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初老初級ジャグラーの日記です。 ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。 技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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題名:浅草見世物 奥山の風景
日時:2009年10月4日14:00-17:05(途中休憩あり)
会場:台東区生涯学習センター ミレニアムホール
料金:無料(事前予約)
座席:最前列センター右より
主催:国際浅草学プロジェクト実行委員会(台東区・明治大学)
協賛:財団法人台東区芸術文化財団/下町風俗資料館
企画・構成 : 上島敏昭(浅草雑芸団)
舞台監督・照明 : 斉藤正雄
企画協力 : (社)全日本郷土芸能協会
映像協力 : ヴィジュアルフォークロア、 北村皆雄
司会 : 原健太郎(国際浅草学プロジェクトメンバー)
説明:(公式Webより)
<浅草見世物>
 江戸時代の浅草奥山は,見世物や大道芸が集まり,一般大衆の娯楽の場として栄えました。
その後見世物は区画整理により日本の芸能の中心となった「浅草六区」に移転し,所々に見
世物小屋が立ち並び,歓楽街の景観を形成しました。
 今回の国際浅草学プロジェクトでは,かっての奥山の風景を再現させるべく,当時と関係の
深い講演・実演を豪華に織り込み,皆様に披露いたします。
番組:
~第1部 「講演」~
【記念講演】 
「浅草と見世物、大道芸」
   川添 裕 皇學館大学 文学部 教授
【講   演】 
「紙芝居と街路の文化様式-その広がりと日韓比較-」
   姜 竣 城西国際大学 国際人文学部 准教授
~第2部 「実演」
1 最後の見世物・人間ポンプ(映像と安田春子氏へのインタビュー)
最後の見世物芸人と呼ばれた故・安田里美氏の「人間ポンプ」を映像でお楽しみ
 いただきます。また安田春子夫人に当時の見世物小屋についてお話をいただきます。
2 「ろくろ首」(浅草雑芸団)
全国で公園を繰り広げている浅草雑芸団(坂野比呂志大道芸塾)により江戸時代の見
  世物小屋の定番であった「ろくろ首」を披露いたします。
3 日本手品「蝶のたはむれ」「金輪の曲」(東京イリュージョン・藤山新太郎)
国際的に活躍している藤山新太郎師により日本古来の手品の最高傑作「蝶のたはむれ」
 長らく途絶えていた日本独自の手品を復活させてた「金輪の曲」を披露します。
~展示・実演~
ミレニアムホールホワイエにて開演前および休憩時間に行います。 絵看板
安田里美興行社所蔵の見世物小屋の絵看板を展示し,昔の奥山の風景を再現します。
竹田からくり人形(桐生からくり人形芝居)
江戸の風情を受け継ぐ桐生からくり人形芝居により「義士討入」を実演いたします。
21世紀のからくり人形「踊る!和ボット」(舞台芸術21ネットワーク・和のメソッド)
古来の日本伝統文化と現在のハイテクノロジーが融合したロボットが日本伝統を舞います。

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【記念講演】 
「浅草と見世物、大道芸-浅草奥山を中心に。」
   川添 裕 皇學館大学 文学部 教授
見世物研究の第一人者、見世物文化研究所の所長

江戸時代の盛り場はふたつ、浅草と両国。浅草の方が格が上。
浅草は徳川幕府が開封して50年くらいで盛り場になっている。
両国は振り袖火事の後にできた盛り場。明治以降の近代化で展開の仕方が違う。
浅草は盛り場として栄えているが、両国は相撲ががんばっているだけ。
浅草は江戸時代から通して考えると一番の盛り場。
江戸時代の盛り場中心は浅草奥山。これは浅草寺の本道の大まかに後ろ側。
金竜山の奥なので奥山。現在奥山というと本道の奥から西の位置をいうが、
元来は本堂の後ろの広い場所をさしていた。
本堂の西北のエリアがだいたい盛り場として盛んだった。見世物小屋、矢場、
大道芸、土産物屋、茶屋、など。近世後期の流行する見世物小屋は非常に
大きなもの、文政二年、浅草籠細工で18間。
竹の籠の目を大きくしていって、高さ7mの像が作られたこともある。
江戸版のテーマパークみたいなもので三国志の世界をテーマパークとして
籠でつくりあげた。口上話芸のキャストがついて演じていた。
50日、興行延長で計100日、入場料が32文、800ー1000円程度。
100日で2200両ー2500両、40ー50万人はいったことになる。
このころの都市の人口の3人に1人がみた勘定になる。
奥山にかならずあったのが大道芸でふたつかみっつ。
水からくりは夏の時期にやっていた。見せ物小屋は一個だけもあるし、
いくつもでている場合もあった。暖房がないので、見せ物小屋は2月ー10月
がシーズン。子供芝居、講釈の小屋、などもあった。
矢場、弓矢を射ることがかならずしも目的ではなくて、きれいなおねえさんが
いるということが目的だったりして。
浅草奥山の奥深さはこのエリアがここだけで完結しているわけではなく、
この奥が吉原、天保年間から猿若町、浅草の東北にあった。
奥山がなんとなくあって、本来は仏様の尊い施設なのだけれど、別の意味
での弁天様が向こうにいたりして、奥深い構造をしていた。
明治以降の近代は西側、花やしき、六区がひらけてきた。
浅草という場所が二重三重に奥深い展開であった。

終演後の講師が著者の「江戸の見世物」(岩波新書)をサイン入りで購入しました。
(この本読んだことあるのに記録がない。。。)

【講   演】 
「紙芝居と街路の文化様式-その広がりと日韓比較-」
   姜 竣 城西国際大学 国際人文学部 准教授

修士論文ではじめて日本の紙芝居に出会って以来調査研究をしている。
紙芝居は路地裏、原っぱで水飴やソース煎餅などを売り、いくつか物語を
語って聞かせる商売。主に戦前の紙芝居、昭和5年くらいに東京かその周辺、
世界的に不況で無宿がいたので、無宿者の商売としてまたたくまにひろがった
都新聞に紙芝居の話が昭和6年11月ー12月にかけて18回連載された。
紙芝居を貸し出す団体が22箇所、商売人が800人。
昭和7年東京市が郡部をいれて20区になる。浅草区の中に紙芝居はひとつもない。
その周りに紙芝居を作り貸し出す団体があった。下谷区、日暮里・三河島・南千住に密集。


紙芝居のはじまり
  紙芝居はもともと紙人形芝居のことを言っていた。
  紙の裏表に人物背景をかく。それを串に刺して舞台にいれて見せる
  紙人形の芝居だった。明治20年ごろに絵双紙、駄菓子屋で売られていた。
  ろくろ首の見世物市が目をつけて縁日で小屋掛けで興行。この当時は写し絵。
  明治30年ごろまで徒弟制度でやっていた。絵を寝かして鏡に映してみせる。
  もともとの紙芝居は芸能として熟練しないとできなかった。
  熟練を必要としなくなると大正の終わりに貸し料をとって貸し出しをするようになった。
  小屋をはってやる見世物芸だったものが、どんどん日常にはいってきた
  団体が分裂していくなかで、昭和5年映画のカットに似た絵を引き抜く形として
  高瀬画劇協会を脱退した田中次郎たちが蟻友会として黄金バットを作った。
  紙芝居が盛んだった下谷竜泉寺町はたけくらべによれば、吉原に通う一能一芸
  の民が住んでいた。下谷万年町(もと下谷山崎町)は黒桑者の拝領地、強胸の住所。
  江戸後期から明治には願人坊主が集住。飢饉がおきて農村部が人が集まってくると
  人があぶれるので台帳作って移住させられていた。このあたりは、生活費がやすい。
  万年町は近世後期ー近代初期の江戸東京4大スラムのひとつ、屑もの拾いなどを
  職業とする。明治後期ー大正初期に営業取り締まられて日暮里三河島へ移住。
  万年町を中心に芸能の中心とともにスラムだった地域が、近代化される過程で郊外
  へ追い立てられていくのだが、これが日暮里・三河島だった。
  昭和6年に京成青砥-日暮里開通、戦後の紙芝居は鉄道ルートに沿って北部へ。


韓国の民族芸能
朝鮮時代のサブカルチャーは日本より圧倒的に少ない。
  絵的なものが非常に少なく、韓国の伝統芸能には声の文化が多い
  「風の丘を越えて」(1993)が韓国の民族芸能を描いた映画として有名。
  おちぶれたパンソリの旅芸人の市場で大道芸をやるが、ちんどんやの音
  にパンソリの音がかきけされる。世界で韓国をうるためには韓国にしかないもの
  それはパンソリ、しかし声を映像でみせるのは非常に難しい、あえてそこを
  映像化しようとした。
  韓国の大道芸では声が多い。日本のサブカルチャーは非常に絵的なものがおおい。


~第2部 「実演」
1 最後の見世物・人間ポンプ(映像と安田春子氏へのインタビュー)

映像は1994年見世物小屋での興行の最後。
吉本、松竹でもポンプだけはどうしてもできない
因果ものは今は上演することが困難、身障者の方々が出演できない。
蛸娘、かに男、など身体障害で他に仕事がない方々がこれでかつては稼いでいた。
現在は作りもので対処している。福祉でよくなったものもあるが。。。


人間ポンプがここで上映、いやー凄いです。ライブで見てみたかった。
なんであんなことができるんだろう?碁石呑んでおいて、好きな色を口から出すって何?
泣き啖呵を安田氏が実演、これまたすごいです。縁日のわくわく気分が湧き上がりました。
これもめったに聞けないかと思うとさびしい。

2 「ろくろ首」(浅草雑芸団)

太鼓、三味線の生演奏付で登場、ろくろ首はむしろの後に隠されていました。
絵看板付がいい。そこで、表に出ている語り部?がトーク。

ろくろっくびとはなんですか?と新聞社から質問がきた。新聞記者までわからなく
なっている。新明解で「ろくろ首」は「首が長くのいたりちぢんだりする化け物
またその見世物」。見世物研究にも載っていない。調べてみると、
武江年表に幕末に桜田久保町でろくろ首見世物の記載があった。
偽りと知りながら見る人多し。のぞきカラクリのごとくに箱をつくり、覗かせていた。
変態見世物市みたいなものですね。
こころをこめてお送りします。一瞬で終わります!

むしろがあがって、絵看板そっくりのろくろ首出現!

一瞬で終わりました。いやーいいです。これ、飲みながら見てみたい。


3 日本手品「蝶のたはむれ」「金輪の曲」(東京イリュージョン・藤山新太郎)

まずは紙片の曲から。紙テープをちぎってひとつにし、ちぎった紙を扇の上で
はずませていると繭にばけて最後は卵になりました。
次は手妻の説明、そして座敷手妻ークローズアップマジックということで
藤山晃太郎氏と掛け合いでお椀と玉。 手さばきがとても美しい。リンゴを
おいてバナナはどこ?というべたなギャグにも笑わされました。最後にはあんぱん
が出現していっそうびっくり!ちゃんと割ってあんぱんだと確認。物欲しそうに
していたのがわかったのか、舞台から呼ばれてそのあんパンをもらってしまいました。
本当に甘かったのです。ああ手妻を見て甘いものをいただけるなんてなんて幸せ。。

次は金輪の曲、チャイニーズリングと呼ばれていますが、日本では見立て芸だとのこと。
口上がつく芸なのですね。机、轡、星兜、ツタの紋所、茶釜、蓮華のつぼみ、蓮華の花、
牡丹灯籠等々、言われると確かにそれらしく見えてきます。見立ての一覧希望!
こういう見せ方だとマジックの要素より見立ての要素の方が強くアピールしますね。

次は蝶のたはむれ。手妻は、不思議をストーリーで包み込む不思議を強調しないのが特徴、
この蝶のたわむれは手妻を哲学とし、1枚の紙で一生を見せる哲学を語る、日本の芸能は
芸をしながら背後を語ろうとする、のだそうです。
形だけ真似てやることはできてもそれではまだ完成にはほど遠いとか。
蝶のたはむれは初めてライブでみたのですが、いやーほんとに蝶が生きているみたい。
これはまた見てみたい。
終演後に手妻のはなし を著者サイン入りで購入しました。


~展示・実演~




竹田からくり人形(桐生からくり人形芝居)
 倉から人形が発見されたのを契機に、もてる技術と知恵をを出し合って、つかいかたを探り、
 新しい人形を作っていったのだそうです。40体がオリジナル、35体がレプリカ。
 見てるとなんだか昔懐かしい気分になれます。



21世紀のからくり人形「踊る!和ボット」(舞台芸術21ネットワーク・和のメソッド)

  伝統芸能の普及にロボットを活用。
  関節をふやすことで、踊りや見得ができないか、文楽人形国宝にまでお願いに
  いったそうです。
  歌舞伎の前宣伝をロボットを使ってやっているとのこと。
  健康体操や踊りを披露しましたが、確かにうまく動きます。


 
これが無料のイベントなのですから、太っ腹ですよねー。
来年もセミナーに参加したいと思いましたよ。
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