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初老初級ジャグラーの日記です。 ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。 技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:サーカスの歴史―見世物小屋から近代サーカスヘ
著者:阿久根巌
出版社: 西田書店 (1977/02)
ASIN: B000J8VCLY

明治時代初期の曲馬団から、現在のサーカスに至る歴史が綴られている。
昔の曲馬は馬で演技をさせる「馬芝居」が多かったとのこと。外題は
「一の谷嫩軍記」が一番多く、「義経千本桜」「那須の与市」
「曽我物語」など。(野木恒子「馬芝居考・序説」帝塚山演劇学第一巻No.1)
70ページあたりにある江川大一座のちらしには、男がもうひとりの男
の肩の上に片足で立ち、両人がハンドスティックを持ち、上空に
センタースティックが飛んでいる図がある。体をはったデビルスティック
の曲芸なのね。

122ページの明治35年ピーターグリーンピーエルドードウ一座の明治座
興行ちらしにはボールを5個投げながら咥え撥をしている男が見える。

170ページの明治10年軽業・初錠徳三郎一座のちらしには、肩芸が
たくさん出現している。寝そべっている男を支えている竹を肩で
支える男が三味線を弾いている図、曲芸をしている男が乗っている
梯子を肩で支えている図、咥え撥の上に竹をたてて男が其の上で
曲芸をしている図等。えーと歯が抜けませんか>咥え撥。

233ページ。

---
かつて脚光を浴びて登場し、急速に日本のサーカスに根をおろした
西洋曲馬がどうして消え去ってしまったのであろうか。
奈良原さんは農業が機械化されて手軽に馬が入手できなくなったことを
一番の理由にあげたが、室川与一さんは、その他に、手がかかる
割には馬自体の芸が少なく、広い馬場を必要とするのは、客の
収容人数を考えれば損であるし、そのうえ、身軽な子供の上乗り
による芸が出来なくなった、ことなどが消滅の原因であるという。
この減少は日本のサーカスだけでなく、各国のサーカスも同様らしい。
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なるほど、それで曲馬をみる機会が減っているのね。
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