歩くように練習する
著者:矢田部英正
出版社: バジリコ (2009/5/12)
ISBN-10: 4862381332
内容紹介:
「足指で地面をつかんで立つ」「つま先から着地して歩く」「ヘソをふくらませるように呼吸する」「みぞおちをゆるめる」などなど、立つ、歩く、呼吸する、といった日常的な動作にちょっと気を配るだけで、からだがスッキリ整い、毎日が快適に!
日本人の身体技法の特徴にあった立居振舞いをモットーに、衣食住にかかわる日常的な身体技法メソッドを大公開。立ち方、歩き方、床坐・椅子坐のポイント、着物の動作、カフェや食卓での作法、入浴の秘訣まで、からだの内側からキレイになる、現代版「養生訓」。イラスト・写真多数。
立ち方の基礎
足裏の重心位置を確かめる
足指の感覚を取り戻す
足指のケア
膝とつま先をまっすぐにする
膝と大腿骨をまっすぐにする
頭の位置を背骨に乗せる
耳と肩、鼻とへそをまっすぐにつなぐ
猫背になりやすい場合は背筋を伸ばそうとするのではなく、肩を広げるようにして治す
西洋式の歩き方
踵重心、ターンアウト、正中線上を歩く
ターンアウトした状態で足を前にだすと5本の足指がすべて地面につく
つま先からつく
着物の歩き方
腰骨の位置を知る(腰紐を結んでみる)
内袷は腰骨で止める
襟先を引っ張って腰骨のところであわせ、腰紐でしっかりむすびます。腰紐を結ぶときには、少し骨盤を前傾させておく。結び目はタレが下にくるようにして上から下におさえつける
立ち姿も腰を微妙に前傾させて腰の入った姿勢を保つことが基本。
ひとりでできる着付け革命、笹島寿美、世界文化社
着物で上手に歩くためには普通の立ち姿勢よりさらに膝を曲げ、骨盤を前傾させていく
「腰の沈み」を腰紐でつくる。
まず膝をリラックスさせ、腰骨のところで親指をひっかけ、ぎゅっと下に押し込む
すると自然に骨盤が前傾して膝が曲がり、歩み腰の姿勢になる。この状態から一足分踏み出して、すり足で歩いていく
左右の足を平行にそろえて、足裏全体が地面をすべるように一足ぶんずつ踏み出していく。
腰をしずませ、歩み腰になると足がうまく前にだせないことがある。そのときには足の親指だけちょっと浮かせるとつま先に隙間ができてスムースに足が前に出てくる。
男性の歩き方はスリ足の基本から気持ち外足になる。基本から少しつま先よりに体重をかけ、前かがみになって歩幅を小さめに歩くと、ぺこぺこした町人風の歩き方になる。
これに対して踵に体重をかけて、上体をふんぞり返らせ、大股で歩けば、偉そうな「さむらい歩き」となる
男性の場合は踵が正中線にのるように外足ぎみに線の上をまっすぐに歩くように練習する