初老初級ジャグラーの日記です。
ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。
技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:江戸庶民街芸風俗誌
著者:宮尾 しげを
出版社: 千葉出版 (1970)
ASIN: B000J9HFQ4
発売日: 1970
江戸時代の物売りと雑芸者の事典。放下芸に近いものとしては、
乞胸、太神楽、心太曲突き売り、曲鞠、けしの助、曲独楽、
金輪つかい、枕の曲芸、粟餅曲搗き、豆蔵、皿回し、など。
この本のえらいところは、諸芸索引、人名索引があるところ。
これがなかったら枕の芸を松井源水がやっていたなんて気が
つかなかったろう。
源水の項に次のようにある。
---
松井源水曲独楽の名人なれども、本業は枕の曲を家の芸と
するよしとある。
略
源水の演じた「枕の曲」は四季四ツ枕、一つまくら、ふたつ枕、
八つ橋枕、あや杉枕、勅使の枕、すくい枕、打抜枕、出合枕、
屏風枕、滝枕
---
枕の曲芸の項には。。
---
枕芸の源次郎は明治以前から曲芸師中の名人で、明治のはじめに
外国へ渡って、彼地の人をその芸で驚かせている。
帰朝の後は筋違見附(いまの須田町へん)内に露店を張って
曲芸を興行していた。大道芸といってもさすがは洋行帰りなので、
一段と冴えた芸を見せたので評判をとった。その中でも横枕
の一曲は銭を空中に投げて落ちてくるところを藁さしで受け止める
といったもので、これは源次郎の持ち芸ではあったが、ますます
巧手になって見るもの一驚せざるはなかったという。
明治中期に再び洋行して、あちらで病死しているので、芸のほどを
見ている人は割合い少ないようである。
この枕芸は元は太神楽系のもので、徳川時代の江戸太神楽、これは
熱田大神宮の下級神官が全国をめぐって、奉納代神楽の勧進に歩く
に客寄せようとした芸の一種であった。
熱田系の流れである江戸の鏡味家に、今もこの芸は残っている。
この図は、枕を重ねて積み、扇子のかなめの先端で持ち上げ回転
させ、上部の丼に入っている水を、湧き水のように散らすもので
ある。
----------------
鏡味家で枕芸!??びっくりしてさっそく親方に確かめさせて
いただいたのだけれど、答えは「枕芸は存在しない、ひょっと
して一つ鞠のこまくら返しを間違えたのでは?」
ちなみに、こまくら返しとは鞠によるヘッドロールである。
太神楽に関してはいつもの参考文献からの引用。
十返舎一九作「方言修行金草蛙」第十二編(文化十年版)からの
引用が新しい発見。
--
武州高井戸で太神楽の一行がうたう唄に「不二のへ不二の裾野
で、仁田の四郎はいのししを殺す。衣川では武蔵坊の弁慶さん
が、立往生めさる、大江山では渡辺金時、貞光季武酒呑童子を
殺す。今の娘は村の若い衆を色目で殺す、やんちゃいしつちょ
ごけだんごしゃれ」とある。これはいかにも田舎まわりである。
--
山下鶴市(豆蔵)の項にはとっくりを投げる口上があった
--
ご愛嬌に投げますわ、豆ととっくりでござい。豆はかるし
とっくりは重い。つりあわぬところ、また石がはいりまする。
こいつおもたいでやってこざい、間を見合せてふうわりと受け
る間をみ合せて投げまする、こうつこうにやってござい所を
ふうらりと受ける。とうとうとうさてありがたい仕合。
--
曲突心太売の口上もあった。
--
「流行商人絵詞二十三番狂歌合」にその言い立てが出ている。
「さあつきますぞつきますぞ、音羽の滝の糸ざくら、ちらちら
おつる星くだり、それ天上までつきあげて、やんわりうけもち
すべるは尻餅、しだれ柳にしだれ梅、さてもそろうてきれぬを
賞玩、あいあい、ただいまあげますあげます
」
略
狂歌では
左
手もたかく思いつきいだすこころ藻の
こらずばいかで人のほむべき
右
つきあげてくちにうけたるところてん
よい塩梅にあじをやりけり
--
挿絵では宙を舞うところてんとそれを箸でキャッチしようと
している男が描かれている。
こうやって心太売ってたら思わず買ってしまうんだがなあ。
著者:宮尾 しげを
出版社: 千葉出版 (1970)
ASIN: B000J9HFQ4
発売日: 1970
江戸時代の物売りと雑芸者の事典。放下芸に近いものとしては、
乞胸、太神楽、心太曲突き売り、曲鞠、けしの助、曲独楽、
金輪つかい、枕の曲芸、粟餅曲搗き、豆蔵、皿回し、など。
この本のえらいところは、諸芸索引、人名索引があるところ。
これがなかったら枕の芸を松井源水がやっていたなんて気が
つかなかったろう。
源水の項に次のようにある。
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松井源水曲独楽の名人なれども、本業は枕の曲を家の芸と
するよしとある。
略
源水の演じた「枕の曲」は四季四ツ枕、一つまくら、ふたつ枕、
八つ橋枕、あや杉枕、勅使の枕、すくい枕、打抜枕、出合枕、
屏風枕、滝枕
---
枕の曲芸の項には。。
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枕芸の源次郎は明治以前から曲芸師中の名人で、明治のはじめに
外国へ渡って、彼地の人をその芸で驚かせている。
帰朝の後は筋違見附(いまの須田町へん)内に露店を張って
曲芸を興行していた。大道芸といってもさすがは洋行帰りなので、
一段と冴えた芸を見せたので評判をとった。その中でも横枕
の一曲は銭を空中に投げて落ちてくるところを藁さしで受け止める
といったもので、これは源次郎の持ち芸ではあったが、ますます
巧手になって見るもの一驚せざるはなかったという。
明治中期に再び洋行して、あちらで病死しているので、芸のほどを
見ている人は割合い少ないようである。
この枕芸は元は太神楽系のもので、徳川時代の江戸太神楽、これは
熱田大神宮の下級神官が全国をめぐって、奉納代神楽の勧進に歩く
に客寄せようとした芸の一種であった。
熱田系の流れである江戸の鏡味家に、今もこの芸は残っている。
この図は、枕を重ねて積み、扇子のかなめの先端で持ち上げ回転
させ、上部の丼に入っている水を、湧き水のように散らすもので
ある。
----------------
鏡味家で枕芸!??びっくりしてさっそく親方に確かめさせて
いただいたのだけれど、答えは「枕芸は存在しない、ひょっと
して一つ鞠のこまくら返しを間違えたのでは?」
ちなみに、こまくら返しとは鞠によるヘッドロールである。
太神楽に関してはいつもの参考文献からの引用。
十返舎一九作「方言修行金草蛙」第十二編(文化十年版)からの
引用が新しい発見。
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武州高井戸で太神楽の一行がうたう唄に「不二のへ不二の裾野
で、仁田の四郎はいのししを殺す。衣川では武蔵坊の弁慶さん
が、立往生めさる、大江山では渡辺金時、貞光季武酒呑童子を
殺す。今の娘は村の若い衆を色目で殺す、やんちゃいしつちょ
ごけだんごしゃれ」とある。これはいかにも田舎まわりである。
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山下鶴市(豆蔵)の項にはとっくりを投げる口上があった
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ご愛嬌に投げますわ、豆ととっくりでござい。豆はかるし
とっくりは重い。つりあわぬところ、また石がはいりまする。
こいつおもたいでやってこざい、間を見合せてふうわりと受け
る間をみ合せて投げまする、こうつこうにやってござい所を
ふうらりと受ける。とうとうとうさてありがたい仕合。
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曲突心太売の口上もあった。
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「流行商人絵詞二十三番狂歌合」にその言い立てが出ている。
「さあつきますぞつきますぞ、音羽の滝の糸ざくら、ちらちら
おつる星くだり、それ天上までつきあげて、やんわりうけもち
すべるは尻餅、しだれ柳にしだれ梅、さてもそろうてきれぬを
賞玩、あいあい、ただいまあげますあげます
」
略
狂歌では
左
手もたかく思いつきいだすこころ藻の
こらずばいかで人のほむべき
右
つきあげてくちにうけたるところてん
よい塩梅にあじをやりけり
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挿絵では宙を舞うところてんとそれを箸でキャッチしようと
している男が描かれている。
こうやって心太売ってたら思わず買ってしまうんだがなあ。
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