初老初級ジャグラーの日記です。
ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。
技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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題名:家元ものがたり (中公文庫)
著者:西山 松之助
税込価格 : \378 (本体 : \360)
出版 : 中央公論社
サイズ : 文庫 / 286p
発行年月:1976年
概要:(裏表紙より)
剣道の新陰流・一刀流、水泳の水府流・小堀流など、相撲、砲術、万歳、幇間、庖丁、香道、盆石、河東節等の諸家元を取り上げて、実地探訪と
豊富な文献をもとに、日本固有の家元制度の実態とその独特な思想構造
を解き明かす興味あふれる読物。(裏面案内より)
昭和31年著、46年に改訂。家元たちへのインタビューなど
ドキュメンタリータッチで綴られている。
次のジャンルに関しての言及がある。
剣道、相撲、砲術、水泳、鷹匠、万歳、曲独楽、太神楽、幇間、
虚無僧、庖丁、香道、盆石、盆景・盤景、雅楽、下座音楽、河東節、
一中節、萩江節。
幇間や虚無僧にまで家元がいたとはびっくり。
剣道は実際に戦いがあるうちは一人一流であったけれど、
江戸時代中期になると本末転倒な瑣末な形式主義に堕落してしまう。
そうなると秘伝書とか免許状の形式などがうるさくなってきて、もっ
ともらしい故事来歴や技術に対する精神的な飾りつけが満艦飾のよう
に取り付けられるのである。
砲術は弾道学が秘伝となる。
盆石という石と砂で風景や人物を作り出す芸にも家元がいたとのこと。
これどんなものか見てみたい。
意外だったのはもっとも古い芸のひとつである雅楽において、
江戸時代はコンテスト(および投票)によって能率給を
決めていたということ。能力主義の時代を何百年も先取りしていた?
三河万歳として庶民に親しまれていたのは実は尾張万歳だったとのこと。
虚無僧は権現様のお墨付きを元に好き放題の特権を得ていたが、
実はそのお墨付きは偽書。もともと門付していた者たちが禅と結びついて
ギルドを作り上げていったというところらしい。
曲独楽はあまり家元という意識がなかったとのこと。
市井の太神楽熱が盛んであった から、どんつくが歌舞伎として上演
されるようになった。 どんつくの鞠の作り方も秘伝だったそうな。
初演以来どんつくが芝居にかかるときは必ず丸一の家元に挨
拶に行く。挨拶を受けると家元は舞台に出向いて俳優に太鼓の曲打ち
や籠鞠の秘伝を伝授する。
太神楽は江戸だけではなく各地に点在してお払いや門付けを行ってい
た。門付けで獅子がまわってくるとどこの家でも祝儀を出す。太神楽
に限らず一般の門付け芸では、人前で金勘定の話をしなければならな
いので隠語が用いられる。
茶番の掛け合いでも庶民の関心事を織り込むので人気。
第十代の鏡味仙太郎は偉大、10年ロンドン生活、パリやベルリンで
も興行、帰国した後は明治館を丸一の練習場として太神楽の曲芸を
後進に教えた。仙太郎は丸一の紋を改めるとか、獅子頭にシャグマの
毛を植えることにしたとか、傘の曲の番傘をカンレイシャの優美なも
のにしたとか、太神楽の伝統に新風を吹き込んだのである。
仙太郎氏の曲芸見てみたかったなーーー。
河東節の項の一節につぎのようにあった
---
「はめ」をはずさないで「はめ」をはずすとでもいうことをこの道では
「どうらくする」というが、やかましい格の中で越格の自由な美しさ
と情緒てんめんとした艶なるイキを語りだすことは、芸に遊ぶ名人の
技なのであろう
---
「どうらく」やってみたいものですねえ。
これに出てくるどの家元も基本的に貧乏、儲かることはない。
それゆえ後継者にも困るという状況。浪費に耐える人々が日本の芸を
継承してきたということなんですね。
ご苦労様です。
著者:西山 松之助
税込価格 : \378 (本体 : \360)
出版 : 中央公論社
サイズ : 文庫 / 286p
発行年月:1976年
概要:(裏表紙より)
剣道の新陰流・一刀流、水泳の水府流・小堀流など、相撲、砲術、万歳、幇間、庖丁、香道、盆石、河東節等の諸家元を取り上げて、実地探訪と
豊富な文献をもとに、日本固有の家元制度の実態とその独特な思想構造
を解き明かす興味あふれる読物。(裏面案内より)
昭和31年著、46年に改訂。家元たちへのインタビューなど
ドキュメンタリータッチで綴られている。
次のジャンルに関しての言及がある。
剣道、相撲、砲術、水泳、鷹匠、万歳、曲独楽、太神楽、幇間、
虚無僧、庖丁、香道、盆石、盆景・盤景、雅楽、下座音楽、河東節、
一中節、萩江節。
幇間や虚無僧にまで家元がいたとはびっくり。
剣道は実際に戦いがあるうちは一人一流であったけれど、
江戸時代中期になると本末転倒な瑣末な形式主義に堕落してしまう。
そうなると秘伝書とか免許状の形式などがうるさくなってきて、もっ
ともらしい故事来歴や技術に対する精神的な飾りつけが満艦飾のよう
に取り付けられるのである。
砲術は弾道学が秘伝となる。
盆石という石と砂で風景や人物を作り出す芸にも家元がいたとのこと。
これどんなものか見てみたい。
意外だったのはもっとも古い芸のひとつである雅楽において、
江戸時代はコンテスト(および投票)によって能率給を
決めていたということ。能力主義の時代を何百年も先取りしていた?
三河万歳として庶民に親しまれていたのは実は尾張万歳だったとのこと。
虚無僧は権現様のお墨付きを元に好き放題の特権を得ていたが、
実はそのお墨付きは偽書。もともと門付していた者たちが禅と結びついて
ギルドを作り上げていったというところらしい。
曲独楽はあまり家元という意識がなかったとのこと。
市井の太神楽熱が盛んであった から、どんつくが歌舞伎として上演
されるようになった。 どんつくの鞠の作り方も秘伝だったそうな。
初演以来どんつくが芝居にかかるときは必ず丸一の家元に挨
拶に行く。挨拶を受けると家元は舞台に出向いて俳優に太鼓の曲打ち
や籠鞠の秘伝を伝授する。
太神楽は江戸だけではなく各地に点在してお払いや門付けを行ってい
た。門付けで獅子がまわってくるとどこの家でも祝儀を出す。太神楽
に限らず一般の門付け芸では、人前で金勘定の話をしなければならな
いので隠語が用いられる。
茶番の掛け合いでも庶民の関心事を織り込むので人気。
第十代の鏡味仙太郎は偉大、10年ロンドン生活、パリやベルリンで
も興行、帰国した後は明治館を丸一の練習場として太神楽の曲芸を
後進に教えた。仙太郎は丸一の紋を改めるとか、獅子頭にシャグマの
毛を植えることにしたとか、傘の曲の番傘をカンレイシャの優美なも
のにしたとか、太神楽の伝統に新風を吹き込んだのである。
仙太郎氏の曲芸見てみたかったなーーー。
河東節の項の一節につぎのようにあった
---
「はめ」をはずさないで「はめ」をはずすとでもいうことをこの道では
「どうらくする」というが、やかましい格の中で越格の自由な美しさ
と情緒てんめんとした艶なるイキを語りだすことは、芸に遊ぶ名人の
技なのであろう
---
「どうらく」やってみたいものですねえ。
これに出てくるどの家元も基本的に貧乏、儲かることはない。
それゆえ後継者にも困るという状況。浪費に耐える人々が日本の芸を
継承してきたということなんですね。
ご苦労様です。
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