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初老初級ジャグラーの日記です。 ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。 技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:韓国サーカスの生活誌―移動の人類学への招待
著者:林 史樹
出版社: 風響社 (2007/10)
ISBN-10: 4894891174



韓国サーカスに入団してのフィールドワークを通しての胃サーカス生活の記録と、移動
する集団というものの組織構造や移動ということが人々に与える影響の分析。
元々が東京外国語大大学院修士論文が土台となっている。
サーカスはそもそも研究対象になっていない。サーカスの定義自身が難しく、ここでは
「公演のプログラムを持ち、仮設あるいは常設の劇場で曲芸を見せて、その対価として
の観覧料をとる組織集団」、くわえて「イメージとしての西洋で誕生した形態を継承し
たとかんがえられる見世物集団」という付帯条件がつく。
朝鮮半島にはじめてはいったサーカス団は日本人のものらしいが、日本のサーカス団が
いつどこにはいったかということははっきりしていない。同様に韓国(朝鮮)人による
最初のサーカス団もはっきりしない。1930年前後に韓国人の手によってつぎつぎとサー
カス団ができていることは確か。
1955ー65あたりが最盛期だったようで、10を越えるサーカス団ああった。60年代
後半から「魔術団」と呼ばれる団体が興業をはじめた。魔術団は手品師を中心とし軽業
も行っていた。魔術団はサーカス団が所有していたものの他、逆にサーカス団の前身と
なったものもある。魔術団とサーカス団の間を行き来する芸人も多く関係は緊密であっ
た。70年後半から人気が下降、それでも80年代初めまでは公演時間も3時間ほどでひと
つの演目も長かった。90年になるとサーカスの規模も縮小し、団体数も4ー5団体になっ
てしまう。91年10月に児童福祉法違反の疑いでサーカスに一斉捜査がはいった。15歳に
ならない少年少女を舞台に上げていた韓国のサーカス団団長、両親などは禁固刑を受け
た。
韓国サーカスには、専門用語において非常に多くの日本語の形跡がのこっている。コヤ、
マルタゴヤ、ハリ、アシバ、アンドン、イチリン(一輪車)、ウチアゲ、オオカンバン、
オヤジ、カーサ(傘回し)、キド(木戸)、シンマイ、シマイ(終い)、タテカンバン、
チラシ、ハリガネ(針金渡り)、ベニタ(ベニヤ板)、ピン(ピンハネ)、など。
韓国のサーカスで行われている曲芸の大半は日本からはいったものであり、綱渡り、足
芸、肩芸が主流である。
伝統的な移動芸能集団としては、男子だけで構成され、軽業が多い男寺党と女性を中心
に編成され歌や踊りが中心であった寺党がある。かれらは30ー50名単位で移動を繰り返し
ており、村の許可をえてはじめて1日だけの公演が許され、わずかな路銀を得たといわれ
ている。昼間は技芸を見せる男寺党や寺党も日が暮れると前者は稚児が男色を、後者は
女子が春を売ったとされている。
男寺党が主に演じていたのは、農楽、皿回し、トンボ返り、綱渡り、仮面劇、人形劇で
ある。皿回し、トンボ返り、綱渡りはサーカスでも見られるが、内容については子とな
りを見せており、サーカス芸との直接的な関係はほとんどない。
とんぼ返りはシンプルなもので、組体操のようなものはない。韓国サーカスでは「クァ
ンデ(広大)」と呼ばれる扇でバランスをとって行う綱渡りがあり、これが男寺党の名
残をとどめる唯一の曲芸である。韓国サーカスでの綱渡りの主流は「カンス(パイプを
もってわたる)」「ハリガネ(素手または傘でバランスをとってわたる)」。
皿回しは男寺党では、茶碗や木製の皿を用いるのに対し、サーカスではプラスチック製
または陶器で作られた皿を用いている。演技においても、男寺党では1本のキセルの先
にもう1本キセルをたててその先で皿を回したり、皿を回したまま高く放り投げてキセ
ルの先で受けるという演技が中心となる。一方サーカスでは皿回しの棒としてとくに細
工を加えていない長細い棒を用い、同時に複数の皿を回したり、様々に難しい体勢をとっ
てみせるといった演技が中心となる。
「クァンデ」さえも実際にそれを行う曲芸師はサーカスにほとんどいない。
1940年以降は日本の植民地政策上、より管理しやすいが残っていった、伝統的な芸能集
団がなくなり、日本的なサーカスのみが生き残った。韓国サーカスは従来の移動芸能集
団を受け入れる基盤のもとに受け入れられ支持された。それと共に移動芸能集団のイメ
ージも引き継いでしまった。
94ー95の調査当時において韓国の移動サーカス団は4団体、規模は20ー30名前後。調査を
行ったDサーカス団で、構成員の総数は20名から35名、仮に構成員を30名とすると曲芸
師が12名、雑用係が8名、妻子・団長など曲芸にも雑用にも加わらない者が10名という
内訳になる。
韓国サーカスの公演地は、各地方で行われる「郷土祭」のイベント会場、もうひとつ
は主に地方都市の開発予定地やビル建設予定地である。収益は前者が多い。
椅子レンタルや物販といった入場量以外の収入はそれを管理する者の収入となり、そ
の代わり給料を、もらわない。こういった給料以外の収入は「ワリ」と呼ばれる。
給料に関しては長時間労働の割には安いという不満が多い。ただし住居費と食費はか
からない。
当時20代前半の曲芸師はサラリーマンより少し上の賃金、40代だと少し下になる。た
だし福利厚生や保険、労災、賞与などが異なる。また曲芸をしない下回りは5割から6
割の収入となる。
夏で13時間、冬で8時間が拘束時間、実際には休憩がはいるため、労働時間は8時間、
6時間程度である。
メディアの報道姿勢としてはサーカスを「消えゆく存在、郷愁を呼ぶもの」としてい
るものが多く、サーカスに対する偏見を助長している。サーカスのイメージは「哀愁」
「浮草」。1976年に韓水山が「浮草」というタイトルでサーカスの天幕の下を舞台と
して書いた小説がヒットし、映画化され、サーカス=浮草というイメージが定着して
いった。韓国において芸能が高く評価されることは久しくなかったが、1970年代から
の高度成長により国力をつけた韓国では自国「固有」の芸能を再評価しようという気
運が高まってくる。男寺党やパンソリ謡をはじめとして「韓国的」とみなされた芸能
は重要文化財という地位を与えられたが、「韓国的」な要素を持たず従来のままに捉
えられていたのが韓国におけるサーカスであった。団長を継承する際、団員と結婚す
る際、に家族から強い反対を受けた。サーカスに従事していることを他人に知られな
いようにしている者も多い。
サーカスにおいては、
労働力が常に不足しているため、誰でも受け入れる。
入る理由は、そこで生まれた・親が連れてきた、曲芸とサーカスの生活にあこがれた、逃げてきた。
出ていく理由は、人間関係悪化、劣悪な雇用条件(低賃金、居住・労働環境)、追っ手がきた。

誰でも代わりがいる下回りは安く使い、代わり手がなかなかいない芸人は高給ということで
集団を形成している。また人間関係が悪化したときに、集団から離れることで危機を回避している。
移動するが故に、ものを持たず、ものを持たない故に移動しやすくなる。

サーカス団が憧れになる。
サーカスの演目は、マジック、ブランコ、肩芸、足芸、軟体、組体操、針金渡り、動物芸、ジャグリング、綱渡り、空中ブランコ。
曲芸師は各種の芸ができ、誰かが舞台に立てない時に互いに補完する役割をもつ。
移動に関する時間感覚が違う
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