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初老初級ジャグラーの日記です。 ジャグリングを始めたのは2004年。ボールと傘を中心に投げたりまわしたりしてます。2005年1月にクラブを始めましたが、いまだに3クラブカスケードしかできません。花籠鞠、一つ鞠も始めましたが、まだ基本パターンもできません。 技の習得には通常言われている期間の4倍から5倍かかりますが、投げていること自体が好きなのでじわじわ続けています。
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書名:果てしなきサーカスの旅―国際サーカス村物語
著者:西田敬一
出版社: 現代書館 (2009/11)
ISBN-10: 476846999X
目次:
  序章 むこう岸のテントへ
  第1章 国際サーカス村構想
  第2章 雑技が語りかけてきた
  第3章 サーカス学校への道
  第4章 フール祭 挑戦と逃亡
  終章 踊る背中と独り相撲



48ページ
それはそれでいいとおもうが、クリニクラウンはクリニクラウンである。
それを目指す人は、そのプロになってほしいが、それをおこなうことがクラウンの必須条件ではない。病院でクリニクラウンとしての仕事をしないなら、そのクラウンが本物ではないというような考え方がうまれてくるようであっては本末転倒なのだ。そもそもクラウンのしぐさには、この世の常識を覆したり、あるいは愚かな行為の反復によって、この世には、自分たちが見過ごしている、価値観が違うかもしれない別の生き方、別の世界があることを暗示しているのだ。

50
1960年代末から始まった、あらゆる権力、規制の価値観に対する異議申し立ての運動は、ここ40年の間に日本ではほぼ窒息状態となる一方でかつてそのような運動を行っていた人々の多くが新たな文化装置の中に組み込まれてしまっている。そうした装置がやがて崩壊する一方、より強固なガードを固めた、さまざまな文化・芸術協会が権力と二人三脚で生き残ろうとするに違いないからだ。ソマリア沖に出兵している自衛隊の護衛艦へヘリコプターが舞い降り、そこからパフォーマがと

85
だが日本の伝統的のものといえば、南京玉簾、蝦蟇の油売り、居合い抜きだったりする。
たとえば籠抜けなどの曲芸系の大道芸は見たことがない。
ハンドアクロバット系は有っても籠抜けはない。

2007年の朝日新聞朝刊の連載小説、夢枕貘の「宿神」に籠抜けの芸が描かれているものを読んだとき、胸躍るものがあったが、折角、大道芸ブームといわれるほど大道芸がはやっているならば古典的な大道芸がもっとでてきていいはずだ。

86
どの雑技団がもっとも印象に残っているかといえばシンチャンウィグル自治区の雑技団だ。
民族色が強く、音楽、衣装などひと味もふた味も違うのが、なんとも魅力的でしかも皆踊りがうまい。
たとえば男性ふたりのジャグリング。彼らが使う道具は、直径25センチほどのタンバリンのような太鼓であり、また長さ45センチほどの錫杖の形をしたもの。しかも太鼓をただジャグリングするのではなく、それを胸や膝に打ち当てて音をだしながらリズムを取るし、錫杖の方もシャリシャリと絶え間なく響き、伴奏の音楽がなくても、とてもリズミカルなので、楽しくみることができる


ジャグリングは近年ますますアート系というか、投げる道具の数を競うよりも投げたものが描く道具の軌跡や、あやつる道具と身体の柔軟性のコンビネーションという方向に進んでいるが、使う道具にオリジナリティを求めるジャグラーがもっとでてきてもいいように思うのはぼくだけだろうか
たぶん高度に専門化しつつあるジャグラーの世界では、変わった道具を使う、いわば民族派はあまり評価されないのかもしれない。
だがもしジャグリングの世界に転換期がやってくるとすれば土着的な道具の発見から始まるような気がするのだが、どうだろうか。

87ページ
ウイグル族の演目のひとつにハイワイヤーがある。この演目は旧ソ連邦の国々からヨーロッパの国々まで広く浸透しているものだが、ウイグル族のハイワイヤーには、彼らの民族芸能のタワァズ(中国語で表記すると、達瓦「子偏に牧の作り」。)

ウイグル族のタワァズは、まさにそうした民族芸能であり、しかも伝説の物語がある。それは。城に閉じこめられたお姫様を救うために、一人の若者が城壁に坂綱を張って、城の中に入り込み、救い出したという、他愛のない物語だが、なんともほほえましいではないか。
ワイヤーの演技は中国語では鋼「糸が二つ並ぶ」(カンスー)という文字がつくが、そこにはもちろんなんの言い伝えもない。

5人囃子のキエフの遭難は手に汗握った
サーカス学校をどのような思いで造ったのか


194
ここPPSでサーカスという文化の持つ力の一つが十全に機能している姿はなんとも感動的であった。これまでも折りにつけ触れてきたが、サーカスはプロの人のものだけではない。まして廃れゆく芸能なのではない。
サーカスをプロだけに独占させておく必要はない。商売としてしかサーカスを利用していない人々や商業主義の仕組みからサーカスを解放していかなければならない。
サーカスの持つ力、その文化の力は人々の能力を開発し、人々を育てる力を持っていることになによりも注目していかなければならないはずだ。
伝統文化におしこんではいけない。エンターテインメント、ショーとしての商売の道具だけのものにしてはいけない。研究する知の中に押し込んでもいけない。それらすべてを常に人々をより豊かにする、まさしく人を生かす力を持つ視点からとらえ、そこからみていかなければならない。
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