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初老初級ジャグラーの日記です。 ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。 技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:乞胸 江戸の辻芸人
著者:塩見 鮮一郎
出版社: 河出書房新社 (2006/7/15)
ISBN-10: 4309224547
内容(「BOOK」データベースより):
 被差別民となった江戸の武士たち。「ごうむね」とは、江戸初期、戦乱がおさまって天下が平定されるとともに、余剰人員となって失職した武士たちが、同じ境遇の長嶋礒右衛門のもとに集められ、乞食に身を落として大道芸をなりわいとした身分の者をさす。浅草弾左衛門、車善七の支配を受けた彼らの生態を、豊富な図版とともにまざまざと活写する。

乞胸の成立から崩壊までを描いている。
乞胸ができたのは慶安4年(1651年)あたり、崩壊は明治維新。
リストラされて食うに困った武士が芸を始めたのが乞胸のはじまり。
身分は町人であるが、家業を行っている間は非人頭の車善七の支配下に
はいるというきわめて変則的な身分の運用。
しかも非常に緩やかな共同体で、未認可で乞胸と同業を行っている者は
説得して組織に取り入れて、上納金と引き換えに鑑札を渡していた。
また組織を離れるのも自由だった。
乞胸に含まれる業種は次の通り
1.綾取り(ジャグリング)
    「これは竹へ綱をつけ、右を色々に投げうけ候義をいたし候者なり。」
    先端に縄のついた竹を空中に投げ上げる曲芸のようだ。これらしきものと
    鎌を同時に投げる絵が掲載されている。絵を見て、ひょっとしたらメテオ
    に近いものだったかもしれないと思った。
2.猿若(道化役)
3。江戸万歳
4.辻放下(皿回し、ジャグリング、立てもの、枕)
5.操り(マリオネット)
6.浄瑠璃
7.説教(節談説教?)
8.物真似
9.仕形能(物真似能)
10.物読(門にたち本を読む)
11.講釈(物読との違いが不明)
12。辻勧進(こじき)

辻勧進と願人坊主は顧客も持ち芸も重なっていたようだ。願人坊主から「勧進」
という仏教タームを使うのはけしからんという訴えあり。
「乞胸」は「乞旨」から転化してできた言葉だという主張がなされている。
当初は芝居や見世物小屋を収入源にしていたのが幕府の弾圧でできなくなった。
かつては武士であった彼らはひそかに刀をさしていたが、安永2年(1773)に
家業の時は帯刀禁止のおふれが出た。
また香具師とも縄張り争いをした。香具師の業務は、居合抜、曲鞠、唄回し(独楽)、
軽業(綱渡り、竿昇り)、見世物、覗き(箱の中の絵を覗かせる)、
懐中掛香具(におい袋売り)、諸国弘商人(大勢による薬行商)、辻療治膏薬売り、
蜜柑梨砂糖漬売、小間物売、火打保口売り、諸国妙薬取次売(薬行商)。
香具師は売薬を主とする商人であり、乞胸は芸で投げ銭をえているエンターテイナー
であるところが違う、と香具師は主張していたらしい。なんか今の食玩とプラモデル
の違いみたい。
また寄席で乞胸と業務がかぶるものが増えていき、寄席から乞胸頭への上納金が
払われた。ただ、寄席からの不満が出てじわじわと支払いをしないところが出て、
払うのは非常にすくなくなってしまった。天保の改革時には弾圧された。明治維新
では明治4年(1871)線民制廃止とともに非人頭に上納金を払う必要はなくなったが、
業務独占権も同時になくなった。そのうえ明治5年(1872)「市中風俗取締」
「違式{言圭}違条例」(いしきかいいじょうれい)で門付けや見世物小屋を禁止
されてしまった。
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書名:ホスピタルクラウン 病院に笑いを届ける道化師
著者:大棟 耕介
出版社: サンクチュアリ出版 (2007/2/8)
ISBN-10: 486113904X
出版社/著者からの内容紹介
 よく、子どもたちに笑われます。
 よく、子どもたちにしかられます。
 それがぼくの仕事です。
 「すべての子どもに笑いを」という想いを胸に、病院をまわり、
 闘病中の子どもたちを笑いで元気づける、ある道化師の心温まるエピソード。
 彼の一流のパフォーマンスによって、失語症の子どもが口を開き、
 寝たきりの子がはしゃぎ回り、表情のない子どもが笑顔を取り戻した。
 患者の人間性よりも治療を重視しがちな病院。その片隅で、つかの間の
 "笑い"が患者たちにやさしい風を起こしていく。
 道化師と小児患者が生んだ、愛と涙の感動実話。

豊富なカラー写真を含んだホスピタルクラウンのドキュメンタリーともいうべき
内容。小児病棟いってボランティアするのは半端な覚悟じゃできないですよねえ。
あっという間に読めて、自分も道化師をやってみたくなる本。

65ページ。
「道化師のジャグリングと、曲芸師のジャグリングは違う。曲芸師が芸を披露する
と、お客さんから「すごい」って拍手がもらえる。ぼくたち道化師にとって、芸は
お客さんと近づく手段でしかない」
この観点は大切にしたい。
おばあちゃん道化師とコンビを組んで米国のホスピスを訪れた時の話。112ページ。
「それでも死を間近にした、肌の色も言葉も違う、体の大きな患者に対してぼくは
一歩も近づくことができなかった。わけもなくこわかった。相手を笑わせるどころか、
ぼく自身が笑えなくなっていた。」
痴呆の方々と応対することが多い私にも、この状況はとてもよくわかる気がする。
私の場合は、皆さんに*今*を楽しく暮らしていただければ、とりあえずは
それで十分。



書名:海外公演事始
著者:倉田善弘
出版社:東京書籍 (1994/11)
ISBN-10: 4487722373
目次:
  序章 明治の海外公演
  第1章 軽業師の海外雄飛
  第2章 洋行した烏森芸者
  第3章 ふたつの演劇団
  終章 海外公演一覧
内容(「MARC」データベースより)
初の海外渡航者の軽業師、万博に出場した芸者たち等、海外へ出掛けた芸能関係者の動きを追跡し彼らが日本へ何を持ち帰ったのかを探る。欧米の日本人観のルーツや国際化を急務とする日本側の思惑を描く。

パスポート・ビザ申請などの公的記録や新聞記事など膨大な資料を基に、幕末から
明治に海外進出した日本人の実情に迫っている。文書を丹念にさぐったアプローチ
が素晴らしい。記事や申請書類の名前がつき合わされていくところは、ミステリー
を解いているようにも思える。
曲芸では、足芸、曲独楽、胡蝶の舞、鞠と撥、が外国人に新鮮に思えたらしい。
太神楽関連では栗田勝之進と鏡味仙太郎のふたりの名前が出てくる。
明治18年4月6日ボストン発の通信文では、栗田勝之進が鞠と撥で出演したことを
報じている。103ページ。
「同人は立派な当国の婦人を妻に娶り夫婦にて舞台に出で、同人は鼓槌(ばち)を
投げくれは細君之れを受け取り、丁度我か太神楽にて親方に頭をコツコツ名倉縷々
小僧のすることをなし居れとも、夫婦とも評判よく、立派な我か堂々たる顕官と
等しき生計を営みいる由」
夫婦でコントをいれながらパッシングを行ったということだろうか。
勝之進はオーストラリアのAnnie Henning と結婚したいと願い出た文書が残って
いるそうだ。国際結婚での撥のパッシングはさぞかし見ものだったろう。
仙太郎が明治34年報知新聞「太神楽の洋行談」として連載したものが、
「仙太郎の聞き書」として載っていた。ロンドンの劇場で圧倒されたこと、
レットオーライという名の綱渡りがいたことなどが書かれている。
ロンドンの劇場は当時は凄かったのだと思うが。。いまは古色蒼然ですな。
この洋行談は全部通して読んでみたいものだ。
国立国会図書館にはあるようなので機会があったら参照してみようと思う。
http://opac.ndl.go.jp/Process?MODE_10100001=ON&SEARCH_WINDOW_INFO=01&THN=23&INDEX_POSITION=13&DB_HEAD=01&SORT_ORDER=01&SHRS=RUSR&QUERY_FILE=8061459414_651185&TA_LIBRARY_DRP=99&DS=0&CID=000007563463&SS=03&SSI=2&SHN=23&SIP=14&LS=8061459414


後書きから参照した資料と所蔵機関名を記しておく。
色々なデータを調べる場所がわかってうれしい。

外務省外交史料館:
海外行人名表、航海人名細鑑、海外旅券下付表、海外行免状書類、邦人被傭雑件、海外渡航関係雑件、内外人民結婚雑件、巴里博覧会ニ本邦芸妓ノ渡航方奥宮健之及仏人「ロバート、ミッショ」等ニ於テ計画1件

東京都公文書館:
明治5年官省進達往復留、壬申記事類簒、庶政要録海外行ノ部、海外旅券下付人名簿、海外旅券願人名簿

国立国会図書館:
市中取締書留、海外行人名調、グラフィック、ル・モンド・イリュストレ

神奈川県立博物館:
絵入ロンドンニュース

横浜開港資料館:
イリュストラシオン、ル・モンド・イリュストレ、ノース・チャイナ・ヘラルド、ブルーム・コレクション中の諸書

東京大学明治新聞雑誌文庫:
日本の新聞・雑誌各種、絵入ロンドンニュース

東京大学情報メディア研究資料センター:
タイムズ、ル・タン、ニューヨークタイムズ

東京大学史料編纂所:
日本関係海外史料(イギリス国所在文書)



書名:天皇陛下万歳とお笑い漫才―伝統芸能の謎を解く
著者:華房 良輔
単行本: 233ページ
出版社: 解放出版社 (2003/04)
ISBN-10: 4759251286
内容(「MARC」データベースより):
「伝統芸能」における数々の疑問を解き、定説となっている諸論に異を唱え、
著者なりの解釈を提示する。「芸能と差別」についても言及。『上方芸能』連載等
に加筆。
目次:
第1章 チャリはどこから来たのか
第2章 天皇陛下万歳と吉本の漫才と
第3章 とうとうたらりの謎
第4章 獅子舞のルーツを探る
第5章 傀儡師の源流を遡る
第6章 でんがくはうまい、田楽はおもしろい
第7章 扇に潜む差別の妖雲
第8章 芸能者はなぜ差別されたのか

”バンザイ”というのは中国の皇帝への歓声「マンセイ」(千秋万歳、長寿を祈る)
からきてたのね。本来は拝跪して言うところを動作は伝わらなかったとか。
日本ではじめてやったのは明治22年2月21日。
万歳も祝福芸としてはじまった。「千秋万歳」「万歳楽」のどちらかの
短縮形であろうとのこと。著者は千秋万歳からきたという立場をとっている。
才蔵市はなかったんじゃないかという説が出ている。小沢昭一氏が調査した
そうだ。私もこの才蔵市はどうも辻褄があわないなあと感じている。
門付け芸は多かったので、受けるためにどんどんエロが強くなっていったそうだ。
まあ今も昔も受けるネタはかわらないというところだろうか。
獅子舞のルーツをさぐるという章には、伊勢大神楽と放下芸の歴史に軽くふれた
あと、獅子舞の意味や起源をさぐっている。ひとり獅子舞はシャーマン、
朝鮮、中国の獅子舞と類似点は多いが、相違点も多いので、朝鮮から渡来した
という説には疑問を呈している。
綾採の曲では三拍子と四拍子の混合拍子(雅楽では夜多羅拍子)で人々を
トランスに導くとか。
扇には顔を隠すという役割と相手に息を吹きかけないようにするというふたつの
役割があったそうだ。
芸能の民が差別されたのは次の理由にあるらしい
・過当競争に陥って雑役にも従事することになり、生活基盤が不安定
・穢れを清めることで穢れが当人にのりうつり、当人が差別されるようになる
・農民からみるとサービス業は非生産者であり、働きもせずに遊ぶ者に反発した
・江戸時代は幕府がどこにでもはいれる芸能民にスパイの役目をさせた

芸能の民の中でも差別があったのだそうだ。猿回しはエタ非人ではないという
地位を勝ち取って他を差別した。門付芸でも門の門の外でやるか、庭先で
やるか、座敷にあがってやるか、で互いを差別した。早い時期に大道から
小屋に移動した芸ほど他を見下している。

うーん、なんというか世の中に差別の種はつきまじといいますか。。。
この本、いろんなことを書こうとして話があっちいきこっちいきする上に
記録と自分の説が入り乱れて書かれているのですごく読みにくい。
結論がどれだかわからない節もある。おもしろい話もかなり書いてあるのだが。


書名:精・粋・抄 当世江戸寄席芸人群像―宍沢誠写真集
著者:宍沢 誠
出版社:知人館
発行年月:1996/09
ISBN-10: 488666024X
内容:(「BOOK」データベースより)
江戸、明治を縦承しながら紛れもなく現代に生きる寄席芸人たち。彼らのかもしだす追憶のぬくもり時代に架橋する営為を支える苦闘「粋」を生きる凛々しさと孤独…逆説的な人生をいきる寄席芸人の「いま」を肖像が語りかける。

寄席芸人の大判白黒写真集。みんなめちゃくちゃかっこいい。
幇間の悠玄亭玉介氏から橘家円蔵師匠まで。
当時太神楽曲芸協会に所属していた十三代鏡味小仙親方の写真も
一つ鞠を持つ姿で掲載されている。
親方の後ろで踊られている方はどなただろう?
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