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初老初級ジャグラーの日記です。 ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。 技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:芸能の人類学
著者:姫野 翠
出版社: 春秋社 (1989/10)
言語 日本語
ISBN-10: 4393424514
目次:
第1章 呪術から芸能へ(呪術と芸能、芸能をになった人々)
第2章 芸能に見る東と西(舞踊の展開、東の音楽・西の音楽)
第3章 これからの芸能

42-43P
呪術は本来<他目的的>な行為である。「雨乞い」は「雨を降らせる」
ために行われる。しかしこの<他目的的>という性格は脱落しやすい。
科学の進歩で自然の神秘が解明されると呪術の出番が少なくなる。
それで呪術がなくなるかというとそうではなく、本来的な目的だけ
が脱落してしまい、プロセスとしての行為のみが残る場合が多い。
他目的的機能が失われて、行為自体が目的となってしまう。
「歌う」「踊る」「演技」することが目的になれば、それはもう
芸能である。
皮肉なことに「目的のはがれやすさ」は呪術それ自体の中に存在する。
「呪術で良い結果を得る」ために同じプロセスで行為をなさねばならず、
同じプロセスというところに焦点が移ると、そのこと自身が目的と化して
しまう。

50P
では芸能は呪術と全く違ったものになるかというとそうではない。芸能
においても演者と観客はともに現実から離脱した時間空間に入り、
目に見えない形での相互の交流によって、非日常的な一種の興奮状態を
共有していく。これは呪術において観られる構造と同じ。

82P
漢代(206BC-220AD)に百戯(または雑戯)が生まれ、それが奈良時代に
散楽として日本に導入され、宮廷戯として伝承される一方、民間にも
伝えられて今日の大神楽で行われる数々の曲芸の基になった。

83P
中国南西部広西壮族自治区の十万大山の南側に住む壮族の間で用いら
れている天琴という撥奏リュートはもともと天吧(テンパ)という
プロ芸人の楽器だったらしい。
天吧、伊勢大神楽、韓国の男寺党は皆、村へはいると各家ごとに御祓
いをして、その後広場で本格的な芸を披露していた。

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