初老初級ジャグラーの日記です。
ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。
技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:村の伝統芸能が危ない
著者:星野紘
出版社:岩田書院 (2009/05)
ISBN-10: 4872945581
内容:(岩田書院Webより)
「掲載した文章の全体は大きく二つから構成されている。一つは村の伝
統芸能(郷土芸能、民俗芸能、地域伝統芸能、それに民謡)が今存続の
危機に直面しつつある現状とそれへの対応策の問題、二つ目が村の伝統
芸能の内容機能の説明および国際化時代を踏まえての地球規模の村の伝
統芸能俯瞰の試みである。今こそ村の伝統芸能は注視されるべきだとの
思いが心のうちにある。」(本書「はじめに」より)
【主要目次】
序 章 生活者の息吹きが伝わる村の伝統芸能の魅力
第1章 限界集落下の村の伝統芸能
山の芸能が危ない
村の伝統芸能が危ない
(報告/アンケート調査データ)
村の民俗音楽の危機を乗り越えるために
(基調講演/シンポジウム)
第2章 村の伝統芸能とは何か
村の伝統芸能の呼称の変遷
存続危機の村の伝統芸能
村の伝統芸能の種類
村の伝統芸能の芸態
(口頭表現としての芸態/身体表現としての芸態)
村の伝統芸能の心意目的
第3章 村の伝統芸能の経済・芸術性・信仰
東北の修験系神楽にみる<市場原理>
(現況調査のレポート/修験の舞の美しさと獅子頭信仰など/東北の修験系神楽の市場原理)
第4章 世界無形文化遺産時代の村の伝統芸能
日本の先行研究をもとに世界の村の伝統芸能を比較
(比較の必要性/生活生業との関わりの問題/創作の問題/民族性・地域性の問題/発祥地と伝播変容の問題)
終 章 村の伝統芸能を取り巻く今日の地域社会の問題
(現状/新たな対応策の模索)
---------------------
限界集落において祭りや芸能がほろんできつつある。行政への期待が費用
援助から、過疎化の歯止めへとかわってきつつある。日常や信仰と結びつ
いていた芸能が、集落崩壊により生き延びるために舞台化という例も。小
学生に教えて継承を図る地域も多いが中学にあがるとやめてしまう。。
阿波踊りのように大きくなって存続しているものはその周辺の民俗芸能を
滅ぼしてしまう。
P101
----
民俗芸能学会研究者の間で、特に若い世代の研究者から旧世代の者の考え
方への反論が目立ち始めた。旧世代研究者の芸態を分析して技法の論理構
造を解明するといった芸態研究や、文献資料などを博捜して芸能の歴史的
変遷を跡付けようとする芸能史研究が以前には一世を風靡していたのであ
るが、”地域伝統芸能”の呼称誕生頃からは神楽、盆踊りなどの村の伝統
芸能を観光資源として活用を図ることを積極的に肯定すると共に、和太鼓
やエイサーといった擬似創作芸能を称揚するような論文が若手研究者あた
りから盛んに現れはじめた。
----
なんのために調査するのか?という研究者としての方向性がかわってきた
のはおもしろい。
P159
---
最後に渡来芸・舞台芸の各種、都市部における古典芸能を含めてそこにお
ける心意目的について触れておきたい。端的に言えば、単に面白さだけを
追求しているものであって、それ以外には何もないなどと断定されがちで
あるが、必ずしもそうではないと考えたほうが良いように思う。実はここ
に全ての歌と踊り、所謂伝統芸能に共通することがあるのだ。つまり世阿
弥の記していた次のくだりはこのことを説明している。
抑芸能とは、諸人の心を和げて、上下の感をなさむ事、寿福増長の基、
「遐齢」延年の法なるべし。極め極めては諸道悉(く)寿福延年ならんと
なり(風姿花伝)
ここで言っている遐齢延年の基いとは、芸能がおもしろければ人の寿命も
延びるというものである。
略
古典芸能にも現代芸能にも実は人生の幸せ感という、単なる芸術味として
の面白さには限定されない広い意義
目的があって、その点では村社会の歌と踊りにも共通しているということ
である
----
「面白い」ということを見下しているような口調は気になるが、面白けれ
ば幸せになり寿命も延びる、という方向性は興味深い。
P146には曲芸に関する言及がある。綱渡り、組体操、高足らしきもの
についての記述があるが、他の章とくらべてきわめておざなりにしか書か
れていない。参考文献もない。
本の最後に4行だけ曲芸の技の発祥地について言及があった。杉山二郎氏
がこの件で「遊民の系譜-ユーラシアの漂泊者たち」で何か書かれているそ
うだ。読んでみる必要があるかもしれない。
著者:星野紘
出版社:岩田書院 (2009/05)
ISBN-10: 4872945581
内容:(岩田書院Webより)
「掲載した文章の全体は大きく二つから構成されている。一つは村の伝
統芸能(郷土芸能、民俗芸能、地域伝統芸能、それに民謡)が今存続の
危機に直面しつつある現状とそれへの対応策の問題、二つ目が村の伝統
芸能の内容機能の説明および国際化時代を踏まえての地球規模の村の伝
統芸能俯瞰の試みである。今こそ村の伝統芸能は注視されるべきだとの
思いが心のうちにある。」(本書「はじめに」より)
【主要目次】
序 章 生活者の息吹きが伝わる村の伝統芸能の魅力
第1章 限界集落下の村の伝統芸能
山の芸能が危ない
村の伝統芸能が危ない
(報告/アンケート調査データ)
村の民俗音楽の危機を乗り越えるために
(基調講演/シンポジウム)
第2章 村の伝統芸能とは何か
村の伝統芸能の呼称の変遷
存続危機の村の伝統芸能
村の伝統芸能の種類
村の伝統芸能の芸態
(口頭表現としての芸態/身体表現としての芸態)
村の伝統芸能の心意目的
第3章 村の伝統芸能の経済・芸術性・信仰
東北の修験系神楽にみる<市場原理>
(現況調査のレポート/修験の舞の美しさと獅子頭信仰など/東北の修験系神楽の市場原理)
第4章 世界無形文化遺産時代の村の伝統芸能
日本の先行研究をもとに世界の村の伝統芸能を比較
(比較の必要性/生活生業との関わりの問題/創作の問題/民族性・地域性の問題/発祥地と伝播変容の問題)
終 章 村の伝統芸能を取り巻く今日の地域社会の問題
(現状/新たな対応策の模索)
---------------------
限界集落において祭りや芸能がほろんできつつある。行政への期待が費用
援助から、過疎化の歯止めへとかわってきつつある。日常や信仰と結びつ
いていた芸能が、集落崩壊により生き延びるために舞台化という例も。小
学生に教えて継承を図る地域も多いが中学にあがるとやめてしまう。。
阿波踊りのように大きくなって存続しているものはその周辺の民俗芸能を
滅ぼしてしまう。
P101
----
民俗芸能学会研究者の間で、特に若い世代の研究者から旧世代の者の考え
方への反論が目立ち始めた。旧世代研究者の芸態を分析して技法の論理構
造を解明するといった芸態研究や、文献資料などを博捜して芸能の歴史的
変遷を跡付けようとする芸能史研究が以前には一世を風靡していたのであ
るが、”地域伝統芸能”の呼称誕生頃からは神楽、盆踊りなどの村の伝統
芸能を観光資源として活用を図ることを積極的に肯定すると共に、和太鼓
やエイサーといった擬似創作芸能を称揚するような論文が若手研究者あた
りから盛んに現れはじめた。
----
なんのために調査するのか?という研究者としての方向性がかわってきた
のはおもしろい。
P159
---
最後に渡来芸・舞台芸の各種、都市部における古典芸能を含めてそこにお
ける心意目的について触れておきたい。端的に言えば、単に面白さだけを
追求しているものであって、それ以外には何もないなどと断定されがちで
あるが、必ずしもそうではないと考えたほうが良いように思う。実はここ
に全ての歌と踊り、所謂伝統芸能に共通することがあるのだ。つまり世阿
弥の記していた次のくだりはこのことを説明している。
抑芸能とは、諸人の心を和げて、上下の感をなさむ事、寿福増長の基、
「遐齢」延年の法なるべし。極め極めては諸道悉(く)寿福延年ならんと
なり(風姿花伝)
ここで言っている遐齢延年の基いとは、芸能がおもしろければ人の寿命も
延びるというものである。
略
古典芸能にも現代芸能にも実は人生の幸せ感という、単なる芸術味として
の面白さには限定されない広い意義
目的があって、その点では村社会の歌と踊りにも共通しているということ
である
----
「面白い」ということを見下しているような口調は気になるが、面白けれ
ば幸せになり寿命も延びる、という方向性は興味深い。
P146には曲芸に関する言及がある。綱渡り、組体操、高足らしきもの
についての記述があるが、他の章とくらべてきわめておざなりにしか書か
れていない。参考文献もない。
本の最後に4行だけ曲芸の技の発祥地について言及があった。杉山二郎氏
がこの件で「遊民の系譜-ユーラシアの漂泊者たち」で何か書かれているそ
うだ。読んでみる必要があるかもしれない。
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書名:ニッポン・サーカス物語―海を越えた軽業・曲芸師たち
著者:三好 一
出版社: 白水社 (1993/09)
ISBN-10: 4560039801
内容(「BOOK」データベースより)
幕末から明治、欧米で活躍したニッポンの軽業・曲芸師たちの驚異の軌跡と、上方で人気を呼んだ
見世物や博覧会の楽しい逸話を、貴重な錦絵・ポスター・引札で鮮やかに再現した、ユニークな歴
史読物。
234-235ページの中でハワイ興行した大浦一座の評判が載っている。
235ページ
--
九歳の銀蔵は球と「傘芸」の巧手だ。三ケ球を一手で手玉にとりながら、
一個は傘の上に回転させるのである。
--
かなり不思議なやりかたなのでこの記録の出典にあたってみた。
新聞:日出新聞
日付:明治20年4月12日 第109号
布哇(ハワイ)国に於いて日本の軽業
足芸梯子乗曲持総勢11名の大浦組が2月11日英国飛脚船でホノルルへ到着。
日本の囃子では評判が悪いと聞き洋琴その他楽人を6名、その他合計19名の
欧州人を雇い、入場料は上1ポンド(五円)、中75セント(75銭)、下50セント
(50銭)、興行は隔日の夜間、ただし土曜日のみ昼夜行った。
興行は大成功!
新聞:日出新聞
日付:明治20年4月13日 第110号
前日からの続き
子供二人による軟体、樽の足芸、支那茶碗の積み重ねバランス、
肩芸の梯子技(片方が崩れ落ちる)、曲独楽、傘回し、水の曲等の
演目が描かれている。傘回しの記述がここにある。
---
本年九歳の銀蔵は球及び傘の芸を巧みに取り扱へり。球の数は五個にて
三個は一手に一個は傘の外面を転びまわれり。
---
えーと数があわないんですが(^^;)一個はどこに?
3ボールをやったというのと、傘回しを行ったということなんだろうか?
著者:三好 一
出版社: 白水社 (1993/09)
ISBN-10: 4560039801
内容(「BOOK」データベースより)
幕末から明治、欧米で活躍したニッポンの軽業・曲芸師たちの驚異の軌跡と、上方で人気を呼んだ
見世物や博覧会の楽しい逸話を、貴重な錦絵・ポスター・引札で鮮やかに再現した、ユニークな歴
史読物。
234-235ページの中でハワイ興行した大浦一座の評判が載っている。
235ページ
--
九歳の銀蔵は球と「傘芸」の巧手だ。三ケ球を一手で手玉にとりながら、
一個は傘の上に回転させるのである。
--
かなり不思議なやりかたなのでこの記録の出典にあたってみた。
新聞:日出新聞
日付:明治20年4月12日 第109号
布哇(ハワイ)国に於いて日本の軽業
足芸梯子乗曲持総勢11名の大浦組が2月11日英国飛脚船でホノルルへ到着。
日本の囃子では評判が悪いと聞き洋琴その他楽人を6名、その他合計19名の
欧州人を雇い、入場料は上1ポンド(五円)、中75セント(75銭)、下50セント
(50銭)、興行は隔日の夜間、ただし土曜日のみ昼夜行った。
興行は大成功!
新聞:日出新聞
日付:明治20年4月13日 第110号
前日からの続き
子供二人による軟体、樽の足芸、支那茶碗の積み重ねバランス、
肩芸の梯子技(片方が崩れ落ちる)、曲独楽、傘回し、水の曲等の
演目が描かれている。傘回しの記述がここにある。
---
本年九歳の銀蔵は球及び傘の芸を巧みに取り扱へり。球の数は五個にて
三個は一手に一個は傘の外面を転びまわれり。
---
えーと数があわないんですが(^^;)一個はどこに?
3ボールをやったというのと、傘回しを行ったということなんだろうか?
題名:猿回し千年の旅
著者:村崎 義正 (著)
出版社: 築地書館 (1991/10)
言語 日本語
ISBN-10: 4806756946
内容:(「BOOK」データベースより)
千年におよぶ歴史をもちながら、まぼろしの芸能といわれた猿まわし芸は、どのように伝えられ、今日の隆盛をみたのだろうか。「周防猿まわしの会」の初代会長として、消えつつあった猿まわし芸を発掘し、はじめて大衆芸能として育て上げた著者が、渾身の力をこめて描き切る猿まわしの歴史と現在。
猿回しと油売りの出稼ぎを上下行きといい、差別されているうえにその中で搾取がおきていた。
儲かるのは高利貸しだけ。生きた猿を飼育するにはコストがかかるので、芸として残るためには
ある程度の稼ぎが必要。。
著者:村崎 義正 (著)
出版社: 築地書館 (1991/10)
言語 日本語
ISBN-10: 4806756946
内容:(「BOOK」データベースより)
千年におよぶ歴史をもちながら、まぼろしの芸能といわれた猿まわし芸は、どのように伝えられ、今日の隆盛をみたのだろうか。「周防猿まわしの会」の初代会長として、消えつつあった猿まわし芸を発掘し、はじめて大衆芸能として育て上げた著者が、渾身の力をこめて描き切る猿まわしの歴史と現在。
猿回しと油売りの出稼ぎを上下行きといい、差別されているうえにその中で搾取がおきていた。
儲かるのは高利貸しだけ。生きた猿を飼育するにはコストがかかるので、芸として残るためには
ある程度の稼ぎが必要。。
ロンドンに自分へのご褒美wとして滞在中。
Peterさんとホテルのラウンジでお会いした。
GINTAROの足跡を探す苦労話をお聞きした世界中を旅してGINTAROの情報を
検索、南アフリカで取得したビザのコピーを得るのに半年もかかったそうだ。
そのビザにはロンドンの住所が書かれていた!そのビザの名前はAIKYO GINTARO。
AIKYOは分かれてしまった継父の姓。ビザには、身体的特徴もかかれており、
身長が5ft6inch, 体型がSTOUT(やや太り気味?)ということがわかる。
Peter さんも曲独楽が太神楽曲芸の一部だと思っておられた。まあ日本人でも
大半はそうだと思っているでしょう。ヤシの説明をして太神楽との違いを述べ
た。でも私の英語だとたいへん心細いので(^^;) 源水の芸のいわれを奥様に通
訳していただいた。大道芸関連の説明を流暢にできるだけの英語力がほしい。
GINTAROが箱を積んだ上に水の入ったグラスをおいて、箱を抜くという芸が1937
年の映像で残っているとのこと。それもたぶん太神楽曲芸じゃない。。枕返し系?
丸一ブラザーズが空中ブランコをやったという新聞記事があるという、、でも
日本にその当時空中ブランコノリいません。
Kichijiro Mitsutaという太神楽師?が仙太郎を呼んだのではないかとPeter氏
は想像しておられる。
40年前には鏡味社中がイギリス公演をしているそうだ。先先代?これも調べて
みなければ。
現在の課題としては、GINTAROがどのように柔術を学んだのか?だそうだ。
奥様の話によると、アングロサクソンには芸がない。貴族がいたので上流階級
向けのオペラなどの芸はあっても、庶民向けの芸がないのだそうだ。そのため
庶民相手に営業していた日本の芸人がやってきて爆発的に受けたのではないかと。
イギリス人が日本には「芸者」というイメージを持っているが、それは庶民に
対するエンターテイナーの象徴。
日本では芸人の地位が低く、イギリスではアーティストということで高い。逆に
イギリスではコックは地位が低く(他になれないからコックをする)、日本では
板前の地位はそれなりに高い、というふうに地位の高低が逆転しているという現
象がみられるのだそうだ。
古い日本人の墓はJRA(Japanese Resident Association)で管理されているものが
あり、ただしもう増やせないので元会長が死去した際には遺言でその地に灰を撒
いたのだとか。
Peterが日本にきて印象深かったのが猿回し、最初にみたときは子供が着ぐるみ
を着ていると思ってしまったそうだ。いやー猿回しも差別されてその結果として
いったん滅びたのですよ、って英語でいうのはとても大変。
GINTAROのすごい点はイギリスのどんなところでも興行しているということだと
Peterは語ってくれた。でも曲芸系の芸人はネタが限られているので必ず放浪す
るんです。それは1000年以上前からのお約束、と語ったのだけれどうまく通じた
かどうか(汗)
最後にロビーの片隅で番傘を使って傘回しの実演、金輪を番傘でまわすと落と
すOrz やりなれないことはできないなあ。
紙風船を持っていって傘回しの体験もしていただいて、その紙風船と番傘をプレ
ゼントさせてもらった。
日本では番傘は何に使っているのだ?と聞かれて、そりゃあ雨の日に使うのだ
と答えたら、奥様から「誰が使ってるの?」確かにさしている人は自分以外み
たことないですね。
まあ土産物といったところでしょう。
日本へ年に1ー2度訪れているということなので日本に来たときにまたお会い
しましょうと
こぼれ話、、
傘回しを教えていたら、客から拍手、ドアマンからすばらしい、でじきにホテル
スタッフがやってきて「宿泊客か?キーを見せてほしい」どうもここで金を稼ご
うとする輩にみられたらしい。こんな芸では稼げませんて。
またお話を聞いている最中に、ラウンジでむこうに座っていたおじさんがつかつ
かとよってきて話を遮って「話を遮ってすまないが、それはなんだ、教えてほしい」Pomeraに強烈な興味を持った模様。私に名刺を渡して「情報をメールでほしい、
PC重くて困っている。」
そうでしょう、これからメール書かなくちゃね。
Peterさんとホテルのラウンジでお会いした。
GINTAROの足跡を探す苦労話をお聞きした世界中を旅してGINTAROの情報を
検索、南アフリカで取得したビザのコピーを得るのに半年もかかったそうだ。
そのビザにはロンドンの住所が書かれていた!そのビザの名前はAIKYO GINTARO。
AIKYOは分かれてしまった継父の姓。ビザには、身体的特徴もかかれており、
身長が5ft6inch, 体型がSTOUT(やや太り気味?)ということがわかる。
Peter さんも曲独楽が太神楽曲芸の一部だと思っておられた。まあ日本人でも
大半はそうだと思っているでしょう。ヤシの説明をして太神楽との違いを述べ
た。でも私の英語だとたいへん心細いので(^^;) 源水の芸のいわれを奥様に通
訳していただいた。大道芸関連の説明を流暢にできるだけの英語力がほしい。
GINTAROが箱を積んだ上に水の入ったグラスをおいて、箱を抜くという芸が1937
年の映像で残っているとのこと。それもたぶん太神楽曲芸じゃない。。枕返し系?
丸一ブラザーズが空中ブランコをやったという新聞記事があるという、、でも
日本にその当時空中ブランコノリいません。
Kichijiro Mitsutaという太神楽師?が仙太郎を呼んだのではないかとPeter氏
は想像しておられる。
40年前には鏡味社中がイギリス公演をしているそうだ。先先代?これも調べて
みなければ。
現在の課題としては、GINTAROがどのように柔術を学んだのか?だそうだ。
奥様の話によると、アングロサクソンには芸がない。貴族がいたので上流階級
向けのオペラなどの芸はあっても、庶民向けの芸がないのだそうだ。そのため
庶民相手に営業していた日本の芸人がやってきて爆発的に受けたのではないかと。
イギリス人が日本には「芸者」というイメージを持っているが、それは庶民に
対するエンターテイナーの象徴。
日本では芸人の地位が低く、イギリスではアーティストということで高い。逆に
イギリスではコックは地位が低く(他になれないからコックをする)、日本では
板前の地位はそれなりに高い、というふうに地位の高低が逆転しているという現
象がみられるのだそうだ。
古い日本人の墓はJRA(Japanese Resident Association)で管理されているものが
あり、ただしもう増やせないので元会長が死去した際には遺言でその地に灰を撒
いたのだとか。
Peterが日本にきて印象深かったのが猿回し、最初にみたときは子供が着ぐるみ
を着ていると思ってしまったそうだ。いやー猿回しも差別されてその結果として
いったん滅びたのですよ、って英語でいうのはとても大変。
GINTAROのすごい点はイギリスのどんなところでも興行しているということだと
Peterは語ってくれた。でも曲芸系の芸人はネタが限られているので必ず放浪す
るんです。それは1000年以上前からのお約束、と語ったのだけれどうまく通じた
かどうか(汗)
最後にロビーの片隅で番傘を使って傘回しの実演、金輪を番傘でまわすと落と
すOrz やりなれないことはできないなあ。
紙風船を持っていって傘回しの体験もしていただいて、その紙風船と番傘をプレ
ゼントさせてもらった。
日本では番傘は何に使っているのだ?と聞かれて、そりゃあ雨の日に使うのだ
と答えたら、奥様から「誰が使ってるの?」確かにさしている人は自分以外み
たことないですね。
まあ土産物といったところでしょう。
日本へ年に1ー2度訪れているということなので日本に来たときにまたお会い
しましょうと
こぼれ話、、
傘回しを教えていたら、客から拍手、ドアマンからすばらしい、でじきにホテル
スタッフがやってきて「宿泊客か?キーを見せてほしい」どうもここで金を稼ご
うとする輩にみられたらしい。こんな芸では稼げませんて。
またお話を聞いている最中に、ラウンジでむこうに座っていたおじさんがつかつ
かとよってきて話を遮って「話を遮ってすまないが、それはなんだ、教えてほしい」Pomeraに強烈な興味を持った模様。私に名刺を渡して「情報をメールでほしい、
PC重くて困っている。」
そうでしょう、これからメール書かなくちゃね。
雑誌:日本人形玩具学会誌2005年第16号121-126
記事:明治の人形劇海を渡った大曲芸団の記録と当時の演芸事情
高野廣八の曲芸団の中で隅田川浪五郎という人物が「てづま」を
行っているがそれがどうも人形らしい。「武江年表」にある<芸の目録>
のなかにつぎのようにある。
<幻戯の分 三番ソウ揉消木偶(後に替わり二間四面の幕に成る)、
乙女偶人(後に替り龍燈と成り火を点す)、唐児人形(後替り頭一尺
五寸のだるまに成る)、、略、、蝶の曲(蝶の作りものをいろいろに
はたらかせ、末に真の蝶をはなつ)>
17世紀後半からくり見世物が大繁盛となったころ、からくり師山本飛騨掾
が遣った人形の一種で「手妻人形」というのがあり、胴体のなかにしかけた
ぜんまいで動くようになっていたのが特徴。こうした人形による芝居は
「からくり浄瑠璃」と呼ばれていた。
記事:明治の人形劇海を渡った大曲芸団の記録と当時の演芸事情
高野廣八の曲芸団の中で隅田川浪五郎という人物が「てづま」を
行っているがそれがどうも人形らしい。「武江年表」にある<芸の目録>
のなかにつぎのようにある。
<幻戯の分 三番ソウ揉消木偶(後に替わり二間四面の幕に成る)、
乙女偶人(後に替り龍燈と成り火を点す)、唐児人形(後替り頭一尺
五寸のだるまに成る)、、略、、蝶の曲(蝶の作りものをいろいろに
はたらかせ、末に真の蝶をはなつ)>
17世紀後半からくり見世物が大繁盛となったころ、からくり師山本飛騨掾
が遣った人形の一種で「手妻人形」というのがあり、胴体のなかにしかけた
ぜんまいで動くようになっていたのが特徴。こうした人形による芝居は
「からくり浄瑠璃」と呼ばれていた。