初老初級ジャグラーの日記です。
ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。
技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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題名:むかしむかし物語
著者:新見正朝
作成時期:享保年間(1716が享保元年)
飛鳥川、己往物語、翁物語、中古風俗集、八十翁昔物語などの
題名でも知られている。写本なので本文にも多少の異同がある。
この物語は80歳になる著者が70年以上も昔のことを思い出して
書き記したもの。慶長より寛文、延宝に至るまでの江戸の風俗
の記載がある。この物語は次の本に掲載されている。
書名:近世風俗見聞集第一
著者:国書刊行会編
出版社:国書刊行会
出版年:大正元年(1912年)8月(1970年に復刻)
この本の緒言によると新見正朝は享保2年(1717)3月31日没と
あるのだが、Web上の情報では享保7年(1722)にこの本が書かれた
という記述が見受けられる。
また大学図書館の典拠詳細でも新見正朝は1651-1742 となっている。
http://opac.lib.meiji.ac.jp/cgi-bin/exec_cgi/iatydet.cgi?CGILANG=japanese&U_CHARSET=utf-8&MENUHTML=imenu.html&ID=AU00170523
さて実際に書かれた年度は??
太神楽について記述のある部分を引用する。
--ここから
七十年以前の昔は、太神宮御祓大神楽とて、毎日江戸中徘徊し
歩行し有様、先儀式正しくして、先へ鼻高き面を被りたる者、
直垂を着白袴着し御幣を持て立、その次に十四五歳計なる男子を
美しく作り、瓔珞をかぶり、長絹を着せ、白袴着し中啓の扇子、
右に鈴を持歩む、三番に麻上下を着たる男箱を持、四番に布衣
装束たる者、其次に四つ足付たる長持蓋をゐをのけて、其上に
獅子の頭を直し、中に大太鼓をおき、一萬度の御祓真中に立て
御幣を立、此長持舁四人か六人にて、舁かづくものも烏帽子着
て白丁を着し、白きくくり袴を着て、はやし方左右に附、笛小
鼓大鼓小つづみ打、どひやうし打合替たる時、右のやうらくか
ぶりたる舞子神楽を舞、次第に拍子急に詰る、誠にしんしんと
して感にたへる計也、其内の興にどうけ人の笑ため、大太鼓打
烏帽子左右へ筋違にかぶり、道化にして見物輿に入、扨近年江
戸中徘徊の太神楽と云は、人柄至極浮気に見へたる、歌舞伎者
の装束のことは思いも寄らず、大白衣大廣袖など、木綿布幅広
の帯して、尻の皺なく著て、大自堕落のうわき者共大脇ざし差、
尤大太鼓小だいこ笛は吹け共、せうが小うた節に合せて吹、獅
子頭は持共、是をかぶりて色々好色の興に、小歌狂言のみにて、
獅子を馬にして悪所通ひの狂言抔に移し、若き男女の気をそそ
り立様に道化下女下男に面白がらするのみを仕組、たは事不道
の言葉を尽す、是にて神楽の専ん有るべきや、神も御悦あるべ
きや、
--ここまで
前半部分が70年前、後半部分が現在についての描写となっている。
老人による70年前の話を信用するとすれば、太神楽の一行は、、
・先頭:御幣を持った鼻高面の男
・2番目:14~15歳の男に瓔珞・長絹・
白袴着せて(女装?)扇子と鈴を持たせる(巫女?)
・3番目:麻裃で男箱を持つ(男箱ってなにもの?)
・4番目:布衣装束
・5番目:足がついた長持を4-6人で持つ
長持上に獅子頭・大太鼓・御幣・一万度御祓・御幣がある
・左右:楽団(笛・小鼓・大鼓・小つづみ・どひやうし)
道化が太鼓をたたく
当時の太神楽は、、
・歌舞伎役者以上の浮気者?
・大白衣大廣袖木綿布幅広帯で大脇ざし差
・大太鼓小だいこ笛で演奏
・獅子頭を被って好色な狂言をする
・獅子を馬に見立てて悪所(遊郭)通いの狂言で若者や下男下女に受ける
老人の昔はよかった調の文章であることは間違いないが、時代が経つに
つれて宗教的色彩が減り、より一般大衆に受けるような芸態に変わった
のだと思われる。当時に御幣が見えないのは、神事であることがあまり
重要視されなくなったのか?悪所通いは今の伊勢大神楽でいうところの
魁曲なのか?
少年の女装巫女と大脇ざしの浮気者ってカブキかたとしては良い勝負
だと思うのだけれどどうなんだろう?
著者:新見正朝
作成時期:享保年間(1716が享保元年)
飛鳥川、己往物語、翁物語、中古風俗集、八十翁昔物語などの
題名でも知られている。写本なので本文にも多少の異同がある。
この物語は80歳になる著者が70年以上も昔のことを思い出して
書き記したもの。慶長より寛文、延宝に至るまでの江戸の風俗
の記載がある。この物語は次の本に掲載されている。
書名:近世風俗見聞集第一
著者:国書刊行会編
出版社:国書刊行会
出版年:大正元年(1912年)8月(1970年に復刻)
この本の緒言によると新見正朝は享保2年(1717)3月31日没と
あるのだが、Web上の情報では享保7年(1722)にこの本が書かれた
という記述が見受けられる。
また大学図書館の典拠詳細でも新見正朝は1651-1742 となっている。
http://opac.lib.meiji.ac.jp/cgi-bin/exec_cgi/iatydet.cgi?CGILANG=japanese&U_CHARSET=utf-8&MENUHTML=imenu.html&ID=AU00170523
さて実際に書かれた年度は??
太神楽について記述のある部分を引用する。
--ここから
七十年以前の昔は、太神宮御祓大神楽とて、毎日江戸中徘徊し
歩行し有様、先儀式正しくして、先へ鼻高き面を被りたる者、
直垂を着白袴着し御幣を持て立、その次に十四五歳計なる男子を
美しく作り、瓔珞をかぶり、長絹を着せ、白袴着し中啓の扇子、
右に鈴を持歩む、三番に麻上下を着たる男箱を持、四番に布衣
装束たる者、其次に四つ足付たる長持蓋をゐをのけて、其上に
獅子の頭を直し、中に大太鼓をおき、一萬度の御祓真中に立て
御幣を立、此長持舁四人か六人にて、舁かづくものも烏帽子着
て白丁を着し、白きくくり袴を着て、はやし方左右に附、笛小
鼓大鼓小つづみ打、どひやうし打合替たる時、右のやうらくか
ぶりたる舞子神楽を舞、次第に拍子急に詰る、誠にしんしんと
して感にたへる計也、其内の興にどうけ人の笑ため、大太鼓打
烏帽子左右へ筋違にかぶり、道化にして見物輿に入、扨近年江
戸中徘徊の太神楽と云は、人柄至極浮気に見へたる、歌舞伎者
の装束のことは思いも寄らず、大白衣大廣袖など、木綿布幅広
の帯して、尻の皺なく著て、大自堕落のうわき者共大脇ざし差、
尤大太鼓小だいこ笛は吹け共、せうが小うた節に合せて吹、獅
子頭は持共、是をかぶりて色々好色の興に、小歌狂言のみにて、
獅子を馬にして悪所通ひの狂言抔に移し、若き男女の気をそそ
り立様に道化下女下男に面白がらするのみを仕組、たは事不道
の言葉を尽す、是にて神楽の専ん有るべきや、神も御悦あるべ
きや、
--ここまで
前半部分が70年前、後半部分が現在についての描写となっている。
老人による70年前の話を信用するとすれば、太神楽の一行は、、
・先頭:御幣を持った鼻高面の男
・2番目:14~15歳の男に瓔珞・長絹・
白袴着せて(女装?)扇子と鈴を持たせる(巫女?)
・3番目:麻裃で男箱を持つ(男箱ってなにもの?)
・4番目:布衣装束
・5番目:足がついた長持を4-6人で持つ
長持上に獅子頭・大太鼓・御幣・一万度御祓・御幣がある
・左右:楽団(笛・小鼓・大鼓・小つづみ・どひやうし)
道化が太鼓をたたく
当時の太神楽は、、
・歌舞伎役者以上の浮気者?
・大白衣大廣袖木綿布幅広帯で大脇ざし差
・大太鼓小だいこ笛で演奏
・獅子頭を被って好色な狂言をする
・獅子を馬に見立てて悪所(遊郭)通いの狂言で若者や下男下女に受ける
老人の昔はよかった調の文章であることは間違いないが、時代が経つに
つれて宗教的色彩が減り、より一般大衆に受けるような芸態に変わった
のだと思われる。当時に御幣が見えないのは、神事であることがあまり
重要視されなくなったのか?悪所通いは今の伊勢大神楽でいうところの
魁曲なのか?
少年の女装巫女と大脇ざしの浮気者ってカブキかたとしては良い勝負
だと思うのだけれどどうなんだろう?
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