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初老初級ジャグラーの日記です。 ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。 技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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題名:桑野塾第6回
日時:2010年12月11日15:00-18:00(17時まで参加しました)
会場:早稲田大学早稲田キャンパス16号館820号室
報告者:古川忠臣・大島幹雄・嶋田丈裕
内 容
 ●「タルコフスキーの映像世界―空中浮遊について」古川忠臣
 ●「シマダの行方―続・海を渡ったサーカス芸人のその後」大島幹雄
 ■ロシアのオルタナティヴ・ミュージックを聴く 嶋田丈裕
 ■特別展示:ベルチンスキイ写真集、シマダ関連本、
       ロシアのサーカス雑誌、エレンブルグの本など
解説:(ML案内)
  今日の案内は、前にもご案内しましたが桑野塾のお知らせです。
  今回が桑野塾デビューの古川さんのタルコフスキイのレポート。古川さんは桑野さんの
  いわば秘蔵っ子、空中浮遊という視点から見たタルコフスキイ論、楽しみです。私の報
  告は、ロシアに渡ったサーカス芸人についてのレポート第二弾。前回もとりあげた謎の
  一座ヤマダの正体について突っ込み、さらに先日訪れたサンクトペテルブルグで仕入れ
  た新たな資料をもとに、シマダの足跡を追います。衝撃的な事実も明らかにされます。
  桑野塾の一回目からの参加者で、カジュアルに知的興奮を味わうという桑野塾の魅力を
  伝える嶋田さんの新たにはじまったコーナーも聞きものです。
  ぜひ気楽な気分でご参加ください。

桑野塾には二度目の参加、今回は30人近い参加者あり。

☆古川 忠臣 「タルコフスキーの映像世界—空中浮遊について」

アンドレイ・タルコフスキー の映画に出現する空中浮遊のシーンに着目して、
その意味を分析するというもの。 複数の映画にわたって似たような表現技法を集めると、
その意味が浮かび上がってくる。

・タルコフスキー作品の特徴
 全ての画面が多義であり、視聴者が自分自身の経験を投影して異なる色をつけて見ることになる。
・空中浮遊の意味
  愛情の表現
  フォトジェニック

・映画の中の空中浮遊
 
 ソラリス
   クリスとハリーが抱き合って回転しつつ浮遊
   異なるものの融合、可視化、回転による時間の創出
 
 サクリファイス
   主人公と救い主マリアが浮遊
   ソラリスとほぼ同型

 鏡
   浮かんでいるのが妊婦ひとり
   妊婦と胎児の融合、
   無回転の浮遊で静的な空間にリズム
 

☆大島 幹雄 「シマダの行方—続・海を渡ったサーカス芸人のその後」

第3回での発表の続編。幕末開国後から日本からロシアに渡ったサーカス芸人と子孫の物語。
この半年で判明した新事実とは、パントシ・シマダが朝鮮系だった可能性が!というはなし。

9月にサンクトペテロブルクに仕事で行った時に偶然シマダの孫にあたる人と偶然会って
色々なことがわかった。1913年くらいからヤマダという一座がロシアにわたって公演した。
そこの中にシマダ、タカシマ、がおり、一座の一部がロシアに残った。
ロシアでヤマダ一座といわれた座の座長が山田亀吉だということがわかった。
三原さんは、山田一座はフジヤマ一座だろうという推論を出された。
このフジヤマ一座ほど記録、出国入国の記録がない社中はない。フジヤマ一座には
ヤマダリキマツ、ヤマダイシノスケ、ヤマダサダキチなどの名前が興業で見られる。
名前は興業中に変えることがあるのでフジヤマー>ヤマダと改名した可能性がある。
また、山田亀太郎一座がヤマダ一座ではないかという推測もある。
山田亀太郎一座のちらし(1888年土陽新聞、高知座)が国立演芸場図書館に保管されている。

先日サントペテルスブルクに招待され、日本のサーカスにおけるサーカス演出の
アクチュアリティについてシンポジウムで語った。幕末の錦絵の図版を持っていって
日本にはすごい芸人があったと説明すると皆が関心を持ってくれた。

サンクトペテロブルクのサーカス劇場内にサーカス博物館があり、見学に行った
ところ タカシマの道具が展示されていた!その道具は鞠とバチ。
またアンドレパントシシマダのサーカスについてのメモが3冊あった。
パントシシマダはヤマダサーカスに出演していたが、プスコフサーカスの楽団団長
の娘と結婚してプスコフに残った。
著者はシマダの孫にあたる、すぐ近くに住んでいるということで翌日あって話を聞いた。
キリギスのイスマルとシマダの娘が結婚して生まれたのが著者。
アンドレイシマダという、長兄がつけていたノートを本にしたもので、
シマダファミリーが出演した全番組に関する演目と出演者が記述されている。

1916年日本のサーカス団がロシアにやってきた。団長はヤマダ。
その中に朝鮮人のシマダパントシがいた。シマダは芸名、パントシが本名。
アクロバット・ジャグリング・バランスなどなんでもできるアーティストだった。
プスコフで妻と出会い結婚して、プスコフに残った。
なぜ「シマダ」と名乗っていたのか?イルクーツクで公演したとき、日本人たちがきて、
日本人として芸をするのであれば日本人の名前を名乗ったほうがよいという助言を受けた。
そこでシマダの名前をつけた。
1941年8月7日 パントシが突然逮捕された、なぜかは不明。
これ以降アンドレイがチーフとなって芸を行った。1944全ソサーカス大会で優勝。
次男のウラジーミルが急死。そこでメンバーが次々と引退して解散。
朝鮮人のソ連内全地域粛正者(全12巻)の中にパントシシマダの名前を発見した。
その中にパントシシマダがり、KGB特別審議会により8年の自由剥奪刑宣告、1958年復権。
日本人はソ連で生きていると生きにくい。そこで日本人が朝鮮人になりすましている
場合もある。
当時の朝鮮半島野サーカスは日本の影響下にあり肩芸も行われていたと思われる。
パントシの芸のルーツは、日本であることは間違いない。

「海を渡ったサーカス芸人」というタイトルで話しているが、朝鮮ならロシアと陸続き
なので海を渡ってないかも。。。


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おひさしぶりです
くろせ様 おひさしぶりです
ところで最近、昔の記事(でアップされなかった記事?)が流れてきます。
面白いのですが、なぜなのかな、と思いまして。
もしかしたら私のPC特有の事情でしょうか?

ちなみに最新の記事は↓
http://juggling.blog.shinobi.jp/Entry/1120/

それはともかくJJSに少しでもお役に立てるにはどうすればいいのでしょう?

なにか私にできることがあれば、とおもいますが。。。
j1m URL 2011/02/02(Wed)23:06:53 [編集]
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