初老初級ジャグラーの日記です。
ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。
技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:江馬務著作集―日本の風俗文化 (第11巻) (単行本)
著者:江馬務
出版社: 中央公論新社 (2002/10)
ISBN-10: 4125700419
内容は風俗史事典である。イロハ順で
物やイベントや習俗などがごった煮になっている。
太神楽に関しては半ページ程度の記述がある。191-192ページ。
人倫訓蒙図彙、昔々物語、花洛細見図を参考にして次のように
書かれている。
しかし太神楽は、別に軽業、手品、茶番を演ずるのは、これも
田楽の分子が混じっている証拠であるが、慶長頃から既に地方
巡業に着手し、猿田彦姿を先立て、神楽の人長姿の男をはじめ
一行皆特技をなし、大太鼓、小鼓、笛、編木などを弄し、妙技
を演じたのである。
そして次の一文が、、
これを「太神楽」といふのも伊勢神宮とは何等関係もなく、一種
の門付に過ぎないのである(獅子舞の研究、本著著作集9巻所収)
そういうわけで9巻も読まないといけないねえ。
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書名:インドネシアの寅さん―熱帯の民俗誌
著者:沖浦和光
出版社: 岩波書店 (1998/11)
ISBN-10: 4000027883
出版社/著者からの内容紹介:
インドネシアには,島から島へ渡り歩く大道商人たちがいる.彼らは
港町の盛り場や市場で,さまざまな見世物や芸で人を集め,伝統的な
膏薬や強精剤を売り歩く.胡散臭さを漂わせながらも活力に溢れる商
売をする熱帯の香具師たち.長年の調査によって,島々を旅する彼ら
の本拠を訪ねあて,その生活や仕事ぶりを探り,大自然と共生する海
の民の姿を活写する.
内容:(「MARC」データベースより)
一所不在の漂泊民として蔑みの目で見られ、裏街道を歩きながらもな
おたくましく生きる大道商人たち。長年の現地調査によって、島々を
旅する彼らの本拠を訪ねあて、その生活や仕事ぶりをさぐる。
2007/12/27 (Thu) 読書・各種資料 Trackback() Comment(0)
著者:沖浦和光
出版社: 岩波書店 (1998/11)
ISBN-10: 4000027883
出版社/著者からの内容紹介:
インドネシアには,島から島へ渡り歩く大道商人たちがいる.彼らは
港町の盛り場や市場で,さまざまな見世物や芸で人を集め,伝統的な
膏薬や強精剤を売り歩く.胡散臭さを漂わせながらも活力に溢れる商
売をする熱帯の香具師たち.長年の調査によって,島々を旅する彼ら
の本拠を訪ねあて,その生活や仕事ぶりを探り,大自然と共生する海
の民の姿を活写する.
内容:(「MARC」データベースより)
一所不在の漂泊民として蔑みの目で見られ、裏街道を歩きながらもな
おたくましく生きる大道商人たち。長年の現地調査によって、島々を
旅する彼らの本拠を訪ねあて、その生活や仕事ぶりをさぐる。
2007/12/27 (Thu) 読書・各種資料 Trackback() Comment(0)
書名:江戸風俗 東都歳時記を読む
著者:川田 寿 (著)
出版社: 東京堂出版 (1993/02)
ISBN-10: 4490202032
内容:(「BOOK」データベースより)
初午詣・花見・汐干狩・七夕・二十六夜待・酉の市…。江戸市民の生活に四季おりおりの彩をそえた江戸の年中行事39をとりあげ、人々の暮らしぶりを活写。『東京歳事記』の興趣あふれる挿絵と平易な解説に、華やかな江戸の賑わいが満喫できる。
天保9年(1838年)に出版された絵入りの「東都歳時記」を題材に
当時の社会全般にわたる解説を行ったものである。
正月の項に三河万歳と太神楽の記述がある。絵は北斎画の富嶽百景より
「三河万歳」。
「転宅と聞いて万歳舌鼓」
よい得意先だったのにチェッ という風景を描いた川柳。
太神楽は「太神楽たばさんだのが上手なり」という川柳が紹介されている。残念ながら太神楽の絵はない。
著者:川田 寿 (著)
出版社: 東京堂出版 (1993/02)
ISBN-10: 4490202032
内容:(「BOOK」データベースより)
初午詣・花見・汐干狩・七夕・二十六夜待・酉の市…。江戸市民の生活に四季おりおりの彩をそえた江戸の年中行事39をとりあげ、人々の暮らしぶりを活写。『東京歳事記』の興趣あふれる挿絵と平易な解説に、華やかな江戸の賑わいが満喫できる。
天保9年(1838年)に出版された絵入りの「東都歳時記」を題材に
当時の社会全般にわたる解説を行ったものである。
正月の項に三河万歳と太神楽の記述がある。絵は北斎画の富嶽百景より
「三河万歳」。
「転宅と聞いて万歳舌鼓」
よい得意先だったのにチェッ という風景を描いた川柳。
太神楽は「太神楽たばさんだのが上手なり」という川柳が紹介されている。残念ながら太神楽の絵はない。
書名:中近世放浪芸の系譜
著者:渡辺昭五
出版社: 岩田書院 (2000/2)
ISBN-10: 4872941616
内容:(「MARC」データベースより)
中世の文化の源泉となり、その環境を醸し出したり、文化の傍流として取り残され、
記録に残ることの少なかった放浪芸。社会の最底辺層にあって多くの民衆の眼を慰め
娯しませた娯楽文化としての放浪芸について述べる。
目次:
第1章 平安期の散楽と解頤劇
(天鈿女命の狂態/散楽の渡来と沿革/三代実録以降の相撲節会と散楽/
11世紀以降の相撲節会と散楽/烏滸と滑稽解頤劇)
第1章補 中世放浪芸の母胎
第2章 永長大田楽から田楽法師原へ
(初期田楽の性格/猿楽法師登場/他)
第3章 七道者の性格
(白拍子・歩き巫女・鉦叩き/乞食/猿飼/中世の都市流浪民)
第4章 絵解き大道芸と売春・鉦叩き・人形遣い
(絵解き法師/熊野比丘尼/他)
第5章 語り物芸人の系譜
(安居院唱導僧/当道座の流れ/物語僧と琵琶法師/太平記と時衆の聖たち)
第6章 太平記語り手と中世禅律衆
(怪力僧本性房/禅律僧と敗残兵/律僧文観/他)
第7章 歩き巫女の拡散と芸能化
(梁塵秘抄の巫女/中世の梓巫女/他)
第8章 中近世期の門付芸
(鹿島の事触れ:西鶴・近松の用例、弥勒踊、他/風神払と感冒/放下僧の大道芸)
第9章 弘法大師を騙った偽僧たち-高野聖
第10章 声聞師と万歳
(語源/下級陰陽師への変質/千秋万歳/声聞師と一向一揆/他)
第11章 芸能と芸能者-むすびに代えて
付 章 掛幅絵伝史-宗僧掛幅絵伝絵解き史の緒論
興味を持って読んだのは、一章の平安時代の散楽と八章の中近世期の角付芸。
--
散楽の発生は人類が文明を持った時、、敦煌莫高窟の壁画にも軽業・曲芸の図がある。
「周書」には<散楽雑戯>の語が見られる。源流は安息(イラン・ペルシャ)とか
ビルマとかいわれる。
日本渡来は明確にできないが「続日本記」巻12の天平7年(735年)
5月庚申に、聖武<天皇、北松林ニ御シテ、騎射を覧ジ給フ、入唐の廻使及唐人唐国新羅ノ楽
ヲ奏シ、槍を挊ブ>とある条から推察して、8世紀前半だったと推される。挊槍は弄槍で2-3人
で槍をぶんぶん振り回したり、投げ上げたり、額や鼻の上に立てるような曲芸であったと思われる。
--
日本に最初にはいってきたのはスタッフ技だったのかも。
散楽戸の廃止は次の一文、延暦元年(782)秋7月壬辰(11日)に「続日本紀」巻37に、
壬辰。勅解却雑色長上五十四人。廃餅戸。散楽戸。
なんかついでに廃止します!といってる感じ?
散楽の次の猿楽が最初に文書に登場するのが、康保2年(965年)の村上天皇の時、
<召猿楽御覧之>
この章には昔の曲芸の絵からの技の解き明かしが書かれている。その中でちょっと気になった
記述がひとつ。
--
図が誇張されているのは「弄剣」の長刀の数の多さでも同様である。短刀ならともかく
1本を額の上に立てての5本の回転は人力では無理であろう
--
絵では2本を頭の上に載せて5本のシャワーになっているのだけれど、2本はともかく
1本を額にたてて5本のカスケードは可能なんじゃないの?
相撲節では宴会で演奏とか曲芸も同時に行われていたらしく、「兵範記」に保元3年(1158)
6月29日の相撲節では、輪古、荒輪鼓、弄環、高足、二足が曲芸らしきものとして
載っている。環古は輪鼓のこと、高足・二足は竹馬状の棒に乗って演じる曲芸、
弄環はリングジャグリングなのかチャイニーズリングなのか、その以外なのかは不明。
また品玉の解説中に9ボールの記述がある。十巻本「和名抄」に
「世間云多末斗利也。八在空中一在手中、」
品玉解説には刀のパッシングも載っている。「発心集」巻8には、
---
刀玉と云ひて、危きわざする者あり。それを見れば各々、刀六つを三人してとる。
宗と上手なる者をば中に立てて、前に向かへたる者一人、後ろのかたに一人、
各々刀三つを持ちて前後我をとらじと早く投げかくるを、中にて前より投ぐるを
後ろへ投げやり、後ろより投ぐるを前ざまにあげやる。
---
これは二人で6本のパッシングの間にひとりが挟まって受け渡しするパターンではないだろうか
さすがに刀でやるとかなり怖い気がする。
品玉で用いるアイテムの種類としては、綾巻絹、豆、鈴、小鞠、鎌、磁器、菅笠、脇差、
などが載っている。
江戸期の見世物としては弄枕が載っている。木枕を投げたり重ねたりする曲芸をさすが、
お椀のお手玉をさすこともあったそうだ。
大神楽への言及は8章の481-482ページ。
--
<伊勢神楽の勧進禰宣>は伊勢のお祓いと称して、伊勢・尾張から出た獅子舞が、中世
中期以降に、放下僧などの小切子などの曲芸・歌舞や手品などの芸能を交えた見世物芸・
大道芸になったものでそれらの門付けで生計の手段とした。本条では獅子舞だけの門付け
かもしれぬ。これらのお祓いを大神楽と呼んだが、大神楽は伊勢参りの代参の意味の
代神楽からきているとする語源説もある。いずれも烏帽子・素襖の神官の扮装で帰国した
のであるが、散所陰陽師などの賤民が多かったらしい。
--
永世15年(1518)の「閑吟集」の311首の歌謡の中に「放下歌」と肩書きに記したものが
3首ある。テンポがよくこれを囃して演じていたかもしれない。
著者:渡辺昭五
出版社: 岩田書院 (2000/2)
ISBN-10: 4872941616
内容:(「MARC」データベースより)
中世の文化の源泉となり、その環境を醸し出したり、文化の傍流として取り残され、
記録に残ることの少なかった放浪芸。社会の最底辺層にあって多くの民衆の眼を慰め
娯しませた娯楽文化としての放浪芸について述べる。
目次:
第1章 平安期の散楽と解頤劇
(天鈿女命の狂態/散楽の渡来と沿革/三代実録以降の相撲節会と散楽/
11世紀以降の相撲節会と散楽/烏滸と滑稽解頤劇)
第1章補 中世放浪芸の母胎
第2章 永長大田楽から田楽法師原へ
(初期田楽の性格/猿楽法師登場/他)
第3章 七道者の性格
(白拍子・歩き巫女・鉦叩き/乞食/猿飼/中世の都市流浪民)
第4章 絵解き大道芸と売春・鉦叩き・人形遣い
(絵解き法師/熊野比丘尼/他)
第5章 語り物芸人の系譜
(安居院唱導僧/当道座の流れ/物語僧と琵琶法師/太平記と時衆の聖たち)
第6章 太平記語り手と中世禅律衆
(怪力僧本性房/禅律僧と敗残兵/律僧文観/他)
第7章 歩き巫女の拡散と芸能化
(梁塵秘抄の巫女/中世の梓巫女/他)
第8章 中近世期の門付芸
(鹿島の事触れ:西鶴・近松の用例、弥勒踊、他/風神払と感冒/放下僧の大道芸)
第9章 弘法大師を騙った偽僧たち-高野聖
第10章 声聞師と万歳
(語源/下級陰陽師への変質/千秋万歳/声聞師と一向一揆/他)
第11章 芸能と芸能者-むすびに代えて
付 章 掛幅絵伝史-宗僧掛幅絵伝絵解き史の緒論
興味を持って読んだのは、一章の平安時代の散楽と八章の中近世期の角付芸。
--
散楽の発生は人類が文明を持った時、、敦煌莫高窟の壁画にも軽業・曲芸の図がある。
「周書」には<散楽雑戯>の語が見られる。源流は安息(イラン・ペルシャ)とか
ビルマとかいわれる。
日本渡来は明確にできないが「続日本記」巻12の天平7年(735年)
5月庚申に、聖武<天皇、北松林ニ御シテ、騎射を覧ジ給フ、入唐の廻使及唐人唐国新羅ノ楽
ヲ奏シ、槍を挊ブ>とある条から推察して、8世紀前半だったと推される。挊槍は弄槍で2-3人
で槍をぶんぶん振り回したり、投げ上げたり、額や鼻の上に立てるような曲芸であったと思われる。
--
日本に最初にはいってきたのはスタッフ技だったのかも。
散楽戸の廃止は次の一文、延暦元年(782)秋7月壬辰(11日)に「続日本紀」巻37に、
壬辰。勅解却雑色長上五十四人。廃餅戸。散楽戸。
なんかついでに廃止します!といってる感じ?
散楽の次の猿楽が最初に文書に登場するのが、康保2年(965年)の村上天皇の時、
<召猿楽御覧之>
この章には昔の曲芸の絵からの技の解き明かしが書かれている。その中でちょっと気になった
記述がひとつ。
--
図が誇張されているのは「弄剣」の長刀の数の多さでも同様である。短刀ならともかく
1本を額の上に立てての5本の回転は人力では無理であろう
--
絵では2本を頭の上に載せて5本のシャワーになっているのだけれど、2本はともかく
1本を額にたてて5本のカスケードは可能なんじゃないの?
相撲節では宴会で演奏とか曲芸も同時に行われていたらしく、「兵範記」に保元3年(1158)
6月29日の相撲節では、輪古、荒輪鼓、弄環、高足、二足が曲芸らしきものとして
載っている。環古は輪鼓のこと、高足・二足は竹馬状の棒に乗って演じる曲芸、
弄環はリングジャグリングなのかチャイニーズリングなのか、その以外なのかは不明。
また品玉の解説中に9ボールの記述がある。十巻本「和名抄」に
「世間云多末斗利也。八在空中一在手中、」
品玉解説には刀のパッシングも載っている。「発心集」巻8には、
---
刀玉と云ひて、危きわざする者あり。それを見れば各々、刀六つを三人してとる。
宗と上手なる者をば中に立てて、前に向かへたる者一人、後ろのかたに一人、
各々刀三つを持ちて前後我をとらじと早く投げかくるを、中にて前より投ぐるを
後ろへ投げやり、後ろより投ぐるを前ざまにあげやる。
---
これは二人で6本のパッシングの間にひとりが挟まって受け渡しするパターンではないだろうか
さすがに刀でやるとかなり怖い気がする。
品玉で用いるアイテムの種類としては、綾巻絹、豆、鈴、小鞠、鎌、磁器、菅笠、脇差、
などが載っている。
江戸期の見世物としては弄枕が載っている。木枕を投げたり重ねたりする曲芸をさすが、
お椀のお手玉をさすこともあったそうだ。
大神楽への言及は8章の481-482ページ。
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<伊勢神楽の勧進禰宣>は伊勢のお祓いと称して、伊勢・尾張から出た獅子舞が、中世
中期以降に、放下僧などの小切子などの曲芸・歌舞や手品などの芸能を交えた見世物芸・
大道芸になったものでそれらの門付けで生計の手段とした。本条では獅子舞だけの門付け
かもしれぬ。これらのお祓いを大神楽と呼んだが、大神楽は伊勢参りの代参の意味の
代神楽からきているとする語源説もある。いずれも烏帽子・素襖の神官の扮装で帰国した
のであるが、散所陰陽師などの賤民が多かったらしい。
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永世15年(1518)の「閑吟集」の311首の歌謡の中に「放下歌」と肩書きに記したものが
3首ある。テンポがよくこれを囃して演じていたかもしれない。
日本曲芸団歴史について書かれた論文を複写しに一ツ橋大学を
訪問した。かつて NYPL で論文検索していたときにひっかかったもの
だが、NYPLには存在せず、日本の国会図書館でも存在しなかった。
友人の助言でNACSISで検索したところ、いくつかの大学図書館がヒット。
そのうち学外者にも館内閲覧および複写を許す図書館が一ツ橋大学附属
図書館だった。心の広い運用に感謝。
一橋大学附属図書館は一般に公開しているばかりではなく、日曜日も
開館しているというすぐれもの。入り口をはいって、入管申込書に
氏名住所と目的としている文献名を書いて入館。
館内端末で所在検索を行い、お目当ての雑誌に到着。
電動書棚で最密充填されているので、ボタンを押すと自動的に
書棚が動いてアクセス可能になる。
探していたのは次の論文。
Title: Japanese Acrobatic Troupes Touring Australasia 1867-1900
Author(s): Sissons, David C. S.
Source: Australasian Drama Studies (ADS) 1999 Oct; 35: 73-107.
19世紀後半、日本曲芸団のオーストラリア近傍における活躍
をまとめたもののはず。この論文中に太神楽への言及があるかも
と思って探していた。図書館内複写機で論文をコピーさせて
いただいた。さあ、よむぞー。