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初老初級ジャグラーの日記です。 ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。 技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:にっぽん芸人図鑑―珍芸・奇芸・名人芸
著者:神津 友好
出版社: 主婦と生活社 (1989/04)
言語 日本語
ISBN-10: 4391111497
ISBN-13: 978-4391111491

笑いの楽屋(芸人紹介)、一芸名人集(一芸と芸人の紹介)、いろは笑説(エッセイ)の三部構成。
一芸名人集は「花王名人劇場」のヒット企画のひとつであったとか。
60-61, 120ページに海老一染之助・染太郎が紹介されている。
その他太神楽では、鏡味小鉄社中・小次郎・尾藤イサオ、
鏡味仙之助・仙三郎(鎌倉振り)、翁家和楽・小楽。
「鎌倉振り」はもともとは「鍬っぺら」とよぶ鞠の芸のひとつ。鍬の上に
ジュースのはいったコップを載せて客席に向けて振り回す。
<古くからあった><いつごろから><鎌鍬時代>というかけあいが
はいるので著者が「鎌倉振り」と呼んだとのこと。
曲独楽も色々載っていて、なかでも筑紫こま鶴の曲独楽ショーは
一味かわっていたらしい。NY在住、大劇場向きのアクション曲独楽で
客席の頭上をうなりを生じて巨大な独楽が空中を飛ぶという技。
失敗して綱が外れた場合は、、というこわがらせ口上に客席がざわめく
のだが、リハーサルで本当に失敗して客席に穴を開けたことがあるという(^^;;)
どんなものか見てみたいなー。
3部の「く」の項にまた染之助染太郎が登場している。

----
修練40年を超える芸だが、まず稽古のはじめはあの短い1本の笛を顔に立てる
芸で、そんなやさしそうなことがもっとも難しいことであり、最初に一番
難しいことから教え込まれることがこの世界の決まりで、理論よりまず馴れる
こと、身に付けることがスタート。鞠を棒2本で操る「一つ鞠」の一連の芸は
習得まで5年。両名とも土瓶の加え撥など舞台で目の近くのものを見つめつづ
けるために、とうとう近眼になるという職業病まで背負い込んでしまっている
----

バランスは短ければ短いほど難しいのだけれど、やったことがない人には
短いのはやさしそうに見えるのね。一つ鞠は5年と聞いてちょっと気が
遠くなった。私の年だと50年かかりそう。。
それにしても本当に咥え撥で近眼になるものなの?
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題名:無形文化財記録 芸能編1 民俗芸能 <神楽>
編者:文化庁
発行:第一法規出版
発行年月:1970年8月
定価:3800円

無形文化財保存事業の一環として行われた以下の三事業から得られた
調査記録のうち神楽芸系のものをまとめて収録してある
1。全国民俗芸能大会(昭和27年度-43年度)
2.ブロック別民俗芸能大会(昭和34年度ー43年度)
3.民俗芸能緊急調査(昭和40年度ー42年度)
各神楽に2-6ページを割き、写真と共に場所、時期、由来、組織、
扮装、演目、歌詞、特色、参考文献などが掲載されている。
江戸太神楽は134-135ページ、伊勢太神楽は184-189ページ。
伊勢太神楽の歌詞の項に、水の曲、手鞠の曲、奉燈の曲の歌詞が
記述されている。水の曲と奉燈の曲は75調、手鞠の曲は7調である。
手鞠の曲の冒頭は次の通り。

さあさよやさて さておだやかに
東西南北    鎮まりたまえ
いともかしこし 御中の主は
無始無終の   大神さまで
陰陽(めお)の産霊(むすび)の  御神徳(みわざ)によりて
創りすすむる  宇宙のさまよ
いづのみたまと 天地のきわみ

なんかすごく有難そう。ほとんど祝詞ですね。
これにどういう芸がつけられているのかたいへん興味あり。
かつては他の太神楽でも同様の祝詞が口上としてなされていたの
であろうか?
書籍名:江戸の大道芸
著者:高柳金芳
出版社:柏書房
発行年月:1982年9月
価格(税込):1,680円
ページ数/版型:219P 20cm
ISBN:978-4-7601-0184-9

[概要」

Ⅰ 大道芸の沿革
わが国芸能のはじまり:舞楽の起源はあまのうずめのみことが天石窟戸の前で踊った時
江戸の大道芸の発展:天から神々をお迎えする来臨の形を取った。当然野外の芸。
大道芸能者に対する卑賤観:見せて金を取るのは卑しい、非農業は卑しい、ということで差別が発生。
Ⅱ 大道芸の諸相
江戸の太神楽:神楽舞が起源
角兵衛獅子:一人立ち獅子舞は中世末期より。農閑期の子供の出稼ぎ。
江戸万歳:全て三河万歳。大晦日には才蔵市がたっていた。
猿廻し:平安時代より。厩における馬の安全息災を祈願するため猿に舞をさせた
猿若:人間が猿を演じる。「猿狂言」とも言われる。
鳥追(女太夫):三味線を弾き、歌を唄いながら銭を乞う門付け芸。鳥追は元旦から15日まで。それ以降は女太夫。
瞽女(ごぜ):盲目の女芸人が集団を組み、三味線などで門付け芸を行った。
飴屋踊:飴を売るために唄ったり踊ったりする。
願人踊:庶民に代わって参詣し、精進する願人坊というのがいた。ここから逸脱し、最後には妻子をもつ僧体の物乞いになり、門付けで踊ったり唄ったりしていた。
半田行人:札を配り、歌を歌いながらまちまちを踊り歩く僧体の物貰い。
物読・講釈:古戦記を読む。
声色:役者・芸人の音色・身振りを真似る。
えびす舞と大黒舞:招福の門付芸。
むすび:わが国芸能の起源は全て大道芸・門付芸であり、被差別の土壌に生まれ育ったものである。


表紙が門付けで花籠鞠を行っている絵となっている。
この絵の中心人物は右手に籠、左手に鞠、空中と籠の上に鞠がひとつ
ずつ。後見は鞠がたくさん入った袋を持っている。

江戸の太神楽の項は次の通り。
  太神楽の起源、神楽舞
  伊勢・熱田二派の太神楽
  江戸に基盤を築いた熱田派
  江戸太神楽組合の結成
  伊勢派の江戸移住
  町人身分・寺社奉行支配
  太神楽仲間規定
  太神楽の構成
  太神楽の服装
  演目「太神楽十三番」
  歌舞音曲に見る太神楽

太神楽は寺社奉行の支配下にあり、身分はあくまで町人、人別帳は
町方に差し出していた。
この項の挿絵は獅子舞、籠鞠、曲撥。籠鞠は人気なのね。



題名:日本の放浪芸  オリジナル版
出版社:岩波書店
■体裁=A6.並製・414頁
■定価 1,260円(本体 1,200円 + 税5%)
■2006年8月17日
■ISBN4-00-602105-4 C0176

岩波書店のサイトから引用。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/60/4/6021050.html

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1970年代,著者は万歳,絵解き,舌耕芸,香具師の口上や猿回しなど消滅しつつあった諸芸を記録してまわる仕事に取り組んだ.また万歳の門付けを体験し,河内音頭,山伏神楽,盲僧の琵琶,大衆演劇などを訪ね歩いた.本書は民俗芸能史の貴重な資料であり,放浪芸探索の旅は新劇俳優としての自らのルーツを確認する旅であった.

目次:
1 日本の放浪芸 小沢昭一が訪ねた道の芸・街の芸
2   放浪芸をひとまず訪ね終えて
3   万歳の門付体験記
4   正月の祝い芸と「信仰」
5   諸國藝能旅鞄(げいをたずねてイッタリキタリ)
6   舌耕芸 香具師の場合
7   お金に換える芸能
8   節談説教の魅力<インタビュー>
9   『日本の放浪芸』始末書

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この第五章の中(297-318ページ)に「<伊勢太神楽は大繁昌>の巻」
というのがある。門付け芸能は庶民の信仰心の変化とともに滅びつつ
あるが、その中で例外は伊勢太神楽である。なぜ例外となっているのか?
を解き明かすために著者は1日神楽師を志願したそうだ。同じ装束を着て
新米として門付けに参加。
村人たちは毎年見てきた芸だけを見るために毎年太神楽を迎えている
のではなさそうだ。つまりは信仰、伊勢太神楽は伊勢信仰の上にのっかって
いる。それにかまどの荒神を祓ってもらいたい信仰も村に生きている。
太神楽の巡業する地域は必ず農村地帯なのであった。
「仏の守りをお寺さんがするように、われわれは荒神さんの守りに出て
行く神主です。代々受け継いできた持ち場ー村の1軒1軒は寺で言えば
檀家のようなものなんですね」



信仰が薄れてしまった地域では太神楽そのものとして生き延びるのは
難しいのか?だが初詣等をみていると適応しさえすれば日本中どこでも
いけるような気もする。課題はどのようにすれば良いかということ。。


題名:いろどる : 色物の世界(芸双書1)
著者:南博、永井啓夫、小沢昭一編
出版社:白水社
出版年:1981.1

明治、大正、昭和時代の色物の変遷と1980年当時の漫才の現状についての
短編集。冒頭の永井氏著「マリとバチ ”いろもの”の空間」で太神楽
に関する記述がある。ちょっとずつ引用。

まずは色物の定義。

---
「いろもの」とは大雑把に言えば、「寄席で演じられる各種演芸の総称」
であり、東京では「落語以外の演芸の総称」、大阪では「漫才以外の演芸の
総称」。江戸期の演芸場は「講釈場」「浄瑠璃席」「寄席」に分かれており、
その寄席が落語以外の演芸を加えるようになってからは「色物席」と呼んで
区別していたが、落語の単独公演の方が例外となったため、寄席といえば
色物席を指すようになった。色物の分類は大雑把にいえば、曲芸、奇術、
音曲、踊り、物まね、寸劇、漫談、珍芸その他。
---

放下の意味。

---
太神楽としては、大神宮のシンボルとして獅子を舞わせて祝祷し、余興
として放下を見せるという二面を持っていた。放下とは禅語の「放下」
より出たもので本来は「一切の煩悩を離れた自由な状態」の意だったが、
転じて散楽系曲芸の「自由奔放な芸態」を指すこととなった。
---

やっぱり放下って人生投げるって意味だったのね。
「人生投げて玉投げて」というtossLifeのキャッチコピーは放下の
本質を示しているのかも?

口上について。

---
太神楽の口上は曲芸と同じように大切な比重を占めている。わが国の
口上の歴史は中世に大社寺で行われていた延年の<風流>にまで
さかのぼることができる。芸能の場に運び込まれてくる風流の飾り物を
呼び出したり、情景描写する役者を<開口>と呼んでいた。世阿弥は
能のワキのことを開口人と呼んでいた。現代でも歌謡曲の実演に先立って
司会者が美文調でテーマを歌い上げるのは口上の威力なのである。
口上はあくまで曲芸の添え物であるが、もし口上がなくて演者がひとり
で曲芸を黙って演じていたら退屈するであろう。
太神楽の口上は本来のひとり立ちから二人の<掛合>に推移していく。
一人で演目を美文調に読み上げる口上に対して、これを繰り返しながら
ナンセンスにしてしまう道化役の登場である。マジメとナンセンスの
対立によって口上の内容がより深く理解される。さらにひとつの見所
と次の見所の間に時間的なリアクションをおくことによって、両者の
技芸をより際立たせることの効用である。
万歳のコンビがあまりにも様式化しているのに対して、太神楽の掛合は
はるかにリズミカルな人間臭に満ちている。
祝祷を主旨とする太神楽の一社を主宰する太夫には、神職まがいの厳粛な態度を
とらねばならぬ一面がある。これに対して口上や諸雑芸を担当し、娯楽の
起爆剤となる道化役も時代が下るに従って太夫に劣らぬ重要な役割を
受け持つことになる。関東の太神楽の符牒で道化役をメグロと呼んでいる。
先代鏡味小仙が東京演芸界の大御所としての人気を保ち続けたのは、相方の
メグロ初代鏡味小金との名コンビによるものといえる。
---

口上やはり大切なんですよね。私はジャグリングにも口上ある方が受ける
と思うのだけれど、技の名前を述べる以上のトークに出会ったことがない。
江戸時代から昭和にいたる太神楽社中の変遷も記述がある。
昭和まで厚木太神楽ってあったのね。

現代の太神楽について。

---
現代の太神楽は、本来の使命だった祝祷という一面を放棄してしまった。
戦後の世相の中で大衆の予祝信仰に期待することができなくなったからで
ある。しかし現代でも若者を含めて大衆は新年になると晴れ着をまとって
鎌倉や代々木の神社に参詣する。信仰というよりも新年というレジャーを
楽しむためである。こうした大衆のいつの時代も変わらないレジャー希求を
上手に把握していたのも太神楽だった。大衆は太神楽の<芸>を通じて
信仰心を満たし、太神楽は信仰めかして<芸>を販売していたのである。
戦後の太神楽がその仕組みを簡単に放棄したのは大きな損失だったと
いわなければならない。
太神楽から<口上>や<茶番>が見られなくなった理由は道化役の不在である。
太神楽の若い世代はすべて紋付袴姿の太夫役を志望し、道化役に関心がないらしい。

以上太神楽について日ごろの鬱憤を漏らしてみたが、そういう条件が
満たされたとしても太神楽が昔日の姿を取り戻すのは実は不可能なのである。
その理由は太神楽の技芸がすでに<完成>されてしまったためだからである。
茶番にはもともとかかれた台本などはほとんどなく既成のパターンの組み合わせ
で探りあいながら対話を進めていくのである。しかしいつのまにか文字に
かかれぬままに台本が完成し、テキスト化されてしまった。台本の改訂が
なされぬまま、言語感覚や成育環境が異なる若い世代が演じることは
不可能である。
。。。
音曲噺をネガとして人情噺が生まれていくこのふたつの例にも知られるように
原作・原典の中の芽を育て、自分の語り口、自分の解釈によって新しい作品
を作っていく、これが大衆芸能<いろもの>の方法だったのである
---

道化が生き残っている伊勢太神楽を早くみてみたい。口上もくすぐりを今日
的なものに変えていくなど補修的な改善が必要だと思うのだけれど、伊勢
太神楽はどうなのかなあ。
江戸時代において客が太神楽に求めるものと、現代において客が太神楽に
期待するものは当然異なるだろう。昔は祈りであり、現代は「和」なのかも
しれない。「和」がいったい何をさすのかは私にはよくわかっていないの
だけれども。。
現代に対応するために、どこまで変えればよいのか、どこまで変えても太
神楽の本質を見失わないのか、それこそ「はめをはずさずにはめをはずす」
度量が求められている気がする。

また小島貞二氏著「いろもの戦国時代 明治・大正・昭和の演芸」には
次の記述がある。

----
おおざっぱにわけて、明治も20年ごろまでは、江戸時代に活躍したいわゆる
本格的な芸の持ち主が支持された。芸界もそうであったが、客である江戸っ子
特に下町っ子たちは、芸のうまさを評価したわけだ。
20年以降になると、東京の人口も急速に増え、それも地方からの移入が
目立った。寄席の客層も大きくかわったのも当然だ。存分に味わって感心する
という本格の芸よりも、ストレートで面白いものが歓迎されるようになった。
---

これってBroadway Musical の客層の変化が作品内容にもたらしたものとそっくり。
"On Broadway Art and Commerce on the Great White Way"(Steven Adler 著、
Southern Illinois University Press) によると、NYが安全になり
地方や外国からの旅行者、そしてファミリーが観客の主流になるにつれて、
作品としてよりわかりやすくストレートに面白いものが求められるように
なったそうだ。だから今はディズニー全盛なのよね>ブロードウェイ。
もっとも新作ターザンはこけちゃったけれど。

この本の最後には関山和夫氏の「色物・文献解題」に過去の文献が示されて
いる。江戸時代にはほとんどないのね。次のふたつが著名なもの。

・「猿猴庵日記」高力種信著
  安永6年(1777)から文政9年(1828)まで50年書き続けたもので芝居や
  見世物、寄席興行に触れた部分がかなり多い。この書の原本は今は見られない
  が市史本が名古屋市・鶴舞図書館にあり、それを基にしたものが「名古屋叢書」
  第17巻に尾崎久弥氏翻刻で収められている。

・「見世物雑志」小寺玉晁著、5巻5冊、早稲田大学図書館蔵
  文政元年(1818)から天保13年(1842)にいたる25年間の名古屋における
  あらゆる種類の寄席、見世物の興行が記録されている。この原本は早大にあるが、
  名古屋叢書第17巻等で収められている。

それから時代はとんで次におさえておくべきものがこれ。

・「見世物研究」朝倉 無声著
  昭和3年出版。(現在筑摩書房 (2002/02) より復刻版が出ている)
http://www.amazon.co.jp/%E8%A6%8B%E4%B8%96%E7%89%A9%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E6%9C%9D%E5%80%89-%E7%84%A1%E5%A3%B0/dp/4480086811

昭和40年代からはいろいろ文献が出ている。永六輔氏、小沢昭一氏たちの働きが
大きいようだ。これからいろいろ読んでみたい。
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