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初老初級ジャグラーの日記です。 ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。 技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:サーカスと革命―道化師ラザレンコの生涯
著者:大島幹雄
出版社: 平凡社 (1990/04)
ISBN-10: 4582373062
内容(「BOOK」データベースより)
20世紀初頭、ロシアは革命という大きな激動の中にあった。この時期に
「赤い道化師」と呼ばれ、煽動者として革命の先頭に立ち、民衆の絶大
な支持を受けたサーカス芸人ヴィターリイ・ラザレンコ。〈行為におけ
る詩人〉として生きた道化師の生涯を丹念に追い、メイエルホリド、マ
ヤコフスキイら同時代芸術家たちとの実験的・挑発的ないとなみと、革
命期の見世物小屋にこだました歓声と呵呵大笑を、臨場感に富む筆致で
描き切る。当時ロシアを巡業した日本人曲芸師「タカシマ」や「カマキ
チ」らの謎につつまれた足跡も追う。

目次:
プロローグ 一九八九年春、マヤコフスキイ広場

第一章 革命と道化師
 一 黄色いジャケットと道化師
  世界ではじめて象三頭を跳び越えた男/ドンバスの坑夫の息子/道化師の最初のレッスン/
  ドゥーロフとの出会い/ニキーチン・サーカスと契約する/未来派とサーカス/カメンスキイとラザレンコ
 二 それぞれの二月
  一九一七年二月、ペトログラード/革命へのジャンプ-ラザレンコの二月/革命と道化師
 三 サーカスの家
  〈サーカスの家〉の誕生/テオ・サーカス課/ルナチャルスキイとラザレンコ/メイエルホリドのモスクワ帰還

第二章 メイエルホリド、マヤコフスキイとともに
 一 『ミステリア・ブッフ』の上演
  メイエルホリドからの誘い/革命祝祭劇『ミステリア・ブッフ』/サーカスの壁のなかのミニアチュール/
  『ミステリア・ブッフ』の大成功
 二 詩人と道化師
  パイナップルと赤かぶ/〈ロスタの窓〉と『ソビエトのアルファベット』/『階級闘争世界レスリング選手権』
 三 前線へ
  アジ・サーカス結成/一九一八年-南方戦線へ/道化師軍団のなかで

第三章 サーカスは陽気なサナトリウム
 一 ラザレンコの孤立
  モスクワを遠く離れて/ルカヴィーシニコヴァとの闘い/詩集『メーキャップの染み』
 二 道化のモンタージュ
  『賢人』を観る/『賢人』のなかのサーカス/エイゼンシュテインとサーカス
 三 セルジュと〈四匹の悪魔〉
  生粋のサーカス芸人セルジュ/〈四匹の悪魔〉誕生/革命とセルジュ
 四 一九一九年、ペトログラード
  酷寒と餓えのなかで/新世代の登場
 五 演劇のサーカス化
  演劇とサーカスの融合/『最初の酒つくり』
 六 民衆喜劇座のサーカス喜劇
  民衆喜劇座の誕生/ラドロフと民衆演劇/『死の花嫁』と『猿は密告者』/
  『スルタンと悪魔』と日本人曲芸師タカシマ/タカシマ伝説/海を渡った日本の芸人/民衆喜劇座の解散
 七 フェクスの冒険
  エクスツェントリズム演劇/『結婚』で演じるセルジュ/サーカスとアヴァンギャルド

第四章 最後の闘い
 一 劇団〈青シャツ〉
  辺境の旅人/〈生きた新聞〉から〈青シャツ〉へ/〈青シャツ〉とラザレンコ/若きユーモア作家とともに
 二 『マフノ党』
  蘇ったラザレンコ/『マフノ党』の成功
 三 ロシア・アヴァンギャルドの最後の闘い
  内なる敵を撃つ/『南京虫』とサーカス/ラップの猛威のなかで/
  『モスクワは燃えている』とマヤコフスキイ最後の闘い/アリーナへの憧憬

第五章 ラスト・ステージ
 一 道化師最後の仕事
  一九三〇年のラザレンコ/民衆の道化師/未完の道化師論/
 二 ラスト・ステージ
  最後のパレード/道化師の死とメイエルホリドの逮捕

あとがき
文献一覧
索引






ラザレンコの半生を通して、社会主義リアリズムに圧殺されたロシア
アバンギャルド活動を描いている。革命当時のロシアサーカスとアバン
ギャルドとの関わり合いが興味深い。革命前は風刺によって政治活動
を行っていたサーカスが、革命当初は革命政府によって支持も
されていたのね。でも政府担当者が変わることで弾圧されるようになる。
そのまま発展していれば、今頃私は毎年モスクワ詣でをすることになって
いたかもしれない。
日本人の芸人については138ページから148ページについて記述がある。
--要約--
民衆喜劇座で上演された「スルタンと悪魔」において王子役のタカシマ
の演技は絶賛されていた。演劇評論家のソロヴィヨーフによると
「銀の花柄のついた青いガウンを着たタカシマの演技は、われわれに
深い感動を与える、すばらしいものだった。彼は悲しげに舞台に立って
いる。日本語で話しながら、目にもとまらぬ早さで、小刀をあやつって
みせた。彼はまだわれわれが知らない、東洋のまぎれもない、みごとな
演劇芸術を披露してくれた。」
「タカシマ」は「タツノスケ」「マツノスケ」のふたりがいたらしい。
「タツノスケ」は松井源水とともに独楽回しの演技をしていた。
民衆喜劇座に出演したのは「マツノスケ」らしい。タカシマの名が
知れ渡ったのはエンリコラステリによるところが大きい。
「ジャグリングの四千年」によれば「ラステリの芸の発展を決定
づけたのは、ストレーペトフサーカスでのタカシマとの出会いであった。
この出会いは、彼が名声を得て、現代のボールジャグリングの手法を
確立する上でのキーポイントとなった」
1912-1914に「ヤマダサーカス」がロシアを巡業し、その中にタカシマ
も参加していた。1928年にレニングラードのサーカス博物館で開催
された「ジャグラー展」のカタログにも「タカシマ」の名前がある。
このときのポスターは一つ鞠を行っており、咥え撥の上に鞠を載せて
いる。
カマキチは民衆喜劇座の中心人物デリヴァリにバランス芸と足芸を
教えた。またナイフ投げで評判を得ていた。ロシア人妻を標的と
していた。
--
タカシマの資料の提供は日系サーカス芸人のゲオルギイ・イシヤマ氏。

また他にも興味深い話がある。エイゼンシュタインが「レフ」誌3号に
「アトラクションのモンタージュ」と題するエッセイを発表した。
彼は芝居の生命が「アトラクション」にあることを宣言した。
「アトラクションというのは演劇のあらゆる攻撃的契機のことだ。
つまり知覚する側に一定の情緒的ショックを与えるよう綿密に計算され
経験的にえりすぐられた、感覚的ないし心理的作用を及ぼす要素のことである」
「恣意的に選ばれたものでありながら、最終的には一定のテーマ上の
効果をもたらす独立した作用を自由にモンタージュすること、つまり
アトラクションのモンタージュの登場である。」
「モンタージュの学校は映画、そしておもにミュージックホール、
サーカスである。ほんとうのところ、すぐれた芝居をつくるとは、
戯曲の中心をなす状況から出発してミュージックホール的、サーカス的
一大プログラムを組むことにほかならないのだ」

サーカスに学ぶ映画作りはたいへん興味深い。

ラザレンコは道化師にたいして断片的なエッセイを発表し、現代の道化師
にとって作家や演出家との共同作業が不可欠であるという持論を展開
している。221P
「クラウンが少ない。なぜか。なによりもまずテキストが必要なのだ。
 テキストは現代に応じたものでなくてはならない。しかしここで
忘れてはならないことがある。芝居のために書かれた戯曲やモノローグ
を使うのは不可能であること、サーカスのために書かれたものでなく
てはならないということだ。。。略。。クラウンの仕事のアキレス腱。
それは演出家の不在である。。。略」

クラウンのテキストがあるのならば是非読んでみたいものだ。
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