初老初級ジャグラーの日記です。
ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。
技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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題名:『歴史/表現/地域 から見るサーカス文化』「サーカス、地域に入る―サーカス堂ふなんびゅるの挑戦」
日時:2011年10月19日19:30-21:00
会場:世田谷文化生活情報センター セミナールーム(三軒茶屋駅前キャロットタワー5階)
料金:1000円
座席:後方左より
講師:田中 未知子(オール・レ・ミュール/フランス国立大道芸サーカス情報センター 日本特派員)
解説:
サーカスの持つ本質とは何でしょう?
生々しさ、きわどさ、迫力、力強さ、しなやかさ、寛容さ、雑多……。とりもなおさず、それは「大衆
的」という言葉にも置き換えられます。日本であれ外国であれ、かつて人間が人間らしかった時代にお
いては、こんな「きわどい大衆性」がむんむんと渦巻いていたはずです。瀬戸内に移住した私がみたの
は、弱まりながらも確かに生き続けている地域芸能の中の、そんな大衆性でした。一般の人たちが、コ
ミュニティのなかで地域の行事としての芸能に参加し、自分の役割を演じる。そこでは「芸」は日常の
延長、個性の延長であり、まさに「人間の本来もっている能力や個性を最大限に引き出す」ものでした。
サーカスと地域芸能のすごさは、そこにあるのではないか。今の時代だからこそ、こういった力を取り
もどすことが何より重要なことに感じています。今回、私がこの2つを組み合わせるための活動として
高松ではじめた、サーカス堂・ふなんびゅるの試みについて、その具体的な活動内容をご紹介します。
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田中さんのお話を聞くのは初めて。
Funambuleとは、綱渡りのこと。目が眩むような高いところの綱渡り、または綱渡り師をFunambuleと
呼ぶ。これは自分にとって自由、解放の象徴。身一つでどこでもわたっていけるということ。
疲れたときに空を見上げて、綱渡りの女の子がいる光景を想像する、そうすると心が楽になる。
映画「天井桟敷の人々」にはフナンビュル座という名前が出てくる。戦時中なのに巨大セットを組んで
大量のエキストラたちであたかも本当のフェスティバル会場であるかのようにした。そこここに大道芸
人たち、それもしょぼい芸人たち、それがすごくよい雰囲気。一般市民たち、平民が持っているものす
ごいエネルギーが感じられる。フランスに限らず、縁日、祭りに紛れて大道芸人がいたり、雑多で人間
くさくてむんむんした世界、これが天井桟敷の人々の雰囲気と一致するのではないか。
それらのイメージを含めて「サーカス堂ふなんびゅる」と命名した。
サーカス堂ふなんびゅるは2011年5月、高松で始動、サーカスと大道芸の本が200冊。ルビー商会とい
う家具屋さんのオーナーが心が広く奥の方のスペースを貸してくださっている。ルビー商会が三階建
て、2階がカフェ、3階が倉庫。倉庫にはサーカステント的な雰囲気があるので何度か上演している。
サーカス堂ふなんびゅるの目的を一言でいうと
「サーカスを切り口に瀬戸内という地域にはいっていくこと」
そのための手段として次の二つの機能を持つ。
・サーカス・大道芸情報センター
・農村歌舞伎・人形浄瑠璃、獅子舞など香川を中心に地域芸能の調査
香川には島や地域ごとに地域芸能がある。定期イベントとして月に一度「千と一夜」、サーカス・大道
芸・地元芸能の話と映像紹介を行っている。毎回同じところではやらない。サーカスをキーワードに地
域にはいるのがポイント。場所とか物に関わってもらいたい。たとえば大衆食堂をその日だけは異次元
空間になど。。なぜサーカスなのかというと、その普遍性・大衆性、守備範囲の広さ、なんでもありの
世界、生であること、包容力。等々、 なんでも取り入れることができる。(なぜサーカス?のページ
に傘回しのイラスト。)
なぜサーカス?の私的理由は、
「サーカスというのは人々や文化の中にはいっていける」
サーカスは有無をいわせぬ説得力によって突破口になったり、いつも守護神のようであった。
サーカスは私とともにいる、だから私はサーカスと地域に入る。
私は大学で美術史を学び、24歳の時にフランス留学した。生まれて初めて人種差別を体験した。最
後の方にはちょっと妄想がでるくらいつらかった。フランスを嫌いで仕方がない差別の国だと思いこん
でいた。2004年になって北海道新聞の事業局にいたとき、フランスのサーカスが札幌で日本人のダ
ンサーとコラボをしたいという話を金井圭介さんが話を持ってきた。たまたまNHKBSで金井さんを
みていたので運命の出会いだと思い、初めて会社で担当させてほしいとお願いして担当した。サーカス
の人たちと初めて会ったときの彼らの目をみた瞬間、フランス嫌いが溶けてなくなってしまった。
サーカスが持っているやさしさ、平等さ、上からでも下からでもなく対等の視線だった。その目で全て
が変わった。サーカスは人を救うのだ、と思っている。
そのイベントはボヤージュというサーカスと地元ダンサーのコラボレーションで、3500人がはいる会場
で2日で7000人の動員。サーカスがきたことがない場所でそれだけの人がはいった。その後4年間連続
でその場でヌーボーシルクが上演されることになった。
釧路に転勤になった時、サーカスと関われないということで、泣いたりわめいたり、、しかし1年だけ
は釧路にいようと、1年たって会社をやめてフランスにわたって本を書こうと思ってその通りに実行した。
瀬戸内国際芸術祭が去年はじめて行われ、三ヶ月95万人動員された。それに携わっていたので香川と
縁ができた。それまで新潟に1年。そこで地域にはいるということを行い、去年も瀬戸内で地域にはい
るということを行った。
マスコミで事業をやるということは、自分たちでやりたいことを企画して、人が来たいと思っていよう
がいまいがマスメディアで人を呼び込む興行の世界。良いものをやるのが至上命題だと思っていた。
地域にはいり始めることで、瀬戸内の人々にはいってみて、普通のひとがもうひとつの顔を持っていて
役者だったり舞手だったり。普通のおじちゃんが見得を切る、その豊かさに打たれた。
人は芸ができるんだ、芸=人の豊かさ、ということを初めて瀬戸内で感じた。
香川の人の特徴?
・基本的に自嘲的(謙遜かもしれない)
・獅子舞はあるが、地味で、阿波踊り、よさこいなどと比べて外にPRできるような祭がないと思っている
・自分のところの地元芸能を凄いと思わない。あるのが当たり前、普通だと思っている
たいしたものだと思ってないゆえに簡単に辞めてしまう
・一方で郷土愛が強い人が多いように見える
サーカスによって「地域にもともとあるもの・人・場所」のちょっと違う面を引き出したい
1 地域芸能×サーカス: サーカスと芸能の村祭り
馴染みの場所での地域芸能。社員食堂でのたぬき踊り等、日常の場所でやれば見てもらえる。
島や集落を巡る芸能団。芸能団が巡って普段みる機会がない人たちに見せる、隣の島でやってい
る芸能をみることができる。
2 場、人、モノ 地域の素材とサーカスが出会うクリエーション(アートクリエーション)
地域芸能にこだわる理由
・職業的な顔、家庭的な顔、演者という第三の顔を持つ
・演者の顔=共同体の一員としての顔(通常男のみ)
・その人の持つ個性が際だつ。その人に向いている役柄、踊り方、役割などが長い間をかけて明確になる
・年に1回は祭りや公演の本番があり、一ヶ月は準備や稽古のために定期的に集まり、非常な濃密な
関係や団結をつくる
・稽古、本番とも共同体全体が参加者の子供をみる。時には何十人という大人が親・他人関係なく子供
を指導する。共同体全員で子供を育てている感覚である(親も子供もそれを受け入れる)
「生活様式の現代化ー>芸能と共同体の消失」と一般的にいわれるが、芸能が共同体システムを支えて
いる場合もあるようだ。地域芸能は、ほとんどの場合内輪の催しであり、それがために続いてきた。
しかし、忙しい、面倒だから、という理由で中止するのもいる。
サーカスの関わり方としては、「地域芸能とサーカス大道が融合した新しい「村祭り」の創造」。
あくまで「地域の人が活躍し、地域の人を喜ばせるため」のもの。最大多数に向けた「マス」から
の考え方からの脱却の試み。
千と一夜、シェヘラザートの物語というのがあるが同様に千と一夜、三年やってみて居場所があれば
やりたい。サーカスといっても地域へばーんとはいるのではなく、フランスでは、ひとりサーカスも
ある。ひとりひとり話し合って、中にはいっていただく。
その場合、費用がかかるのは確かなのだが、興行としてはあまり考えてない。
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