初老初級ジャグラーの日記です。
ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。
技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:朝鮮芸能史
著者:李杜鉉
出版社: 東京大学出版会 (1990/01)
ISBN-10: 4130130366
目次:
序 朝鮮芸能史の前提;
第1章 古代三国の芸能(高句麗楽と西域楽;百済楽と伎楽;新羅郷楽と仮面戯);
第2章 中世の芸能(山台雑劇;儺戯;調戯;高麗の広大);
第3章 近世の芸能(山台儺戯;朝鮮朝の才人と広大;パンソリ);
第4章 仮面劇と人形劇の伝承(農耕儀礼と仮面戯;喪家戯;城隍祭の仮面戯;山台都監劇;北青獅子戯)
紀元前からの朝鮮の芸能史。やはり日本以上に中国の影響が強く、
百済時代のものは隋書に多少の記録が残っている。
古代の伎楽は朝鮮の文献には記録がない。
朝鮮芸能の主流を占めるものは仮面劇である。
新羅末葉の崔致遠(857-?)が「郷楽雑詠」で詠んだ五種の
楽曲を「五伎」と呼び、金丸、月顚、大面、束毒、狻猊、という
新羅楽の歌舞百戯の内容を具体的に表すレパートリーであった。
金丸がトスジャグリング、月顚と大面は仮面舞、束毒は速い
テンポの舞、狻猊は獅子舞をさしたらしい。
近世朝鮮朝の百戯すなわち「規式之戯」は、注叱(綱渡り)、
弄鈴(トスジャグリング)、斤頭(とんぼ返り)
などと「文宗実録」にある。
曲芸が民間で発展した日本と違い、朝鮮の曲芸は官へのサービスを
主体としていた。「完文等状八道才人」によれば、丙子の胡乱の後
清使を迎えて左右山台戯を挙行するために設置された各道の才人
庁を統合して全国的な規模に拡大、再組織した。こうした各道才人
庁はやがて内なる統制機関と化して、歌舞を供給すると同時に
巫布税その他徴税を代行し、巫契員たちの生活保障も行った。
そのような組織を通じて、朝鮮朝の芸人達は両班の官僚(主に郷史)
により多く依存せざるをえなかった。もっとも郷史は貧乏だった
ので満足なパトロンになれなかった。
いまだに農村社会の零細さを抜けきれず、市場と都市の未発達から
ブルジョアジーの形成もなく、劇場一つ持てずに放置されたところに
朝鮮朝の演芸文化の不振の理由があったようである。
著者:李杜鉉
出版社: 東京大学出版会 (1990/01)
ISBN-10: 4130130366
目次:
序 朝鮮芸能史の前提;
第1章 古代三国の芸能(高句麗楽と西域楽;百済楽と伎楽;新羅郷楽と仮面戯);
第2章 中世の芸能(山台雑劇;儺戯;調戯;高麗の広大);
第3章 近世の芸能(山台儺戯;朝鮮朝の才人と広大;パンソリ);
第4章 仮面劇と人形劇の伝承(農耕儀礼と仮面戯;喪家戯;城隍祭の仮面戯;山台都監劇;北青獅子戯)
紀元前からの朝鮮の芸能史。やはり日本以上に中国の影響が強く、
百済時代のものは隋書に多少の記録が残っている。
古代の伎楽は朝鮮の文献には記録がない。
朝鮮芸能の主流を占めるものは仮面劇である。
新羅末葉の崔致遠(857-?)が「郷楽雑詠」で詠んだ五種の
楽曲を「五伎」と呼び、金丸、月顚、大面、束毒、狻猊、という
新羅楽の歌舞百戯の内容を具体的に表すレパートリーであった。
金丸がトスジャグリング、月顚と大面は仮面舞、束毒は速い
テンポの舞、狻猊は獅子舞をさしたらしい。
近世朝鮮朝の百戯すなわち「規式之戯」は、注叱(綱渡り)、
弄鈴(トスジャグリング)、斤頭(とんぼ返り)
などと「文宗実録」にある。
曲芸が民間で発展した日本と違い、朝鮮の曲芸は官へのサービスを
主体としていた。「完文等状八道才人」によれば、丙子の胡乱の後
清使を迎えて左右山台戯を挙行するために設置された各道の才人
庁を統合して全国的な規模に拡大、再組織した。こうした各道才人
庁はやがて内なる統制機関と化して、歌舞を供給すると同時に
巫布税その他徴税を代行し、巫契員たちの生活保障も行った。
そのような組織を通じて、朝鮮朝の芸人達は両班の官僚(主に郷史)
により多く依存せざるをえなかった。もっとも郷史は貧乏だった
ので満足なパトロンになれなかった。
いまだに農村社会の零細さを抜けきれず、市場と都市の未発達から
ブルジョアジーの形成もなく、劇場一つ持てずに放置されたところに
朝鮮朝の演芸文化の不振の理由があったようである。
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