初老初級ジャグラーの日記です。
ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。
技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:大衆芸能―その歩みと芸人たち
著者:高橋博
出版社: 教育史料出版会 (1980/11)
ASIN: B000J82CYK
[目次]
・大衆芸能とは-まえがきにかえて
・序 大衆芸能の起源
門付け/見世物/江戸時代における発展
・落語
オトシバナシ/落語の起り/辻噺と落語/烏亭えん馬と"噺の会"
寄席の始まりと可楽十哲/円朝の出現と寄席の四天王/落語研究会の誕生
・講談
講釈と講談/文耕と馬谷/化政期の講釈師たち/明治の講談界/講談さまざま
講釈師ただいま24人/講談の明日
・浪曲=浪花節
ちょんがれ・ちょぼくれ/大道芸としての浪花節/寄席への進出と浪花節の地位
雲右衛門の功罪/浪曲=浪花節の可能性と未来
・漫才
漫才の源流-三河萬歳/萬歳から漫才へ/エンタツ・アチャコ
戦後の漫才師たち/現代漫才師気質
・大衆芸能
なぜ大衆なのか/曾我廼家劇/浅草オペラ/第二の喜劇/移動演劇/戦後の大衆演劇
・色物
色物とは/太神楽/奇術/声色
・寄席今昔
寄席の発生/大衆娯楽の発展と寄席/庶民の変化と寄席の衰退
・あとがき
・資料・寄席のことば
各種大衆芸能の起源とその成長の歴史が書かれていておもしろい。
思わず読みふけってしまった。
「大衆芸能」という言葉は、文部省が昭和21年にはじめた「芸術祭」に
「大衆芸能部門」が加えられた時にはじめて用いられた言葉らしい。
もっとも「大衆芸能部門」が加わったのは昭和24年、関係者の中に
「大衆芸能は芸術にあらず」と考える人が多かったから!
浪曲が芸術祭に参加したいと希望したとき、文部省は認めないと言い出した。
「理由は、芸術祭のなんとも些少な費用をまかなう大蔵省が、浪曲のような
ものが参加するなら金は出さないという話なのだ。これには大衆芸能部門の
委員は揃って激怒した。」
そりゃー激怒するよね。
日本の芸能でもっとも古い形式による「門付け芸」は、万葉の昔に「ほかいびと」が
行ったものとされている。
「ほかいびと」に「乞食者」という漢字をあてられているが、奈良時代には
「いわいびと」という意味だったそうだ。もっとも当時の「乞食」に現在の
意味はなかった。
浪曲は願人坊主が歌ったちょんがれ、山伏のデレロン祭文、阿呆陀羅経、説教等
を取り入れて発生。豪華な屏風にテーブル掛けというスタイルを生み出したのは
明治40年の雲右衛門、スーパースターがこのジャンルを作ったのね。
大衆演劇は、俄や茶番から出て松竹新喜劇へとつながる喜劇、浅草オペラから
ミュージカル、剣劇、移動演劇、などがあったが、昭和23年帝都座ショー
としてストリップが出現したことによりほとんどが劇場を失った。
昭和26年に大資本のもとに始めた帝劇ミュージカルは当初は好調だったが、
すぐに暗礁に乗り上げた。しかしブロードウェイ翻訳もので復活!
太神楽に関しては、色物の項の中に、江戸太神楽十三番の紹介、傘の曲の口上、
そしてどんつくの紹介が書かれていた。
色物は芸だけでの世界ではなく、珍しいもの、不思議なもの、怖いものでも
同じように通用した。そのため、一寸法師、蜘蛛女、大女、惨劇に巻き込まれて
両腕を切断された芸妓、説教強盗、覗きの出歯亀までなんでもありだった。
ミュージカルChicagoの世界そのまんま、ロキシーとヴェルマも色物だったのですね。
著者:高橋博
出版社: 教育史料出版会 (1980/11)
ASIN: B000J82CYK
[目次]
・大衆芸能とは-まえがきにかえて
・序 大衆芸能の起源
門付け/見世物/江戸時代における発展
・落語
オトシバナシ/落語の起り/辻噺と落語/烏亭えん馬と"噺の会"
寄席の始まりと可楽十哲/円朝の出現と寄席の四天王/落語研究会の誕生
・講談
講釈と講談/文耕と馬谷/化政期の講釈師たち/明治の講談界/講談さまざま
講釈師ただいま24人/講談の明日
・浪曲=浪花節
ちょんがれ・ちょぼくれ/大道芸としての浪花節/寄席への進出と浪花節の地位
雲右衛門の功罪/浪曲=浪花節の可能性と未来
・漫才
漫才の源流-三河萬歳/萬歳から漫才へ/エンタツ・アチャコ
戦後の漫才師たち/現代漫才師気質
・大衆芸能
なぜ大衆なのか/曾我廼家劇/浅草オペラ/第二の喜劇/移動演劇/戦後の大衆演劇
・色物
色物とは/太神楽/奇術/声色
・寄席今昔
寄席の発生/大衆娯楽の発展と寄席/庶民の変化と寄席の衰退
・あとがき
・資料・寄席のことば
各種大衆芸能の起源とその成長の歴史が書かれていておもしろい。
思わず読みふけってしまった。
「大衆芸能」という言葉は、文部省が昭和21年にはじめた「芸術祭」に
「大衆芸能部門」が加えられた時にはじめて用いられた言葉らしい。
もっとも「大衆芸能部門」が加わったのは昭和24年、関係者の中に
「大衆芸能は芸術にあらず」と考える人が多かったから!
浪曲が芸術祭に参加したいと希望したとき、文部省は認めないと言い出した。
「理由は、芸術祭のなんとも些少な費用をまかなう大蔵省が、浪曲のような
ものが参加するなら金は出さないという話なのだ。これには大衆芸能部門の
委員は揃って激怒した。」
そりゃー激怒するよね。
日本の芸能でもっとも古い形式による「門付け芸」は、万葉の昔に「ほかいびと」が
行ったものとされている。
「ほかいびと」に「乞食者」という漢字をあてられているが、奈良時代には
「いわいびと」という意味だったそうだ。もっとも当時の「乞食」に現在の
意味はなかった。
浪曲は願人坊主が歌ったちょんがれ、山伏のデレロン祭文、阿呆陀羅経、説教等
を取り入れて発生。豪華な屏風にテーブル掛けというスタイルを生み出したのは
明治40年の雲右衛門、スーパースターがこのジャンルを作ったのね。
大衆演劇は、俄や茶番から出て松竹新喜劇へとつながる喜劇、浅草オペラから
ミュージカル、剣劇、移動演劇、などがあったが、昭和23年帝都座ショー
としてストリップが出現したことによりほとんどが劇場を失った。
昭和26年に大資本のもとに始めた帝劇ミュージカルは当初は好調だったが、
すぐに暗礁に乗り上げた。しかしブロードウェイ翻訳もので復活!
太神楽に関しては、色物の項の中に、江戸太神楽十三番の紹介、傘の曲の口上、
そしてどんつくの紹介が書かれていた。
色物は芸だけでの世界ではなく、珍しいもの、不思議なもの、怖いものでも
同じように通用した。そのため、一寸法師、蜘蛛女、大女、惨劇に巻き込まれて
両腕を切断された芸妓、説教強盗、覗きの出歯亀までなんでもありだった。
ミュージカルChicagoの世界そのまんま、ロキシーとヴェルマも色物だったのですね。
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