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初老初級ジャグラーの日記です。 ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。 技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:現代風俗 興行―イッツ・ショウタイム!
著者:現代風俗研究会 (編集)
出版社: 新宿書房 (2005/02)
ISBN-10: 4880083305
内容:(「MARC」データベースより)
技や芸を披露する芸人や職人たちに注目。金と直結した技と芸をどのように披露するのか。芸人や職人、彼らに近い立場の人々が登場し、「銭をとるため」の厳しさ、苦労、テクニックを明かす。
目次:
第1幕 メイン「興行」九場
 (プロレスと興行
  見せる側の論理―意地と張り
 「個」に向かうムーブメントで興行は二極化する ほか)
第2幕 特別「興行」三場
 (映像業界さすらいの旅日記
 大須大道町人祭のはじまり
 大道芸人宣言一九九三~二〇〇三)
第3幕 プチ/ノン「興行」一四場
 (ギターを奏でる
 柔道の興行
 中年からのピアニスト ほか)



興行とはなにか、どのように成立しているかを業界ごとに語って
くれたのが第一場。プロレス、女子プロレス、ビューティサロン、
女装家、大衆演劇、大道芸人、小劇場、落語、が描かれている。
ビューティサロンの話がおもしろい。興行は全員に受けるカリスマ
型から客の一部に受けるレゾナンス型(共鳴)へという流れが
あるそうな。伝統芸能はよりわかりやすいパーミッション型(許容、
誰にでも理解できるもの)になっていく。
ある時期から美容室はガラス張りになった。それは興行要素である
流行性が確立されたために、見せてもかまわない、見せたいと
変わった。

トランスジェンダー芸能は、宝塚、歌舞伎を頂点に大衆演劇、
ニューハーフショーなど幅広い人気がある。欧米社会には見られない
現象。ゲイバーの元祖は1950年「やなぎ」。進駐軍慰問団にも
女装ダンサーがいた。かつて日本の花街にも男性でありながら
女性の芸者と同じ格好で芸を披露し接客をする「男芸者」が
いた。これは幇間とはちがい、女装をしていた。1970年代までは
彼らが日本の各地で活躍していた。性転換ダンサーも1961年登場。
1963-1965にはフランスのショークラブ「Carrousel De Paris」
のメンバーいわゆる「ブルーボーイ」が来日、ブルーボーイ
ブームが巻き上がった。66年3月5日帰国のBOAC機に乗った彼らは
富士山上空での墜落事故に遭遇。。それから和製ブルーボーイが
キャバレーで活躍、70年代初頭にゲイバーでのショーが確立。
トランスジェンダーは微妙なバランスの上に魅力が発生している。
女性的な容姿を獲得することは興行価値を向上させるが、まったく
女性になりきってしまうとトランスジェンダーとしての価値がなくなる。
性同一性障害の治療として普通の人を志向するため、トランスジェンダー
芸能者の供給路が狭まりつつある。

大衆演劇は、入場料収入と、舞台での観客から贔屓役者への現金の
贈与、いわゆる「ハナ」が収入となる。ハナは公の経済活動として
認知されていないアングラマネーであるが最近は税務署も目をつけて
いるらしい。

この章の著者が書いている大道芸興行として必要なものは次のとおり
1.わかりやすさ、2.かっこよさ、3.笑い、4.愛嬌、5.色気、
6.しつこさ、7.すこしばかりの物足りなさ、
8.舞台と客席の境界侵犯、9.下手さ(多少の失敗があるほうが演者に肩入れしてみてくれる)
大道芸のニッチ市場を目指すアプローチとして、和もの、ターゲットを
中高年としてみている。ジャグやマイムの洋物・子供向けとすみ分ける。
銭になる芸としては、1.自分のやりたいことより客が喜ぶことをする。
2・上演の「場」になじむこと。3・上演の「場」を作ること。
4・ウケる客をすばやく見つけること5.舞台と客席との境界を壊すこと
6.メリハリがあること7.どこかに「スキ」があること
8.エンディングの工夫

小劇場は儲からない構造を持っている。チケットが完売したところで
収支がとんとん、しかも収入の大きな部分を団費、チケットノルマが
しめていて劇団員の個人負担に負うところが大きい。
なぜ劇団員が食えないのか?
1・お金がない、2.時間がない、3・仕事にならない(劇団だけでは
食えない、実はつぶしが利かない)、4.劇団の呪縛から逃れられない
(劇団保存へと目的がすりかわる)、5.お客のことを考えてない、
6.そもそも食おうとしていない(稽古は熱心だが、ビジョンがない)
「こりゃ興行じゃなくて道楽だな」という言葉が的を射た表現だそうな。

大道芸人雪竹太郎氏の話も掲載されている。世界の大道芸事情、日本の
大道芸事情、大道芸の展望がつづられている。管理には否定的、だが
その地域の枠内でせいいっぱいやっていく、いやなら別の場所へ行く、、

プチノン興行はみんなの道楽かな。なかなか興味深い。


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書名:江戸の大道芸人―大衆芸能の源流
著者:中尾 健次
出版社: 三一書房 (1998/01)
ISBN-10: 4380980014
内容:(「BOOK」データベースより)
芸能を通して民衆文化を底辺から支えた人たち。「非人」「乞胸」「願人」たちの活躍。大道芸の源流をさぐる。
目次:
 序章 都市下層民の成立
 第1章 非人と大道芸
 第2章 乞胸の大道芸
 第3章 願人の大道芸
 補章 猿飼の芸能
 終章 江戸の大道芸と近代



非人の基礎知識と、乞胸、願人、猿飼についての記述がなされている。
今まで読んだ本と内容としてはほとんどかぶってしまうのだけれど、
今までの中で一番読みやすいように思われる。
明治の賤民制廃止令において願人は忘れ去られており、名前が
廃止されるのは2年後だった、というのは願人の立場を物語って
いるのだろう。貧民のための教育所が設立されて、実際に多数の
貧民を受け入れながら、明治4年には廃止。
乞胸などの民間団体を解散させておきながら、大道芸を取り締まり、
糊口を得る手段を失わせたのはかなり過酷な行政と言われても
しかたないだろう。


書名:路上のエスノグラフィ―ちんどん屋からグラフィティまで
著者:吉見俊哉(編さん), 北田暁大(編さん)
出版社: せりか書房 (2007/04)
ISBN-10: 4796702776



次の3点に注目したフィールドワークの報告集
・パフォーマンス・コミュニケーションを行う都市空間というものと政治(行政、管理)のあり方
・芸を見る/見られるというまなざしが紡ぎあげる関係性
・メディアとの関係性、メディアとしての都市空間

次の4章からなる
・ストリートアーティスト
・ちんどん屋
・サウンド・デモ
・グラフィティ・ライター

これは東京大学大学院情報学環学際情報学府2004年度夏学期授業
「社会情報学研究法1」の調査実習として院生が行った結果である。
学生時代にこんな調査を行えるなんてとてもうらやましい。

ストリートアーティストに関しては、ヘブンアーティスト制度に
関する芸人からのさまざまな思いが書かれている。制度ができた
後にかえって路上での場がなくなったとするもの、公に認知される
ことでやりやすくなったとするもの、行政の選別・囲い込みに反発
するもの、管理と抵抗のみではなく活用しようという立場もあり
ほんとにいろいろ。
メディアとの関連では「ゆず」を題材にして、実はマスメディア
デビューが決まっていた後で路上コンサートを続けることで神話
をつくったとのこと。しかも路上で歌っていたのはさほど長くない。
路上を通過点と見るか、路上を目的地としてみるかによって
芸人たちのアプローチ方法も異なる。

ちんどん屋は歴史がおもしろい。融通無碍で生き延びるために
どんどん変化しているのはまさしく大道芸の典型だろう。
ちんどん屋の定義は微妙、ちんどん太鼓は明治末期から大正
中期にかけて発明改良され、昭和初期以降普及していった。
ちんどん屋同士は緊密なネットワークを持ち、人の貸し借りや
縄張り意識までさまざまな規範や関係がそのネットワークで形成
されている。
終戦後、三味線の代わりに洋楽がはいった。白塗りや化粧をする
ようになったのも終戦後。60年代以降はパチンコ屋の宣伝がもっぱら。
平成にはいると宣伝よりもストリートパーフォーマーとしての
仕事が多くなった。。


サウンドデモ、グラフィックライターにかんしては略。
これから先ちんどん屋はどう変わっていくのか楽しみだったりする。
ヘブンは難しいねえ。


書名:中世賤民と雑芸能の研究
著者:盛田 嘉徳
出版社: 雄山閣; 新装版版 (2004/07)
ISBN-10: 4639018495
内容:(「MARC」データベースより)
日本の芸能は、「社会外の社会」に押しやられた人々の、生き抜くための手段として生まれ、貧窮の中で育まれた。中世以来、庶民生活と密接な結びつきを保ちながら生き続けた雑芸能などに焦点をあてる。74年初版刊の新装版。
目次:
第1部 虐げられた人々
 (河原の住民、賎称語源考、散所に関する研究の変遷 ほか)
第2部 雑芸能とそれを育てた人々
 (千秋万歳の研究、松ばやし考、アヤツリ物のこと、放下について ほか)
第3部 諸興行物の支配権をめぐる問題
 (「勝扇子」に関連して、小林新助芝居公事扣、豊竹和泉太夫所持の証文)


千秋萬歳の研究の項に次のような記述がある。

--
千秋萬歳法師原が、内裏や貴顕の門に推参するようになってから、
芸能化が急速に進んだものと推量されるが、本来が咒禁的な除災
招福のわざであり、そこを離れられぬ制約があって、芸能化にも
おのずから限界があった。それを援けるためには、別に興を添える
ものを工夫せねばならぬのでさまざまな試みが行われた。
「実任卿記」正安三年(1301)正月に、、(略)
猿楽三番了、突手鞠、次振釼、以退出、

と猿楽や、鞠つき、刀玉などを演じたことが記録されている。
--
なんだかいつの世でも放下芸は「いろもの」なんだなあとちょっと
しんみりしてしまった。
202ページから223ページまでは「放下について」
--
貞和5年(1350年)御舎利殿に手マリ突児来、、(略)
次手マリ、次ニ?ネナシ小刀ヲ口ニ一クワエ、左右手一ツゝ
三以ッテカエル
--
刀の綾織で口に咥えるといったところか?
放下の分類も少し書かれていた。
「弄丸」「弄剣」「手鞠」「弄鈴」:いずれもトスジャグリング
 手鞠を突く、といったとのこと。ここに次の一文がある

--
つまるところは、同じような手技に過ぎないのである。
--
同じかどうか是非とも挑戦してくだされ>著者

「輪皷」こきりこについても言及が有る。
放下の起原、来由については不明、従来田楽法師のなかから
わかれたものであろうと説明されてきたが、実は根拠に乏しい仮説
にすぎないと著者は主張している。

「三壺聞書」金沢城火事之事に、金沢城下の才川口、鬼川のにぎわい
が述べられていて放下の座がいたことが記されている。

「玉露叢」巻37、延宝8年(1680)に四代家綱将軍の前で
演じたとある。

--
都右近放下を上覧、
三本松、毬の曲、枕返し、生鴨籠より二つ出る、山の薯鰻に
なる、緒よけの放下、玉子の曲、籠より小鳥出る曲、絵雀に成る放下
--

曲芸と奇術がまざったパフォーマンスのようだ。
枕返しを将軍の前でやりますか?

太神楽に関してはこの章の最後の段落でのみ次のようにふれられている。

--
放下の芸は、幕末には、一部を代神楽が受けつぐことになり、
寛政9年(1797)刊の「伊勢参宮名所図会」巻三には、
 代神楽は桑名の近村太夫村より出る、これを代神楽と云ふは、
 庚申の代待又は代后離などの同物なるべし、放下をなす事
 その故を知らず、
とあるが、この以前から、代神楽が放下の芸の一部を演ずる
ようになっていたことを証するものであろう。
--

いったい江戸時代のいつごろに放下を吸収したか知りたいところ
なのだが、、、、
書名:見世物研究 姉妹篇
著者:朝倉 無声 (著), 川添 裕 (編集)
出版社: 平凡社 (1992/05)
ISBN-10: 4582260047
内容:(「BOOK」データベースより)
無声の雑誌論考をはじめて集成。〈見世物・大道芸・大道物売〉研究のもう一つのバイブルが誕生。


「観物源流考」という章に散楽の歴史がつづられている。
奈良時代から平安時代には散楽は雅楽寮に属して、もっぱら公宴の
用に供せられていた。「弄刀」として3人、刀6本のパッシングが
書かれている。また「田楽法師由来書」に刀玉として、短刀3本、
日の丸絵の扇1本、都合4本を両手で投げる芸が書かれているそうだ。
日の丸の絵を活用した芸だったのだろうか??
「独楽」もある。平安時代から曲独楽があったのかもしれない。

田楽にはいった散楽は、放下・蜘舞の二種となった。
放下はトス、ディアボロを含み、蜘舞は軽業、軟体系のもの。
やはり客に受けない芸はすたれていったようだ。
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