初老初級ジャグラーの日記です。
ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。
技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:ものがたり芸能と社会
著者:小沢 昭一
出版社: 白水社 (1998/11)
ISBN-10: 4560039887
出版社/著者からの内容紹介:
大好評を博した放送大学での講義を基に、芸能と芸能者の社会的な
意味と存在理由を、著者ならではの放浪芸探索の成果を背景にしながら、職業的芸能者の視点から
体系的に書き下ろす。
内容:(「MARC」データベースより
芸能と技能者の社会的な意味と存在理由は何なのか。「遊びと芸能」「芸能と差別」
「信仰と芸能」「テレビと社会学」など、世の中における芸能について、職業的芸能者の
視点から体系的に書き下ろした芸能論。
目次:
芸能と私
遊びと芸能
芸能のはじまり
生業としての芸能
芸能と差別
商いと芸能
宴会と芸能
信仰と芸能
芸能の盛衰
芸能と悪所
芸能の社会学
スポーツと芸能
テレビの社会学
余暇生活の変化とこれからの芸能
芸能のばあい、それまであった芸能のことなど何にも知らない人が新しいものを
つくりだす。新しく世の中を担う人々が出てくるとそのひとたちが自分にあったものを
見つけようという風になる。
大神楽については80ページに写真つきで少しだけ記載あり。ちゃりらしき人影が見えるので
伊勢大神楽だと思われる。
信仰と芸能の章では節談説教についてページが多く割かれている。
節談説教は、「はじめシンミリ(讃題、法説)、なかオカシク(譬喩、因縁)、
おわりトウトク(結勧)」と伝承されている。
「一、声、二、節、三、男」(いちこえにふしさんおとこ)、声がよく
節回しが巧みで、男ぶり(人品)が良いことをもって上等の説教者とした。
節談説教がすたれたのは本山の意向らしい。
------
宗教界内部で、具体的には浄土真宗の本山のほうで、節談説教を規制しようとした
らしいのです。説教場で「節談お断り」という貼り紙が説教者の控え室に貼られたり
したんですよ。ああゆうものをやってはいけないというお触れがでて、寺でも説教場
でも自粛しました。それが一つの大きな原因となって節談説教は、一気に衰亡して
いったようです。まあたしかに芸風説教も、寄席と客の入りを競うように繁昌してくる
と、芸風も度が過ぎて、俗受けばかりねらう説教者もいたようで、「袈裟落とし」
なんていう、話の盛り上がったところで、金を持っていそうな信者へ向かって袈裟を
飛ばしてかける。その信者はありがたがって、その袈裟にお賽銭たっぷりつけて控え室に
返しにゆく。そんなこともやられていたようです。私などはハゲシイ演出だなと面白がり
ますが、やはり宗教家としてはゆき過ぎでしょうかな。「売談僧」という批判の言葉
もありました。
-------
石川県門前町の満覚寺住職である広陵兼純さんの節談説教が採録されている。
194ページにこんなことが。みてみたい。
-------
実は私、チラッと、そんな節談講芸という新ジャンルを、自分で開拓してみたいなと・・・
ちらっと思ってはみるのですが、時すでに遅し。ギターも弾けなきゃピアノも叩けません。
・・・ハーモニカではねぇ。
-------
芸能の盛衰では浪曲や万歳についての言及あり。尾張万歳は町方専門で、明治以前から
芸能色が強く、芝居万歳、お笑い文句の万歳、法華経万歳(天台宗、日蓮宗)、
神力万歳(神道)、御城万歳(浄土宗)、六条万歳(浄土真宗)、地割万歳(建て前用)、
お茶ばやし、お馬ばやし、お酒ばやし、船玉万歳、なかなか(お笑いづくし)など
「ユーザーの多様なニーズに応える営業方針」であった。明治になってから尾張万歳は
遊芸稼人の鑑札をうけて、大盛況をもたらした。
漫才については、、
-----
テレビで、漫才師を中心に、マンザイについて論じあうマジメな番組がありまして、
そこで彼らは、はっきりといいきっておりました。
もう従来のようなネタの決まっている漫才はお客様が飽きた。テレビには合わない。
テレビでは準備された、つくられた漫才より、出たとこ勝負のトーク番組のハプニング性、
即興性のほうをお客様は喜ぶ。例えば、深夜の討論番組での、政治家、評論家、作家たち
のケンカ騒ぎは、まさに現代の漫才である、ああいうものにはかなわない。
というのです。人気者の漫才師の一人は「だからもう漫才やめて司会者になった」と
述べ、「フリートークがうまいことできないようでは、これからのテレビには生きられない」
とも言っていました。
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著者:小沢 昭一
出版社: 白水社 (1998/11)
ISBN-10: 4560039887
出版社/著者からの内容紹介:
大好評を博した放送大学での講義を基に、芸能と芸能者の社会的な
意味と存在理由を、著者ならではの放浪芸探索の成果を背景にしながら、職業的芸能者の視点から
体系的に書き下ろす。
内容:(「MARC」データベースより
芸能と技能者の社会的な意味と存在理由は何なのか。「遊びと芸能」「芸能と差別」
「信仰と芸能」「テレビと社会学」など、世の中における芸能について、職業的芸能者の
視点から体系的に書き下ろした芸能論。
目次:
芸能と私
遊びと芸能
芸能のはじまり
生業としての芸能
芸能と差別
商いと芸能
宴会と芸能
信仰と芸能
芸能の盛衰
芸能と悪所
芸能の社会学
スポーツと芸能
テレビの社会学
余暇生活の変化とこれからの芸能
芸能のばあい、それまであった芸能のことなど何にも知らない人が新しいものを
つくりだす。新しく世の中を担う人々が出てくるとそのひとたちが自分にあったものを
見つけようという風になる。
大神楽については80ページに写真つきで少しだけ記載あり。ちゃりらしき人影が見えるので
伊勢大神楽だと思われる。
信仰と芸能の章では節談説教についてページが多く割かれている。
節談説教は、「はじめシンミリ(讃題、法説)、なかオカシク(譬喩、因縁)、
おわりトウトク(結勧)」と伝承されている。
「一、声、二、節、三、男」(いちこえにふしさんおとこ)、声がよく
節回しが巧みで、男ぶり(人品)が良いことをもって上等の説教者とした。
節談説教がすたれたのは本山の意向らしい。
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宗教界内部で、具体的には浄土真宗の本山のほうで、節談説教を規制しようとした
らしいのです。説教場で「節談お断り」という貼り紙が説教者の控え室に貼られたり
したんですよ。ああゆうものをやってはいけないというお触れがでて、寺でも説教場
でも自粛しました。それが一つの大きな原因となって節談説教は、一気に衰亡して
いったようです。まあたしかに芸風説教も、寄席と客の入りを競うように繁昌してくる
と、芸風も度が過ぎて、俗受けばかりねらう説教者もいたようで、「袈裟落とし」
なんていう、話の盛り上がったところで、金を持っていそうな信者へ向かって袈裟を
飛ばしてかける。その信者はありがたがって、その袈裟にお賽銭たっぷりつけて控え室に
返しにゆく。そんなこともやられていたようです。私などはハゲシイ演出だなと面白がり
ますが、やはり宗教家としてはゆき過ぎでしょうかな。「売談僧」という批判の言葉
もありました。
-------
石川県門前町の満覚寺住職である広陵兼純さんの節談説教が採録されている。
194ページにこんなことが。みてみたい。
-------
実は私、チラッと、そんな節談講芸という新ジャンルを、自分で開拓してみたいなと・・・
ちらっと思ってはみるのですが、時すでに遅し。ギターも弾けなきゃピアノも叩けません。
・・・ハーモニカではねぇ。
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芸能の盛衰では浪曲や万歳についての言及あり。尾張万歳は町方専門で、明治以前から
芸能色が強く、芝居万歳、お笑い文句の万歳、法華経万歳(天台宗、日蓮宗)、
神力万歳(神道)、御城万歳(浄土宗)、六条万歳(浄土真宗)、地割万歳(建て前用)、
お茶ばやし、お馬ばやし、お酒ばやし、船玉万歳、なかなか(お笑いづくし)など
「ユーザーの多様なニーズに応える営業方針」であった。明治になってから尾張万歳は
遊芸稼人の鑑札をうけて、大盛況をもたらした。
漫才については、、
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テレビで、漫才師を中心に、マンザイについて論じあうマジメな番組がありまして、
そこで彼らは、はっきりといいきっておりました。
もう従来のようなネタの決まっている漫才はお客様が飽きた。テレビには合わない。
テレビでは準備された、つくられた漫才より、出たとこ勝負のトーク番組のハプニング性、
即興性のほうをお客様は喜ぶ。例えば、深夜の討論番組での、政治家、評論家、作家たち
のケンカ騒ぎは、まさに現代の漫才である、ああいうものにはかなわない。
というのです。人気者の漫才師の一人は「だからもう漫才やめて司会者になった」と
述べ、「フリートークがうまいことできないようでは、これからのテレビには生きられない」
とも言っていました。
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