初老初級ジャグラーの日記です。
ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。
技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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ロンドンに自分へのご褒美wとして滞在中。
Peterさんとホテルのラウンジでお会いした。
GINTAROの足跡を探す苦労話をお聞きした世界中を旅してGINTAROの情報を
検索、南アフリカで取得したビザのコピーを得るのに半年もかかったそうだ。
そのビザにはロンドンの住所が書かれていた!そのビザの名前はAIKYO GINTARO。
AIKYOは分かれてしまった継父の姓。ビザには、身体的特徴もかかれており、
身長が5ft6inch, 体型がSTOUT(やや太り気味?)ということがわかる。
Peter さんも曲独楽が太神楽曲芸の一部だと思っておられた。まあ日本人でも
大半はそうだと思っているでしょう。ヤシの説明をして太神楽との違いを述べ
た。でも私の英語だとたいへん心細いので(^^;) 源水の芸のいわれを奥様に通
訳していただいた。大道芸関連の説明を流暢にできるだけの英語力がほしい。
GINTAROが箱を積んだ上に水の入ったグラスをおいて、箱を抜くという芸が1937
年の映像で残っているとのこと。それもたぶん太神楽曲芸じゃない。。枕返し系?
丸一ブラザーズが空中ブランコをやったという新聞記事があるという、、でも
日本にその当時空中ブランコノリいません。
Kichijiro Mitsutaという太神楽師?が仙太郎を呼んだのではないかとPeter氏
は想像しておられる。
40年前には鏡味社中がイギリス公演をしているそうだ。先先代?これも調べて
みなければ。
現在の課題としては、GINTAROがどのように柔術を学んだのか?だそうだ。
奥様の話によると、アングロサクソンには芸がない。貴族がいたので上流階級
向けのオペラなどの芸はあっても、庶民向けの芸がないのだそうだ。そのため
庶民相手に営業していた日本の芸人がやってきて爆発的に受けたのではないかと。
イギリス人が日本には「芸者」というイメージを持っているが、それは庶民に
対するエンターテイナーの象徴。
日本では芸人の地位が低く、イギリスではアーティストということで高い。逆に
イギリスではコックは地位が低く(他になれないからコックをする)、日本では
板前の地位はそれなりに高い、というふうに地位の高低が逆転しているという現
象がみられるのだそうだ。
古い日本人の墓はJRA(Japanese Resident Association)で管理されているものが
あり、ただしもう増やせないので元会長が死去した際には遺言でその地に灰を撒
いたのだとか。
Peterが日本にきて印象深かったのが猿回し、最初にみたときは子供が着ぐるみ
を着ていると思ってしまったそうだ。いやー猿回しも差別されてその結果として
いったん滅びたのですよ、って英語でいうのはとても大変。
GINTAROのすごい点はイギリスのどんなところでも興行しているということだと
Peterは語ってくれた。でも曲芸系の芸人はネタが限られているので必ず放浪す
るんです。それは1000年以上前からのお約束、と語ったのだけれどうまく通じた
かどうか(汗)
最後にロビーの片隅で番傘を使って傘回しの実演、金輪を番傘でまわすと落と
すOrz やりなれないことはできないなあ。
紙風船を持っていって傘回しの体験もしていただいて、その紙風船と番傘をプレ
ゼントさせてもらった。
日本では番傘は何に使っているのだ?と聞かれて、そりゃあ雨の日に使うのだ
と答えたら、奥様から「誰が使ってるの?」確かにさしている人は自分以外み
たことないですね。
まあ土産物といったところでしょう。
日本へ年に1ー2度訪れているということなので日本に来たときにまたお会い
しましょうと
こぼれ話、、
傘回しを教えていたら、客から拍手、ドアマンからすばらしい、でじきにホテル
スタッフがやってきて「宿泊客か?キーを見せてほしい」どうもここで金を稼ご
うとする輩にみられたらしい。こんな芸では稼げませんて。
またお話を聞いている最中に、ラウンジでむこうに座っていたおじさんがつかつ
かとよってきて話を遮って「話を遮ってすまないが、それはなんだ、教えてほしい」Pomeraに強烈な興味を持った模様。私に名刺を渡して「情報をメールでほしい、
PC重くて困っている。」
そうでしょう、これからメール書かなくちゃね。
Peterさんとホテルのラウンジでお会いした。
GINTAROの足跡を探す苦労話をお聞きした世界中を旅してGINTAROの情報を
検索、南アフリカで取得したビザのコピーを得るのに半年もかかったそうだ。
そのビザにはロンドンの住所が書かれていた!そのビザの名前はAIKYO GINTARO。
AIKYOは分かれてしまった継父の姓。ビザには、身体的特徴もかかれており、
身長が5ft6inch, 体型がSTOUT(やや太り気味?)ということがわかる。
Peter さんも曲独楽が太神楽曲芸の一部だと思っておられた。まあ日本人でも
大半はそうだと思っているでしょう。ヤシの説明をして太神楽との違いを述べ
た。でも私の英語だとたいへん心細いので(^^;) 源水の芸のいわれを奥様に通
訳していただいた。大道芸関連の説明を流暢にできるだけの英語力がほしい。
GINTAROが箱を積んだ上に水の入ったグラスをおいて、箱を抜くという芸が1937
年の映像で残っているとのこと。それもたぶん太神楽曲芸じゃない。。枕返し系?
丸一ブラザーズが空中ブランコをやったという新聞記事があるという、、でも
日本にその当時空中ブランコノリいません。
Kichijiro Mitsutaという太神楽師?が仙太郎を呼んだのではないかとPeter氏
は想像しておられる。
40年前には鏡味社中がイギリス公演をしているそうだ。先先代?これも調べて
みなければ。
現在の課題としては、GINTAROがどのように柔術を学んだのか?だそうだ。
奥様の話によると、アングロサクソンには芸がない。貴族がいたので上流階級
向けのオペラなどの芸はあっても、庶民向けの芸がないのだそうだ。そのため
庶民相手に営業していた日本の芸人がやってきて爆発的に受けたのではないかと。
イギリス人が日本には「芸者」というイメージを持っているが、それは庶民に
対するエンターテイナーの象徴。
日本では芸人の地位が低く、イギリスではアーティストということで高い。逆に
イギリスではコックは地位が低く(他になれないからコックをする)、日本では
板前の地位はそれなりに高い、というふうに地位の高低が逆転しているという現
象がみられるのだそうだ。
古い日本人の墓はJRA(Japanese Resident Association)で管理されているものが
あり、ただしもう増やせないので元会長が死去した際には遺言でその地に灰を撒
いたのだとか。
Peterが日本にきて印象深かったのが猿回し、最初にみたときは子供が着ぐるみ
を着ていると思ってしまったそうだ。いやー猿回しも差別されてその結果として
いったん滅びたのですよ、って英語でいうのはとても大変。
GINTAROのすごい点はイギリスのどんなところでも興行しているということだと
Peterは語ってくれた。でも曲芸系の芸人はネタが限られているので必ず放浪す
るんです。それは1000年以上前からのお約束、と語ったのだけれどうまく通じた
かどうか(汗)
最後にロビーの片隅で番傘を使って傘回しの実演、金輪を番傘でまわすと落と
すOrz やりなれないことはできないなあ。
紙風船を持っていって傘回しの体験もしていただいて、その紙風船と番傘をプレ
ゼントさせてもらった。
日本では番傘は何に使っているのだ?と聞かれて、そりゃあ雨の日に使うのだ
と答えたら、奥様から「誰が使ってるの?」確かにさしている人は自分以外み
たことないですね。
まあ土産物といったところでしょう。
日本へ年に1ー2度訪れているということなので日本に来たときにまたお会い
しましょうと
こぼれ話、、
傘回しを教えていたら、客から拍手、ドアマンからすばらしい、でじきにホテル
スタッフがやってきて「宿泊客か?キーを見せてほしい」どうもここで金を稼ご
うとする輩にみられたらしい。こんな芸では稼げませんて。
またお話を聞いている最中に、ラウンジでむこうに座っていたおじさんがつかつ
かとよってきて話を遮って「話を遮ってすまないが、それはなんだ、教えてほしい」Pomeraに強烈な興味を持った模様。私に名刺を渡して「情報をメールでほしい、
PC重くて困っている。」
そうでしょう、これからメール書かなくちゃね。
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