初老初級ジャグラーの日記です。
ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。
技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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「サーカスの系譜と現代サーカスの布置」講義録
題名:サーカスの系譜と現代サーカスの布置
日時:2006年11月16日18:00-19:30
場所:学習院大学西2号館501号教室
学科:学習院大学大学院人文科学研究科
講座:身体表象文化学プロジェクト、公開連続セミナー「演劇と躰」(第2期)
講師:藤井慎太郎(早稲田大学文学学術院助教授、演劇学・舞台表象論)
☆「サーカス」の語源
ラテン語のキルクス"circus" 15万人程度収容できる巨大な長円形スタジアム
☆サーカスの歴史
・ローマ時代
馬・戦車の競走や曲馬芸の見世物
・中世以降
軍人の台頭等で馬術をたしなむ層が増えることで馬術が発達
街頭や縁日芝居を伴う市で軽業や動物曲芸などの大道芸
宮廷フール、イタリアのコンメディア・デッラルテから発展してクラウン
この当時、演劇もサーカスも劇場を持たず街頭で演じていた
・近代サーカス
フィリップ・アストリーによる1768年のロンドン馬術ショーが発端
サーカスの基本は「曲馬術」同時に直径13mの円形舞台が確立する
1782年にパリにもアストリーの常設劇場がつくられ、弟子のチャールズヒューズが
はじめて「サーカス」を名乗る
・19世紀
曲馬芸、軽業、空中芸、マイム芸、クラウン芸、動物芸を取り込み原型を完成。
映画以前のエンターテインメントとして大人気。
当時演劇は観客が戯曲を読んでいる(文字が読める)ことが前提だった。
その点サーカスは誰でも楽しめるもの。
フランコーニ、ブーグリオーネ、フラテリーニ、グリュスなどのサーカス一家の登場
テント巡業も一般化(今でもテント巡業あり)
パリにはこの近代サーカスの形態を持つ「冬のサーカス」という常設サーカスが今でもある。
・第二次大戦後
映画やテレビの登場で人気凋落
家族による芸の伝承、家族のみの経営による行き詰まり(新機軸が打ち出せない)
有名サーカス団の倒産相次ぐ
☆現代サーカスの誕生
・先駆者
前衛演劇人からのアプローチ(メイエルホリド、サヴァリ、タゲ。。)
・1974 アニー・フラテリーニがサーカス学校解説。
外部からの人材取り込みが可能となる
・1979 シルク・アリーグル結成
バルバタス(ジンガロ)やピエロビドン(アルカオス、バイクサーカス)などが集まる
・1984 シルクドソレイユ成功
冬が寒すぎてテント移動できないためサーカスがなかったケベックにサーカスを作った!
・1986 国立サーカス学校開校
シルク・イシ、モーヴェ・ゼスプリ、アノマリーなどのカンパニーを生み出す
☆現代サーカスの特徴
・内容の専門家・焦点化(人間とその体への集中、ジンガロの場合は馬へ集中)
・特定芸への特化(レ・ザール・ソーの空中芸、レ・クザンのクラウン、ジンガロの馬術)
・上演規則の相対化(動物の排除、円形劇場以外での上演)
・洗練(ステージデザイン・衣装・音楽に関する芸術的洗練)
・統一性(オムニバス形式からより統一性を重視した作品へ)
・規則を守らねばならない遊びから規則を作り出す遊びへ
☆サーカスと文化政策(フランスの場合)
・1974 サーカス学校開校
・1979 サーカスの所管官庁が農業省(動物がいるから)から文化省へ。
・1983 国立サーカス芸術センター創設
文化予算が倍増され、いままで芸術とみなされていないサーカスにまで予算が行き渡るように。
・2002 サーカス年 サーカス芸術地方拠点整備
☆サーカスからサーカスを超えて
・円形舞台(平等な空間、観客の視線を集中させる)
・遊戯性(学歴や金がなくても楽しめる)
・極度に訓練された身体(不可能を可能に、俳優やダンサーでは不可能なことが可能に)
・高度な視覚性(スペクタクル)
・サーカス芸人(アウトロー、遊牧民的生活、雑多な人間の共同体)
社会と芸術の周縁におかれているからこそ、社会に批評的な距離を保つことができる
・大道芸刷新の動きとも呼応しながら現代演劇・現代舞踊にも影響を与える
身体芸術の境界流動化、互いに影響しあって新しい作品ができつつある
○映像鑑賞
近代サーカスの典型(虎使い、馬の曲乗り)
ジンガロ(曲馬)
シルク・イシ(一人パフォーマンス)
レ・ザール・ソー(空中ブランコ)
以上
題名:サーカスの系譜と現代サーカスの布置
日時:2006年11月16日18:00-19:30
場所:学習院大学西2号館501号教室
学科:学習院大学大学院人文科学研究科
講座:身体表象文化学プロジェクト、公開連続セミナー「演劇と躰」(第2期)
講師:藤井慎太郎(早稲田大学文学学術院助教授、演劇学・舞台表象論)
☆「サーカス」の語源
ラテン語のキルクス"circus" 15万人程度収容できる巨大な長円形スタジアム
☆サーカスの歴史
・ローマ時代
馬・戦車の競走や曲馬芸の見世物
・中世以降
軍人の台頭等で馬術をたしなむ層が増えることで馬術が発達
街頭や縁日芝居を伴う市で軽業や動物曲芸などの大道芸
宮廷フール、イタリアのコンメディア・デッラルテから発展してクラウン
この当時、演劇もサーカスも劇場を持たず街頭で演じていた
・近代サーカス
フィリップ・アストリーによる1768年のロンドン馬術ショーが発端
サーカスの基本は「曲馬術」同時に直径13mの円形舞台が確立する
1782年にパリにもアストリーの常設劇場がつくられ、弟子のチャールズヒューズが
はじめて「サーカス」を名乗る
・19世紀
曲馬芸、軽業、空中芸、マイム芸、クラウン芸、動物芸を取り込み原型を完成。
映画以前のエンターテインメントとして大人気。
当時演劇は観客が戯曲を読んでいる(文字が読める)ことが前提だった。
その点サーカスは誰でも楽しめるもの。
フランコーニ、ブーグリオーネ、フラテリーニ、グリュスなどのサーカス一家の登場
テント巡業も一般化(今でもテント巡業あり)
パリにはこの近代サーカスの形態を持つ「冬のサーカス」という常設サーカスが今でもある。
・第二次大戦後
映画やテレビの登場で人気凋落
家族による芸の伝承、家族のみの経営による行き詰まり(新機軸が打ち出せない)
有名サーカス団の倒産相次ぐ
☆現代サーカスの誕生
・先駆者
前衛演劇人からのアプローチ(メイエルホリド、サヴァリ、タゲ。。)
・1974 アニー・フラテリーニがサーカス学校解説。
外部からの人材取り込みが可能となる
・1979 シルク・アリーグル結成
バルバタス(ジンガロ)やピエロビドン(アルカオス、バイクサーカス)などが集まる
・1984 シルクドソレイユ成功
冬が寒すぎてテント移動できないためサーカスがなかったケベックにサーカスを作った!
・1986 国立サーカス学校開校
シルク・イシ、モーヴェ・ゼスプリ、アノマリーなどのカンパニーを生み出す
☆現代サーカスの特徴
・内容の専門家・焦点化(人間とその体への集中、ジンガロの場合は馬へ集中)
・特定芸への特化(レ・ザール・ソーの空中芸、レ・クザンのクラウン、ジンガロの馬術)
・上演規則の相対化(動物の排除、円形劇場以外での上演)
・洗練(ステージデザイン・衣装・音楽に関する芸術的洗練)
・統一性(オムニバス形式からより統一性を重視した作品へ)
・規則を守らねばならない遊びから規則を作り出す遊びへ
☆サーカスと文化政策(フランスの場合)
・1974 サーカス学校開校
・1979 サーカスの所管官庁が農業省(動物がいるから)から文化省へ。
・1983 国立サーカス芸術センター創設
文化予算が倍増され、いままで芸術とみなされていないサーカスにまで予算が行き渡るように。
・2002 サーカス年 サーカス芸術地方拠点整備
☆サーカスからサーカスを超えて
・円形舞台(平等な空間、観客の視線を集中させる)
・遊戯性(学歴や金がなくても楽しめる)
・極度に訓練された身体(不可能を可能に、俳優やダンサーでは不可能なことが可能に)
・高度な視覚性(スペクタクル)
・サーカス芸人(アウトロー、遊牧民的生活、雑多な人間の共同体)
社会と芸術の周縁におかれているからこそ、社会に批評的な距離を保つことができる
・大道芸刷新の動きとも呼応しながら現代演劇・現代舞踊にも影響を与える
身体芸術の境界流動化、互いに影響しあって新しい作品ができつつある
○映像鑑賞
近代サーカスの典型(虎使い、馬の曲乗り)
ジンガロ(曲馬)
シルク・イシ(一人パフォーマンス)
レ・ザール・ソー(空中ブランコ)
以上
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