初老初級ジャグラーの日記です。
ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。
技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:江戸の生業事典
著者:渡辺信一郎
出版社: 東京堂出版 (1997/05)
ISBN-10: 4490104537
内容:(「MARC」データベースより)
馬糞掻きや玉子売り等の行商、大工や縫箔師等の職人、蛇遣いや曲屁等の大道芸、さらに武士が顧客の質屋や蔵宿など、江戸の生業の実体を、当時の川柳から明らかにし、庶民の生活ぶりを再現。
江戸時代の庶民の有様を川柳でひもといたかなり面白い本。
「川柳江戸行商」「江戸の生業」がベース。
ただし士農、売春業に関しては省いてある。
大道芸関係でも、粟餅曲搗き、易者、傀儡師、角兵衛獅子、
軽業師、曲独楽(居合抜き)、曲馬乗り、曲屁、芥子之助(手品師)、
猿回し、太神楽、茶筅売り、辻八卦(人相見・手相見)、手妻使い(品玉師)
鳥追、百眼、蛇遣い(それ吹けやれ吹け)、卜者、豆蔵、三河萬歳、
厄払い、読売り、などが掲載されている。
太神楽は扱いが大きく、約3ページわたって説明や川柳が掲載されている。
川柳を読んでいるとその当時の風景が浮かんでくるようだ。
たくさんの川柳があるのだが、曲芸に関する一部を見てみると。。
・太神楽壱合ほどの雨を乞い(宝十一義3、1761)
・ちょっとした雨を降らせる太神楽(二六12, 1796)
・時ならぬ曲水をする太神楽(三七24,1807)
・村雨を丸く降らせる太神楽(五四16,1811)
18世紀のなかごろからすでに水芸が太神楽に取り入れられて
いたのがわかる。丸く降らせるところをみると水雲井の曲
ないしは類似の芸だろう。
・満足に玉子を仕舞う太神楽(二六9,1796)
これって大昔から玉子落としをやっていたということ?
それとも玉子の傘回し?
・二番目に粟餅を出す太神楽(一三ニ31,1834)
粟の曲搗きが芸の中にはいっていたのだろう。
・太神楽鼻の下まで働かせ(安四叶2,1775)
・太神楽鼻の額へ丹羽の紋(一三ニ28,1834)
顔の上での立物だろう。丹羽家の紋というと交差した棒なので
お染久松通いの鞠のことかもしれない。
・太神楽どんと打ってはひょいと投げ(天四宮1, 1874)
太鼓の曲打ちそのもの。
・太神楽おまけに腰を一つ振り(明ニ礼6,1765)
・太神楽撥を勃やして笑わせる(明ニ仁5,1765)
庶民には下ネタが受けるというやつだろうか。
この時代はむかしむかし物語よりもだいぶ後なので
より好色になっていてもおかしくない。
曲芸が実際に行われていた年代が特定できたのは、とても
興味深い。こういう庶民の記録をたどればより多くのことが
見えてくるかもしれない。
著者:渡辺信一郎
出版社: 東京堂出版 (1997/05)
ISBN-10: 4490104537
内容:(「MARC」データベースより)
馬糞掻きや玉子売り等の行商、大工や縫箔師等の職人、蛇遣いや曲屁等の大道芸、さらに武士が顧客の質屋や蔵宿など、江戸の生業の実体を、当時の川柳から明らかにし、庶民の生活ぶりを再現。
江戸時代の庶民の有様を川柳でひもといたかなり面白い本。
「川柳江戸行商」「江戸の生業」がベース。
ただし士農、売春業に関しては省いてある。
大道芸関係でも、粟餅曲搗き、易者、傀儡師、角兵衛獅子、
軽業師、曲独楽(居合抜き)、曲馬乗り、曲屁、芥子之助(手品師)、
猿回し、太神楽、茶筅売り、辻八卦(人相見・手相見)、手妻使い(品玉師)
鳥追、百眼、蛇遣い(それ吹けやれ吹け)、卜者、豆蔵、三河萬歳、
厄払い、読売り、などが掲載されている。
太神楽は扱いが大きく、約3ページわたって説明や川柳が掲載されている。
川柳を読んでいるとその当時の風景が浮かんでくるようだ。
たくさんの川柳があるのだが、曲芸に関する一部を見てみると。。
・太神楽壱合ほどの雨を乞い(宝十一義3、1761)
・ちょっとした雨を降らせる太神楽(二六12, 1796)
・時ならぬ曲水をする太神楽(三七24,1807)
・村雨を丸く降らせる太神楽(五四16,1811)
18世紀のなかごろからすでに水芸が太神楽に取り入れられて
いたのがわかる。丸く降らせるところをみると水雲井の曲
ないしは類似の芸だろう。
・満足に玉子を仕舞う太神楽(二六9,1796)
これって大昔から玉子落としをやっていたということ?
それとも玉子の傘回し?
・二番目に粟餅を出す太神楽(一三ニ31,1834)
粟の曲搗きが芸の中にはいっていたのだろう。
・太神楽鼻の下まで働かせ(安四叶2,1775)
・太神楽鼻の額へ丹羽の紋(一三ニ28,1834)
顔の上での立物だろう。丹羽家の紋というと交差した棒なので
お染久松通いの鞠のことかもしれない。
・太神楽どんと打ってはひょいと投げ(天四宮1, 1874)
太鼓の曲打ちそのもの。
・太神楽おまけに腰を一つ振り(明ニ礼6,1765)
・太神楽撥を勃やして笑わせる(明ニ仁5,1765)
庶民には下ネタが受けるというやつだろうか。
この時代はむかしむかし物語よりもだいぶ後なので
より好色になっていてもおかしくない。
曲芸が実際に行われていた年代が特定できたのは、とても
興味深い。こういう庶民の記録をたどればより多くのことが
見えてくるかもしれない。
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