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初老初級ジャグラーの日記です。 ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。 技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:芸能民族学
著者:宮尾しげを
出版社: 伝統と現代社 現代ジャーナリズム出版会 (1975)
ASIN: B000J9G7M2

移動する芸能の章、186ページから太神楽についての記述がある。

--
もともと伊勢の御師は神楽以外に、暮れ近くになると伊勢歴と、国産のワカメ、ひじきなどをもって江戸へでて、伊勢参宮の信仰講中へ挨拶にまわっている。羽織袴で百万度の祈祷札を入れた箱をかついだ者の二人連れは恩師職系の者で、神楽のみをもって歩く人は神楽職と江戸時代は区別していた

暦をもってまわった御師職は明治初期に解体され、その人たちは転職を余儀なくされたが、元来が芸能者ではないので、簡単な獅子舞を持ち回る事のみになって、そこに獅子と放下との区別がはっきりとされた


189
名古屋を中心として発足して関東、甲信越、奥州方面へかいだんしたのは、熱田明神の御師職系の人たちで明治の禁止令によって、ばたばたと廃業をよぎなくされ、いま獅子舞の家元として残った鏡味一族が、僅かに東京で名目をつないでいる。


大正の初めまで、東京では獅子舞は独立した芸能として扱われ、門付祝福芸として各戸を訪問していた。鏡味家は、その関東の総取締権を江戸時代より持っていたので、正月に縁起祝いの獅子舞をもって江戸に入ってくる者は幾らかの冥加金を鏡味家に納めることになっていた。
これに対して鏡味家からは桃色のふchとりした緑地に○に一の字を白く染めた、太鼓胴布を返礼に出したものである。その紋様から鏡味家を俗に丸一と呼んでいる。
これを巡回中太鼓の胴に巻いておかぬと、総家に渡りがついていないというので罰せられたものである。これは昭和時代まで続いていたが、太平洋戦の日本敗北によってGHQより解消されてしまい、獅子の各戸訪問も正月以外は許可されなくなった。
それを犯した者は、獅子頭を取り上げられる罰則が行われた。
こえは生活に困った任侠の徒が多く参与していたことにも原因があった。
これで江戸から東京の新春に彩りを添えていた、獅子舞も囃子の音も完全といってよいほどに中断されてしまった。
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